キャンセルカルチャー

最近、目にした馴染みの無い言葉「キャンセルカルチャー」について考えてみます。

 

キャンセルカルチャーの意味をネット検索すると、

 

<意味>

著名人や企業などの発言や行動を問題視し、SNSで糾弾したり、不買運動などでボイコットすること。

 

らしいです。

 

なるほど、SNSが普及して、色々「もの言う人々」がたくさん可視化されるようになると、その叩き行為が大きなうねりとなって、嵐のような炎上になることはよくあるようです。

 

私としては、そういう意見もひとつの考え方だし、その考え方の集積がスケールを持って、怒濤の雪崩のように個人や企業の評判を破壊していくっていうのは、まぁ、いいんじゃないでしょうかと思います。

 

そのターゲットになっているひとは「ひどい目にあった」と思うと思いますが、SNSは片隅の小さな声も見えるようにして、拡大する機能ですから、

 

その機能が正常に機能しているな、と思います。

 

小さな声・・・今まで外部や自分自身の手で握りつぶされてきた、不満の表面化が起こっているだけで、

 

じゃあ、ノイズの少ない、「不満が蓋されたままがいいのか?」と言うと、私は不満が表に出て、見えるようになっている方が正常動作してるな、と思いますね。

 

この論点における社会的な問題っていうのは、「その不満の受け皿不足」だと思います。

 

「不満を言ってみたけれど」「誰もそれを解決してくれない」という状況の方が圧倒的に多いと思います。

 

例えば「すごく欲しい商品があるのに」「どの店もその商品を売ってない」みたいな、バット空振り状態ですよね。

 

で、バット空振り状態では「満たされない」ために、

 

「何か目に見える形で、『成果』が欲しくなる」んだと思います。

 

で、実際に、個人や企業を糾弾して、嫌がらせして、その相手・・・例えば松本人志さんとか、が、実際に表舞台から退場になった、となると、

 

それが不満表明に対する成果となって、

 

「ようし、ヒット打てたんだな!」「バット振った甲斐があったな!」という

 

満足に繋がっている。とりあえず、自分の不満は、世の中を動かし得る、意味のあるものだった、無視されない程度の重要性を帯びていた、と確認できるのです。

 

で、副次的な問題として、

 

その「目に見える成果が得られる糾弾行為」に「味を占めて」

 

うれしくなっちゃって、「ようしドンドンやろう!」と勢いづいている人もいるのだと思います。

 

そうなってくると、その炎上はもはや「悪意の暴走」になっているので、これは副次的な社会問題であると言えると思います。

 

SNSのおかげで、そういった悪意の暴走が起こっている、それは事実です。

 

しかし、そもそも、ツイッターによって、いろんな人が不満を目に見える形で表現してくれる、という重要な機能も果たしています。

 

だから私はツイッターなどのSNSが問題だという意識はあまりありません。

 

問題は、不満を「表に見せたのに」、「誰も受け皿を用意できていない」という点です。

 

本来は、本人がその不満を解決すべきですけど、

 

自分で解決できないような、責任能力が足りていないような事案もあると思うので、

 

まぁ、余力のある人はできるだけ助けた方がいいと思いますが、

 

モラルとして、「不満を表に出すときの作法」を身につけた方がいいと思います。

 

基本的に、自分の問題を外注するってことなので、

 

「できれば解決してくれないでしょうか?そうして頂けると助かります」という姿勢があった方が良いと思います。

 

まぁ、それも余裕なくてイライラしてたら無理かもしれませんが。

 

あともう一つは、

 

「自分の問題」を、とりあえず「良く見る」ってことですね。

 

例えば「ガスと水道止められて不安になっている」場合は、

 

経済的な問題ですよね。

 

でもその不安を打ち消すために、「著名人に対して『問題がある』と糾弾する」っていう、

 

問題の「置換」が起こってるんですよね。

 

著名人が問題あるから不安なんじゃなくて、ガス水道止められてるから不安なんですよね。

 

そこをきっちり見極めないと、その著名人の人は「無駄に、とばっちり受けてること」になりますから、

 

軍隊に例えると、味方に銃を乱射してるようなもんですよ。

 

だから「不満を表に出すときは」「正確に不満の原因を特定して、それを表現する」のが良いと思いますね。

 

現状では、それをちゃんとやっても、受け皿が不足しているので、実効性はないかもしれませんけど。

 

私の結論としては、

 

SNSの悪意暴走問題を解決するためには」

 

「家族とか、友人とか、恋人とかの身の回りの人と良い関係を作って頼って」

 

「不満をため込まないこと」

 

だと思います。

 

あとは行政を頼るとか。

 

リアル世界で、「なんかひとりぼっちで屈折してそうなやばい奴」も、できるだけ対峙して、問題解決に動いた方が良いと思いますね。

 

まぁ「巻き込まれたら大変だ」みたいな他人行儀スタイルもあるし、「そもそも、なんで他人を助けなきゃいけないんだ」という考えの人もいると思うんですけど、

 

それが成功すると、SNSが確実に平和になるんですよ。

 

「悪意の暴走」が矮小化する、あるいは、起こりにくくなる。

 

私はそれはけっこう面白そうな実験だなと思うので、

 

上手くいったら感動します。

 

おわり