日本は和の心が大事だとよく言われますが、和の心とは、個々人の自然なありのままの心を音楽のハーモニーのように重ねる、ということだと思います。
私はあんまりよくわからないですが、これってリスクは低そうですね。
心も自然物のひとつで、周りの自然と調和する、というというのは世界にとって「邪魔者にならない」安全な態度と言えると思います。
しかしながら、その世界というのも有限な(比較的範囲の狭い)領域しか持っていないため、それと心中するのはちょっと怖いですね。
「いや、心中するんだ」という考えを、半ば無意識に?多くの日本人が持っているというのは、なかなかリアリティがないですが、実際の所はそれが現実なんでしょう。
私の場合は、心の調和による恩恵を良く知らないので、それを肯定も否定もできない立場なんですが、それを得るために命を賭せるかというと、それだけじゃやだなぁと思います。
だって・・・それを提供する側からすれば、コインランドリーに心を多数ぶちこんで、洗剤みたいな媒体を流し込んで、スイッチオン!すれば、「おぉ、調和できてる~♪」という感じでしょう。
強い不安や、焦りや、悔しさを感じている人は、そこからは蚊帳の外でしょう。
一部の人だけが、既存の技術で、調和を味わっている、「そうか、そういうもんか」と受け入れるのがいいのでしょうね。
自我を持って努力したり、競争したりするのは、調和に反するから排除、
それによって生産能力が落ちて、経済が落ち込む、システムダウン、も「そうか、そういうもんか」とするのがいいのかもしれません。
調和の領域も狭くなる、社会全体よりも小さくなる、ノイズが増える、調和現象が壊れる、
そういったシナリオを踏んだとしても「いや、これと心中するんだ」という態度であるならば、それはそれで一貫性があって良いと思います。