目を養う

「世界を変えたい」と願う人は多いみたいですけど、

 

「手っ取り早く」・「確実に」世界が変わる方法として「目を養う」があります。

 

物事の見方を変えたら、世界はコロコロと変わります。

 

例えば陰謀論者の人は、「ディープステートという謎の合弁グループが、この世を支配しているんだ!」という見方をします。

 

なぜ彼らがそういう考え方に惹きつけられているかというと、それによって当人目線では実際に「世界が変わっている」からです。

 

陰謀論は、妙な見方をしているので、事実との乖離があったりするので、普通の人は採用しないでしょう。

 

他の例でいうと、赤の他人の暴漢が、自分に殴りかかってきたとしたら、

 

「攻撃を受けている!危ない!怖い!」という「被害に遭っている」の見方が普通ですけど、

 

見方を変えると、

 

「赤の他人相手だけど、いっちょボディランゲージでコミュニケーション(ケンカ)してみっか。こいつは、どんなリズムで攻撃してくるのかな?」

 

みたいに、「希少なコミュニケーションの機会」と見ることもできるのです。

 

例がへぼいですけど、言いたいのは「ものごとの見方を変えれば」「世界を面白い風に変えることができる」ということです。

 

陰謀論の方は、思い込みと現実の乖離が激しくて問題が起こりえますが、

 

ケンカの方は、「これはコミュニケーションである」という解釈は、事実に反しているとは限りませんよね。

 

では「真実として」「このケンカはコミュニケーションであるか?」という問いに対しての答えは、

 

「自分のさじ加減ひとつ」となります。

 

「絶対に暴力反対!」という人にとっては、暴行は問答無用でアウトですので、「コミュニケーションになるはずがありません」。

 

そして、「絶対に暴力反対とは限らない」と思っている人にとっては、「コミュニケーションになりうる」となります。

 

「自分のさじ加減ひとつで、世界が変わっている」という現象がこれです。

 

ここまで書いて気づいたのですけど、

 

「絶対に暴力反対!」などの、

 

「あれはダメ」「これはダメ」の制限が多い人にとっては、ものの見方を変えること自体が、難しいんだろうなと思います。

 

「今の自分の見方が正しい」というよりも、見方を変える経験・・・それも成功体験が乏しいだけなんじゃないかと推測します。

 

「自分がダメだと思っていた、あいつが実はダメじゃなかった」となると、困ることになります。

 

なぜなら、「あいつから受けた不快感」を、「自分で引き受けて、対処しなきゃいけなくなるから」

 

という所なんだと思います。

 

ここで新たな要素「自分の問題を自力で処理する」というのも出てきました。

 

これにも、「目を養う」ことが役に立ちます。

 

例えば、「みんな待ってる行列に、中入りしてくる自分勝手なおじさん」がいたとして、

 

「あいつ、キモいな」って言葉を吐いた場合。

 

身勝手なことされて不快感を覚えて→

 

「キモいな」という言葉によって、毒を吐きだして、精神衛生を保つアクションですが、

 

ここで重要なのは、毒吐きによる心のクリーンアップ処理、だけではなく、

 

「行列に中入りされて」「不快感を覚えたんだ」ということをよく見ることだと思います。

 

自分観察ですね。

 

「キモい」の言葉だけでは、モザイク画像のように解像度が低いので、よくわかりません。

 

その不快感を、もっと詳細に見ることができると、自分の問題解決の第一歩になります。

 

問題の正体がわからなければ、問題を解決することは難しいですから。

 

「じゃあなんで」「おじさんに行列に中入りされて嫌だったんだろう?」と探ってみるといいです。

 

「冷静にジャッジしてみると、別に、行列の前の人数がひとりぐらい増えたって、大した不利益じゃないのでは?」

 

「自分は何が不快だったんだ?」

 

「決められた常識・ルールを、おじさんが破ったからだろうか?」

 

「ルールを守ることを、自分はとても大事にしているんだろうか?」

 

「自分は、ルールが破られると、致命的になる人間なんだろうか?」

 

みたいな、自分観察ができるようになります。

 

それができると、今度は本丸の「問題解決」ができるようになります。

 

おじさんに対しても、「なんで横入りするんですか!(怒)」という雑多なアクションだけではなく、

 

「私はルールをとても大事にしています。お願いですから、ルールを守っていただけませんか?」という丁寧バージョンもできるようになるし、

 

「ルールは何より大事だ」「よし、大学の法学部に入って学んで、国連職員になって国際ルールを司ろう」というように、

 

就職の進路が決まってきたりします。

 

問題に対して、有効なアクションを精度高く取れるようになるということですね。

 

なんか長くなってきたので止めますが、

 

まとめると

 

「目を養うと」

 

「世界を変えることができる」「自分の問題解決に役立つ」

 

と言う結論です。

 

もちろん、「目を養うと」「自分の至らなさに気づいてしまって、自信を失いかねない」などの事情により、

 

あえて解像度を低いままで維持しているケースもあると思うので、

 

「目を養う」は必須ではないですが、

 

個人的には、「目を養った方が」「困ることが減るだろうな」と思います。

 

できる状態の人には、オススメです。

 

おわり