コロナ関係の意思決定

ツイッターでどこの国かわからないけど、英語を使う謎の外国人の方3名になぜかフォローされたのですが、今までフォロワー0人だったので「おっ」と思いました。日本語は読めるのだろうか?気になります。

 

とりあえずフォロワーが0人でも3人でも、常に見られているということはわかりました。「見てるよ・・・」ですね。英語勉強して英語でツイートしたろうかな、それは面白そうだけど数学とプログラミング学習の後になるでしょう。

 

最近、私がフォローしている方(研究者)のツイートで、

 

「ゼロコロナ政策とは、コロナ感染を0になるまで可能な限り減少させる政策のこと」という内容があって、ほぅ~なるほどと思いました。私はゼロコロナ政策の意味は「新規の感染者をゼロにする政策」だと思っていました。

 

他の方は、「原則としてコロナ感染者0人を目指して、結果的に0にならないけど、それくらいやらないと好ましい結果にならない。よってゼロコロナ目標を放棄するのは誤りで、怠慢である」みたいな内容でツイートしていました。

 

これは、昔の蓮舫さんの「日本のスーパコンピューター開発、2位じゃだめなんですか?」発言と似てる現象に言及したものですね。

 

本気で1位を目指して、やっと2位とか3位になる。はなから妥協して1位を目指さないようにすると、著しく順位を落として意味が小さくなる。だから原則1位を目指すべき、というのが当時蓮舫さんを冷笑してた人たちの考えですね。

 

コロナも同じで、本気でコロナゼロを目指さないと、望ましい感染防止が実現しない、よってゼロコロナ政策を推し進めるべき、といった具合です。

 

一方、少なくない一部の人達が主張しているのは「コロナ患者をゼロにするのは不可能なのだから、ゼロコロナは諦めるべき。マスクも好きに付けたり外したりしていい、行動制限も弱めて社会活動を動かすことが妥当」というものですね。

 

これって、どっちが正しいかって、けっこう難しいですね。コロナパンデミック自体、規模と質、両方で現代では初体験ですから、過去の事例と比較して・・・というのができません。コロナ対策でどこまでできるのかも未知数ですし、その対策を一部放棄してどのくらい致命的なのか、も未知数です。

 

こういうときこそ、未来予測しまくってる私の出番ですね。

 

私の考えは、以前の日記でも書きましたが・・・

 

長期的にはゼロコロナ(コロナ感染者を限りなく0に近づける)を目指すんだけど、短期的には、医療機関のキャパシティ超えなので、感染・発症は許容して、患者の自前の免疫システムとコロナウイルスの殴り合いで勝負する、というものですね。

 

なんという折衷案。誰もが驚くような「スーパー奇手」を打ちたかったところですが、それができなくて残念です。

 

ていうか、これは未来予測ではありませんね。これは意思決定として、「まぁまぁいいんじゃない?」くらいのものです。

 

ひとつポイントを挙げるとすると、「ゼロコロナ派」と「コロナ容認派」、両者はどっちも「~が嫌だからそれを防ぐ」という意思決定の型だという点です。

 

・ゼロコロナ派は、「助けられる患者を助けられないのは嫌だ、最大限努力する」

・コロナ容認派は、「コロナに翻弄される息苦しい社会は嫌だ、もうあきらめる」

 

両者に意見の対立はあるけど、意思決定の型としては同じもの。争ってる人間同士も似てるところがあるんだなぁとしみじみ実感します。

 

これらの意思決定は「道のウンチの匂いが嫌だから鼻をそむける、ウンチを片付ける」と構造が同じですね。

 

これって、生物としては自然なアクションですが、「嫌な情報インプット→拒否アウトプット」というのは、何も計算が働いていないので、ここはある意味フロンティアです。競争意識を煽るとするならば、ブルーオーシャンと言ってもいいでしょう。

 

好ましい意思決定とは、「未来空間中に、昇りやすい階段を設ける」ような感じです。

 

未来は見えないので、見えない空間に階段を設けるなんてファンタジックですが、これができちゃいます。誰でも、できるでしょう。難しさがあるとすれば「できるということを確信することが難しい」と言った感じでしょうか。

 

コロナで言うと、「コロナウイルスの治療薬を開発する」これは、例えば、1000年後に可能でしょうか?おそらく可能でしょう。そして、「コロナウイルスの治療薬が無い状態」が、1000年先まで続くでしょうか?おそらくありえないでしょう。

 

じゃあ、いけそうだな、「将来的にいくことになる階段のステップだな」と確信できます。これで階段の誕生です。できましたね。

 

実際は私は「1000年後どうかな?」とは考えないですが、漠然とした未来像を抽象的にイメージして(ここでは全く言語思考は使いません)、それをチェックして、階段のあるなしを判断しています。

 

で、階段ができたらどうするかというと、もし平時なら、あそこ目指してのんびり楽しく歩こうか~となるんですが、コロナに関しては緊急を要する状況なので、「そこに全力ぶちかます」ということをします。

 

未来空間の急所(階段への飛躍)に、渾身の一撃を喰らわすのです。

 

投資に「選択と集中」という概念がありますが、「1点の急所」を選択して、そこに「全力ハンマー」をぶちかます、というセオリー通りのアクションです。

 

これをやると、寿命が縮むことはあるかもしれませんが(えっ?)、未来空間の移動に関して言えば、圧倒的に速いです。

 

だからコロナで言うと、「ウイルス解析、治療薬開発に集中投資する」が正しいです。

 

あとは社会活動を動かすかどうかですが、これは別に階段として成立していません。1000年後も、未知のウイルス来たらある程度、社会活動は止るでしょう。

 

「1000年後は、科学が発達して、パンデミックも軽くいなすんじゃないの?」と思う方もいるかもしれませんが、私は別に軽くいなせなくてもいいんじゃないかなと思います。

 

病気になって死ぬ。それもまたいいでしょう。全滅しなけりゃいいです。肉体とウイルスとの殴り合いで、勝てるようになる方が好ましいです。その進化の過程で屍はある程度積もるでしょう。

 

といった感じで、「社会活動を動かして、ウイルスと免疫で戦いましょう」という結論が得られました。

 

最初の私の意思決定の印象だと、普通の、ただの中途半端な折衷案じゃん、という感じがしたと思いますが(私は自分でそう思いました)、未来空間に階段を作っていく、その階段目指してアクセルべた踏みもする、という計算を経てアウトプットされたものです。

 

なので、「スーパー奇手」じゃなくても、正しい意思決定はありえるんです。普通であることを怖がらないでください。