欧米など個人主義の国の人は、プライベートを監視されるととても嫌がるみたいですが、なぜなんだろう?と不思議になります。
監視されて嫌なのは、「知られるとまずい事をしている」自覚があるケースと、あと何があるだろう
他にないような気がする・・・
あるとすれば、「ターゲットにされてることが嫌」、とかだろうか。もともと他者に不信があって、自分が知らない(身内じゃない)者にマーキングされたくない、みたいな感じでしょうか。
日本は犯罪率が低いから、犯罪率の高い国だと、自衛の意識が普段から高いのかもしれないですね。
私は、監視された方が安心するタイプです。ほっとかれるよりかは見てもらったほうが安全度が高いですからね。
例えば悪意を持って監視されている場合であっても、「私の行動」がトリガーとなって、その誰かが何かを行動する・・・その現象を私が観て相手の情報は抜き取ることができるので、淡々と次の一打をうっていくだけの通常営業です。
潰す必要があるなら潰すし、泳がせていいなら泳がせて観察するし、何の感動もない普通の対応をするだけです。
こうして考えると、監視を嫌がる気持ちとは、「得体の知れない相手と関わりたくない、しかも相手に優位を与えたくない」という気持ちなのかもしれません。
得体の知れない相手は、この世にごろごろしているので、長年生きてきて今更それを嫌がるのかなぁと不思議に思います。
監視者と被監視者(自分)が、もし逆の立場になったら、自分が相手を攻撃するなり、奪うなり、するのが当然だ、というマインドセットがあるんでしょうね。
さすが狩猟民族、奪い奪われの世界の住人ですね。
相手と友好関係にあるとか、敵対関係にあるとか、はっきりいってどうでもいいことです。利害対立なんて、永遠に続く保証もないし、流動的なので、それを基礎にして意思決定するなんてことめったにありません。基礎にするには「柔らかすぎ」だからです。
「相手が得体が知れないなぁ、敵かも味方かもしれないなぁ」というのは他人に対する普通の認識で、その上で、「協力しよう」とか「殺し合おう」とか判断していく順序が正しいと思います。
「相手はどんな奴なんだ?私に利するのか?敵対するのか?」みたいに、確定しないことを求めるのは無理(例えば海の波に特定の形状を求めるような無理)があります。
私のように精神的に独りぼっちだとこういう考えになりますが、普通の人との繋がりを大事にする社会生活をしている人であれば、相手が敵か味方かを判断することは死活問題なのかもしれません。
自分と志を同じくするソウルメイトみたいな相手であっても、利害対立する場面なら闘うし、利害が一致する場面なら協力するし、みたいなゆるい感じで生きています。
もしも利害関係だけで世界が斬れたら、簡単ですけどね。