何か、ヤフーニュース見てると、
高橋洋一さんが「1ドル300円でも日本国として大丈夫」みたいなことをテレビで言って、
それにひろゆきさんが「ドル建て輸入品の日本円価格上がって大丈夫なわけないだろ」と突っ込んで、
それは「近隣貧しい理論」なんとかで円安は絶対有利だみたいなことになって
米山さんがそれを「1ドル300円の大きな変動下で適用できる理論じゃない」みたいなことゆってるそうです。
私も以前、日記で高橋さんに突っ込みましたが、その時は「マクロ視点で、ミクロを見ないのは能力限界に係る責任回避」「マクロ的判断は、ミクロ的問題を無視しているという問題がある」という趣旨でした。
なんでも、高橋さんはアベノミクスをやったときのブレーンみたいで、
まぁ、目下の円安で、戦犯みたいになるのが嫌だから、ゆってるんだろうなぁと思います。
ヤフコメを見ると、なんでも為替の変動幅は、最終的には収束するから、その時間差で損得が生まれて、その刹那の損で、企業が潰れたり、個人が破産したりする、という説明がありました。
要は「国民の苦労なんて知ったこっちゃねえよ」と心から思っている人が、「知ったこっちゃねえよ」と主張して、
「知ったこっちゃねえは通らないだろう」と思っている人が、「違うだろ」って言ってるだけの・・・
すれ違い、がありますね。
日本ってこういうスタイルでの言い合いが非常に多くて、
誠意を持って、相手の目を見て、「あのね、私は、国民が飢えようが苦しもうが、本当に、ほんっとうに・・・全然心が痛まないんですよ。ただ、国が傾くのは非常に問題だと思っているので、国民の都合を無視して、国の安定を最優先することが大事だと思っているんです」
って、言えばいいのに。言わなくても、わかることなんだから。
じゃあ、それに対して、「国民を無視して、国の犠牲として積み上げてもいいのか?」という論点で、
議論が起こった方が良いと思うんですけど、
この論点は「センシティブ」扱いなんでしょうね。
結局、「国民の生活も大事だ」っていう意見も、建前にすぎないんですけど、
要は、「国民の生活も大事だ」っていう建前が、建前として機能するように、
言動を洗練させて、「信じてもらう」「希望を持ってもらう」っていう努力をした方がいいなぁと私は思います。
あんまり高橋さん(イージーゲーマー)についてあれこれ言ってもしょうがないと思っていて、私はこれ以上言わないですけど、
「あの時としては、アベノミクスが最善だと思った」
「目下の経済不況の、結果責任は私は負えないが、今でも、在任時の判断は誤りではなかったと思っている」
「現在も、予断を許さない状況で、日本経済・世界経済の行く末を注視している」
「私としては国全体が豊かになれることを願っている」
くらいの、ことを言えば、良いと思いますよ。
それを、「円安でも問題は無い!これが分からない奴は愚かだ!」っていう言い方になるという
のが、ちょっと不思議だな、と思いました。
つまり、自分の能力・判断も本人が信じられていないんでしょうね。
個人的には、自分のことを信じられるように、努力をするのが最善だと思います。
おわり