A diary 8/13

はてなブログ内の、他の人のブログを見ていたら、美少女ゲーム?を作るサークル活動をしている人の日記を読み、なるほどなぁと思いました。

 

その内容は、

 

「すべての概念は言葉で表すことができる。言葉によって未知の概念に名前を付けることができるから。」

 

「ただし、言葉で表現されないこともある。それは行間に存在する」

 

というもの。多分、ゲームキャラクターとの会話等を通して、ストーリーを読んでいくゲームだと思うのですが、そこではシナリオの面白さが大事になってくると思います。

 

小説を書くようなもので、おそらくこのブログ主の方は、言葉でストーリーを紡ぐことが得意で、好きなんでしょう。

 

だから、「すべては言葉で表現できる」「表現されないものは行間にある」という見方をしている。

 

私は、言葉で表現できないものは、ザラにある(見えないものとか)と思っていますが、すべてのものを「言葉で表現できるもの」「言葉で表現できないもの(行間)」として見ることは何も問題ないと思います。

 

ぜんぶ、その分析で、取りこぼしがないからですね。

 

この見方によって、自分が書いたシナリオとかを、分析していけば、「言葉で何を描写して、何をあえて描写しないか」とかがよくわかっていいと思います。

 

このように、分析においては、「自分勝手な恣意的な区分け」が十分有用になります。

 

その分析の枠が「正しいか、誤っているか」とかは、問われません。手段、道具としての分析ですから、「その人が作業をするプロセスにおいて役に立てば何でもOK」なのです。

 

例えば「世の中に人間は2種類いる。犬に吠えられる人間と、吠えられない人間だ!」とかいう考え方を持っていても、それが役に立つなら自由にやって大丈夫です。

 

こういう人、自らの方法論で、課題に当たる人を見ると、「一緒になにかやってみたら楽しいだろうな」と思います。

 

その人の作業の進捗についての相談とか、受けてみたいです。

 

「なるほど、そういう視点でやっていて、今そうゆう課題に当たってるんだね」とか、見ることは私にとってはフランス研修と同じくらい意味のある体験です。

 

でも世の中都合よくいくようにできていないらしく、

 

私はひとりぼっちで、何も共同作業をしていません。

 

まぁ勇気を出して外に飛び出したらできるかもしれませんが、少なくとも、今まで経験したことのある仕事では、あんまり創意工夫を求められるシーンはなかったです。

 

大学にいって、サークル活動とかすれば、できたかもしれません。