A diary 10/3

他の人がよくわからないです。

 

食べなきゃ飢え死ぬとか、笑顔がうれしいとか、普遍性があるようでも、ステージの種類が違ったり、そのステージの種類における程度が違ったり、本人の状態が違ったりして、普遍性が見いだせません。

 

私は「上蓋」担当のようで、最近はまったく楽しいと感じることができずにいて、頭が痛かったりします。

 

ただ、上蓋としては、蓋として存在していることが大事なので、浮き沈み無く、「今」というやや苦しい戦線で耐えるのがメインになります。

 

このステージへの適正というのは、他の人にとっては、ほとんど無価値であったり、又は、マイナス要因でさえあると思います。

 

私は、昔取った杵柄で、耐えることは得意なので、別に困ることはないのですが、普遍性から遠ざかるなと思っています。

 

普遍性がないのならば、日記で書く動機もないのですが、今書いています。

 

「○○したほうがいいよ」、とか、その人のステージや状況によって正解がコロコロコロコロ変わるので、そういうことはほとんど言えないです。

 

カフェオレのしずくがミルクに溶けていくように、言葉の意味もシステムの中で霧散していきます。

 

「右が良いよ」という言葉が

 

「右と左が両方あり、プレイヤーがそのどちらであっても影響されないシステム」の中で、溶けていくという意味です。

 

こうなってくると、うかつに言葉を出せなくなります。

 

言葉を出せなくなる、そこまでで止めておいて、今日の日記を終わろうと思います。