今回のテーマは「充実した手札」ということで、
人間が生きる上で、持っておいた方が良いカードを紹介します。
カードの種類は無数にありますが、
その中でも、極めて基本的なカードについて書きます。
それは4枚対になっていて、
①「与えられる」
②「与える」
③「勝ち取る」
④「喰われる」
です!基本ですね。基本を抑えておくと、良いことがあります。
この4つは2重の対になっている構造で、
ひとつの対は「相対関係」・・・
・「与えられる」の逆として「与える」
・「勝ち取る」の逆として「喰われる」
そして、もうひとつの対が「解釈の対照関係」・・・
・「与えられる」と「勝ち取る」
・「与える」と「喰われる」
です。
これらは、どれが優れているというわけではなく、ワンセットと認識するのが正しいと思います。
つまり、「全部のカードを切れた方が良い」「適時・適切な程度・適切な質で」ということです。
ある時には「与えられ」、ある時には「与え」、ある時には「勝ち取り」、ある時には「喰われる」という切り方です。
それぞれの関係性を解説していきます。
■「与えられる」の逆として「与える」
一般的には、「幸せになるためには、(神様とかから)多くを与えられる必要がある」
という認識がありますが、
客観的に見ると、「与えられる」つまり「クレクレ亡者」は問題があります。
何が問題点になるかというと、「与えられた後に」「どうするの?」という点です。
例えば「お金を与えられて」それをブクブクと膨らませて、プールするというのは、
血管に例えると「動脈瘤」みたいなものです。
お金というエネルギー媒体を、必要な場所に、「送る」つまり「与える」ということも必ず必要になってきます。
「お金を送る」というのは例えば寄付だったり。あとは投資とか。
寄付は何が良いっていうと、「壊死しそうな細胞に」「金という血流を流す」という行為です。
その細胞を通常稼働させたいのならば、「金を送るべき」です。この時、金を送る先が重要になってきます(瀕死のテロリストに金を送るべきか問題が出てきたり)ので、ケースバイケースです。
投資は、リスクがあるのである程度、「与える」行動になっていますが、基本的に儲ける目的なので、「与えるとみせかけて与えないよーん」という感じですね。
「資金を必要とする投資先に、1億円払って7000万円の価値の株をゲットする」
つまり3000万円の投げ銭を含む形の「投資」が生まれると、ベターです。
■「勝ち取る」の逆として「喰われる」
#この日記長くなるな・・・それはさておき
世の中では「勝ち取る」ことができるのが強者の条件だ!みたいな感じですね。
ハーバード大学生の親パレスチナデモ活動で、退学者が出たとかニュースで見ましたが、
あれも「体制側と戦って」「人権とかの利益を勝ち取るぞ!」というゲームです。
勇ましく勝ち取ることができたら、なるほど、確かに強者であり勝者ですね。
しかし、「喰われる」の方もできないと、強者ではありません。
例えば海のお魚を釣って、食卓で食べる、みたいな捕食。
「捕食者である人間が強者」で「お魚は弱者」でしょうか?
その認識とは、つまり「百獣の王ライオンがサバンナいちの強者である」という発想です。
この認識でいるうちは、氷河期で滅び去る肉食恐竜コースから永遠に脱せません。
実際には、お魚は「喰われるという理由では」「弱者ではありません」
プランクトンは弱者ですか?草食動物にもしゃもしゃ喰われる植物は弱者ですか?
否、その理由だけではまったく弱者とは言えません。
その証拠に、プランクトンがいなければ、生物ほぼ全滅ですし。
なので、たまたま人間は最終捕食者だけど、それだけで強者であるとは言えず、
「喰われる」ことも時と場合によって必要になってくる、ということです。
ちなみに私は、自分より強者が「喰いたい」と言ってきたら、「よし、この状況下であるならば喰われとくか」と判断して、喰われる予定です。
これを拒む程度では、「陸上で威張り散らす恐竜止まり→絶滅コース」になるでしょう。
■「与えられる」と「勝ち取る」
今日ニュースでカスタマーハラスメントについて報道していました。
カスハラをするような客は、おそらく職場でも絶賛パワハラ中でしょう。
彼らの認識では「この利益は」「自力で勝ち取ったものだ」の一辺倒で、「与えられる」の認識が欠落してます。
例えば、人間の肉体。
これは、「勝ち取ったもの」でしょうか?
違いますね、肉体ALLが「与えられたもの」です。
自分の基礎である肉体の時点で、すでにほぼ100%「与えられている」んですよ。
その人間が、「勝ち取る」とかゆってると、面白いんですけど、
例えば企業同士のコンペティションとかで、「我が社が受注取った!」となったら、
それは「勝ち取ったぞ!」「ウオオやったー!」ってなるのは自然ですね。
ただ、それも顧客の企業から「与えられた」ものです。
何が言いたいかというと、すべての「勝ち取ったもの」は同時に「与えられたもの」でもある、その両面が常に同居している、という認識が正しいということです。
で、「与えられるもの」について補足をしますが、
「与えられるもの」のうち、特に重要な「与えられたい!」ものというのは、
「機会」と「技術」です。
この2つは、特に与えられることを望んで、狙って行った方がいいです。
攻めの姿勢を取るなら、そこが最重要ポイントになるということです。
これは余談ですが。
■「与える」と「喰われる」
#この日記長いって!厳しいって!
さあラスト来ました「与える」と「喰われる」です。
俗世の人間の大嫌いなことのツートップですね。
これに関しては、簡単なことです。
まだ舞台に立つプレーヤーでありたいのならば「与える」のが正しいし、
身を捧げて終幕し、全体の利益を願うのであれば「喰われる」が正しいです。
「与えてるつもりが」「与え過ぎちゃって、自滅した(喰われちゃった)」っていうのは避けた方がいいです。
親切・やさしすぎるのも、自分を滅ぼしてまでやることではない、っていう戒めのアレです。
ホストに貢ぎすぎて、破産した、とかは、無いように気を付ければ良いと思います。
■まとめ
この日記長いな。
もし全部読んでくれた人がいるなら、ありがとうございます。
しかし、かなり良い情報になっていると思っています。
これらの対になっている4カードを、
そのときの状況を正確に見た上で、適切に選び取って切れる人は、私の定義では強者になります。
もし4つのうち、どれかでも欠けている部分があるとしたら、
穴埋めした方が良いと私は思います。
実際にどうするかはご自由になさってください。
ちなみに私も十分にこれらのカードを使いこなせていません。
練習中です。
重要だとわかっているけれど十分に使いこなせない理由は、
「必要な情報が揃わない」からです。
その条件は、おそらくほとんどの人がそうであろうと思います。
条件的に無理があるのですが、そのことが事の重要性を下げることは無いので、
やって損はありません。
おわり