努力すれば夢は叶うのか問題

11月29日に脚本家の山田太一さんが老衰のため亡くなったそうです。ご冥福をお祈り致します。

 

これを知ったのは、ツイッターで、そのツイートにおいて、彼は生前に以下のような趣旨の事を言っていたとの紹介がされていました。

 

「『努力すればきっと夢は叶う』なんて言葉は、ごく一部の勝者のみに適用できることであって、大多数の人は失敗・挫折し、後悔の念に苦しんでいる。そのような人々に対して『結果が出せなかったのはあなたが諦めたせいだ』という死体に鞭を打つような表現は非情であり、人々が前向きに生きるためには『可能性の良き断念』が必要ではないか」

 

※上記は私が書いた要約分であって、ご本人はこのようなレトリックで言ったわけでは無いですが、内容趣旨は大体こんな感じのことだと思います。

 

その紹介ツイートへの返信は、多くの人が「うん、その通りだ」「共感できる」という声があり、私は「ひゃー、そうなのか。私と考えが違って、コメント見れてよかったな」と思いました。

 

まず私は、「可能性の良き断念」(これは山田さんご本人の表現ママです)という言葉の意味がよく知らなかったのですが、おそらく、「明るい未来への可能性を含んだ、断念という選択」という意味だと解釈しました。

 

なるほど、それが本人にとってベターな選択であるならば、まったく問題なく、いいんじゃないかと思います。

 

ただ、いわゆる成功者の方が言うような「あきらめるな」「努力は裏切らない」とか、そういう励ましの言葉の意味というのは、本当に単純に、「励まし」でしかないだろうな、と私は受け取ります。

 

それが「後悔している人に悪い刺激を与えてしまっている」という事実があるのは本当だと思うので、「デリカシーの無い悪い言葉」である側面もあるのだと思います。

 

なので、結論としては、「善意の励ましも、一部の人を傷つける刃になりうるのだから、その配慮や気配りを忘れずに、発する言葉に気をつけましょう」で、良いと思います。

 

チャンチャン

 

と、ここで終わらずに、補足的なことを書こうと思います。

 

まず、世の中には、「○○の結果が期待できるから、△△をしよう」という普通の考え方を「しない」人はいるということも事実としてあると思います。

 

「美味しいコーヒーが飲めるから、お湯を沸かして、ドリップコーヒーを使おう」

 

これは至って普通で、当たり前のことですね。

 

もしも、この枠内の中に居る人が「夢が叶うから、あきらめないようにしよう」と言うと、

 

「いや、あきらめなくても、現実は夢は叶わないことがほとんどだろ」という突っ込みが入るのですが

 

すべての人が、その枠内に収まるかというと、そうではないという事実があります。

 

一部のある意味クレイジーな奴は、「頓死してでもいいから、絶対にあきらめずにやるんだ」という発想をします。

 

できるできないとか、夢が叶う叶わないとか、ある意味些細なことであって、とにかく「やるのかやらないのか?」→「やるんだ」という発想ですね。

 

大分前の日記でも書きましたが、

 

人が夢を追うということは、「結果」を求めるではなく「営み」そのものに執着し、執念を燃やすことである、みたいなことを書きました。

 

結果がでなくてもどうでもいい、最悪死んでもいいから、とにかく「やる」んだ、という、「普通の枠からはみ出している」変な奴というのは確実にいます。

 

そのはみ出しを実現するのが、いわゆる「覚悟」です。

 

なぜそんな過酷な覚悟をしているかというと、「そうしないと」「ファイティングポーズが取れないから」ですね。

 

相撲で勝つには、稽古うんぬんより、まず「土俵」に立たなければ必敗です。これは普通の当たり前の発想ですね。

 

その「土俵に立つ」その行為だけで、めちゃくちゃハイプレッシャーがかかると、

 

「覚悟を持たなきゃ、土俵に立っていられないな」という判断があるのです。

 

つまり、結果どころではなく、スタート地点に立つためだけに、覚悟という心がすり減る、けずり取られるような試練を受けている、というのが「はみだしている」クレイジーな人種の見ている世界です。

 

で、努力したら、たまたまラッキーもあり、求める結果が得られたとする。

 

そうすると、その勝者は、「よかったなぁ」と安心するのですが

 

その歩んできた道、スタートラインに着くだけでもヒリヒリするような道の途上にいるような、「夢追い人」のことが気がかりになってくるのです。

 

「負けることもあるだろうけど、できれば他の人にも勝ってほしいな、報われてほしいな」という、経験者ならではの経験則に基づいて、次の言葉を吐くのです。

 

「あきらめるな」「努力すれば夢は叶う」

 

これは、ある意味念仏のような、負けないためのおまじないみたいなものですね。

 

そこまで把握した上で、「勝者のそういう言葉はデリカシーがなく、みんなを不幸にする」と言っているのか、ちょっと疑問だったので書いてみました。

 

私自身も、たがのはずれた、はみだし者であり、自分が求める結果もある程度出してきましたが、挫折も多く経験しています。

 

例えば、数学の勉強も、途中でやめちゃったし、結局AIのコードを読むことも、今はやっていません。

 

自分って、だめだなぁとも思っていますが、それはそれで、「断念」しただけなので、それによって明るい未来がくるかどうかは謎ですが、とりあえず「あきらめちゃったな、残念だな」ということです。

 

言葉というのは、お金とかと同じで、背景があります。

 

ハイデガーさんの難解な文章とだけ向き合ってても、ハイデガーさんの言葉の意味は理解できないように

 

ちょっとイラっとする言葉であっても、その背景を知ると、見える世界が変わるかもしれません。

 

また同時に、言葉を使う者として、デリカシーは身についた方がいいな、と思いました。

 

でも、基本的に言葉は刃ですから、できる限り、悪い影響を排除するという努力目標ですね。

 

けっこう難しいけど、大事なことだなぁと思いました。