ライトユーザーって難しいんですよ。
「ちょっとやってみますのん」という、物見遊山だから。
ちょっと嫌なことがあったらすぐ辞めちゃうし、人より成績が悪かったら劣等感で腐ってしまうし。
その苦しみは、ありのままでも意味がある(きっちり苦しむの作法)のだと思うんですけど、
嫌になりすぎて、大勢のライトユーザーたちが「もう、なんもやる気でねぇ~」「適当にグダグダなにかを消費して過ごそう~」ってグダーってなると、
けっこうディストピアっぽくて個人的に面白くないんですよね。
私からすれば、
やっぱり、未熟者であっても、「これがやりたいんだ!」「やったるで!」という元気のある風景というのが好きです。
で、その営み自体を好んで、継続していると、自動的・必然的に、技術が研ぎ澄まされて、一定水準以上のレベルに達して「ものになる」のは「確定」なんですよね。
問題は、「そもそも、その営み、そんなに好きじゃねえわ」「楽しくなかったら即辞めるわ」というライトな人たちを、どのように囲っていくかってことです。
みんなグデ~っとしてニヒルに「すべてどうでもいいわ~」みたいになってる世界を好むか好まないかの問題だと思うんですけど、
みなさんはどうでしょうか?
それもひとつの生の在り方といえばそうなんですけど、
日本のように、栄養失調で死ぬとかあんまりない先進国環境で、
「もうええわ~何もしたくないわ~」みたいな状態って、多分、最貧国の人が見たらキレるか、呆れられると思うんですよね。
だから、「あんまりがんばれない」「継続も困難な」人を、どうやって本気にさせるか、という問題は、ぜひ世の中の賢い人に答えを出して欲しい問題のひとつです。
私は、ある分野ではガチですが、「麻雀」に関してはライトユーザーです。
だから、天鳳で賽の河原みたいな環境下に置かれると、
「もういいわ~ゲーム性が壊れてて面白くない、そもそも麻雀で勝ててもそこまで嬉しくないし」
みたいな諦めムードにはなるんですよ。
それで、前述したように、諦めてウジウジいじけるのも、賽の河原で絶対に勝てない麻雀を打ち続けて苦しむことも、無意味ではないですが、
苦しんで終わりの、シンプルな損に、首を突っ込み続けるマゾ性も無いので、
必然的に、結局「辞めちゃう」ということになります。
麻雀ライトユーザーの私の意見を言うと、
「ちゃんと自分の下手さでも、楽しめる環境を用意してほしい」ということです。
私の楽しめる環境の条件とは、
・「配牌・ツモがランダムに近いこと」
・「四家全員がトップを狙うことを前提にして、意図的な鳴かせや放銃はしないこと」
ですね。
この条件下ならば、多少負けが込んでいても、「自分が下手だから負けたんだ。ようし、上手くなって勝てるようになるぞ!」とやる気がでます。
このように、ライトユーザーさんに対しては、
「どういう環境なら、あなたはがんばれるの?」と聞いてみて、
できるだけその環境を用意してあげる、というのが重要かなと思います。
もちろん猛者ならば、「どんな環境でもやってやんよ!」と気合いが入っていると思いますが、
そういう気合いとか、根性とか、最近の若い世代の人には流行らないみたいなので、
活気のある楽しい世界の景色を私が見るためには、
良い環境を用意してあげて、その上で、「思いっきりがんばってみてね!」と突き放してみるのがいいかなぁと思います。
Z世代が、多少もやしっ子っぽいからといって、
優しく親切にしてあげるっていうのはちょっと違くて、
彼らのポテンシャルを最大限引き出す良環境を作ることに注力すべきではないか、というのが今回の結論です。
「せっかく良い環境作ったんだから、絶対あきらめんなよ、喰らいついていけ」
っていう厳しさもセットでいくと、
盛り上がるだろうな、と思います。
ただ、そもそも盛り上がること自体がバランス崩すという噂もあるので、
ほどほどにディストピア、ほどほどにユートピアの折衷を狙っています。
おわり