イーロンマスクさんのポストから学ぶ英語

趣味の英語の日記です。

 

ツイッターを見ると、イーロンマスクさんが以下のようなポストをしていました。

 

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If you’re experiencing severe neck/back pain, I recommend looking into a disc replacement. 

If you do, err on the side of a disc with limited movement. A simple hinge is more likely to be effective than a high mobility artificial disc that can translate, as well as rotate.

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う~ん、やっぱりネイティブ英語は、読むのが難しいです。

 

わからない単語が多かったので、グーグル翻訳に頼むと、以下のような意味のようでした。

 

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もしあなたが深刻な首や背中の痛みを経験しているならば、椎間板置換術を検討することをお勧めします。

 

そうした場合は、動きが制限されているディスクの側でエラーを起こしてください。 単純なヒンジ(蝶つがい)は、回転だけでなく並進もできる高可動性の人工椎間板よりも効果的である可能性が高くなります。

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なるほど!「ディスク」っていうからコンピューター関係かと思ったら、「椎間板」のことなんですね。

 

「椎間板置換術を検討してください」

→「そうしたら、エラーを起こしてください」

→「単純なヒンジの方が、人工椎間板よりも効果的になりそうです」

 

っていう文脈なので、これは人工椎間板手術への「皮肉」ですね(笑)。

 

「エラーを起こしてください」って、英文では本当に命令文になってるので、

 

表現が面白いなぁと思います。こういう言い方は、日本語ではあまり見かけないです。

 

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英文の意味がわかると、イーロンマスクさんの考えと自分が接点を持ったようで、嬉しいです。

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今度はこれ↑を英作文してみよう。

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Being able to read English sentences posted  on "X", I 'm glad to be related with the thinking of Mr.Elon Musk.

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辞書引きながら書けた!自然な英語になっているでしょうか。

 

「posted on X」なのか「posted in X」なのか迷いました。わかりません。

 

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英作文は普段しないので(読んでばっかりなので)、良いトレーニングになりました。

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I usually don't try to write English sentences but to read them,

so this challenge was a good opportunity for training on English.

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面白いですね。できればAI家庭教師による添削があったらなおいいです。

 

英語は楽しいです。

 

おわり

 

追記:

「書く」という初歩的な単語を「write」じゃなくて「wright」と書いていました(汗)

あと、「not~but~」構文の使い方もよくわかっていません。

とりあえず、訂正して、合ってるかな?

 

 

ハウツー内省

「内省」というと、「自分はこんなにダメだなぁ」とネガティブになるイメージがありますが、実はけっこう簡単なんですよ。

 

要は、「自分は」→「良い」or「悪い」って判断をあんまりする必要がないのです。

 

内省は、自分を「観る」だけ、ひたすら繰り返して「観続ける」だけで十分成立します。

 

ただ、観るポイントとしてひとつ「不動の」判断軸があります。

 

それは「自分は大丈夫かどうか?」です。

 

例えば、買い物帰りで道でコケて、ヒザすりむいちゃった。

 

「いった~、やばいな」

 

そこで自分を観るのです。「自分は大丈夫か?大丈夫じゃないか?」

 

「とりあえず、血は出てるけど、擦りむいただけだ」

 

「買い物袋も、転がってるけど、とりあえず無事みたいだ」

 

すると「じゃあ、大丈夫だな」って判断ができます。

 

なぜこの内省・・・「何かあったら都度、観る」ことが大事かというと、

 

「本当は大丈夫なのに、『大丈夫じゃない』と判断して、余計なことするケースがとても多い」からです。

 

余計なことして、「大丈夫なのに」「新規に問題が増えたり」するのです。

 

これは「自分を保持する」という観点から言うと大きくマイナスです。

 

例えば、「隣国が軍事力を増強した」という事実があった場合、

 

自分は「不安に」なりますよね。戦争おっぱじまったらどうしよう?戦って負けたらどうしよう?って。

 

そんで、「自分の国も、軍事力上げなくっちゃ、核兵器持たなきゃ」とか余計なことをしてしまいがちです。

 

でも、よくよく考えたら軍事力が不均衡なケースの方がありふれているし、

 

相手は「帝国ってわけじゃないから」「まだ戦争になると決まったわけではない」ので、

 

「自分の国は、大丈夫だ」という判断で、安心して対応ナシでいいのです。

 

「なんか、やべぇな~」と不安になるのは全く問題ないし自然ですが、行動として、「具体的に対応する必要がない場合は、対応すべきではない」という意味です。

 

で、なんか諜報活動とか情報分析とかやって、

 

「高確率で隣国と戦争になりそうだ」と確定した、

 

その時初めて、その対応についての議題をテーブルに乗せればいいのです。

 

もっと身近な私の例で言うと、

 

私、禁煙を決意したのですけど、結局、やめられてないんです。

 

タバコなんて、身体に悪いし、お金かかるし、副流煙で周囲の人の迷惑だし、良いことないのですけど、

 

「タバコ吸うと、めっちゃ頭が冴えて、良い気分転換になって、やる気が出てくる」から、

 

私「やめられなかった~(泣)」ってことです。

 

しかし、単にズルズル禁煙しないっていうのは、ぬるいんです。

 

日中起きてる時、その都度、「今、タバコ吸わなくて自分大丈夫か?」と観続けて、

 

まぁ、結論から言うと、「タバコ吸わないと大丈夫じゃない」ケースがあるから、吸い続けてるんですけど、

 

それはそれで良いと、自分では思っています。だって吸わなきゃ、大丈夫じゃないんだから。

 

でも、時々、「あ、タバコ吸いにいこうかな」と思っても、「いや、今は吸わなくて大丈夫かもな?」って時があるんです。

 

そういう風にちゃんと「観て」、もし大丈夫なら、「吸わない」っていうのがとても大事だと思います。

 

一瞬の、煌めきのような「あ、タバコ吸いにいこうかな」の衝動に対して、

 

「付き合いすぎない」っていうことです。

 

無視して良い衝動っていうのはありふれているので、それといちいちペア組んで踊る必要はないです。

 

結局、生理的な欲動とか、ふとした不安とか、ふとした怒りとか、

 

すべて、「あなたの保全のためのシステムの一部」ですから、

 

大局的には、「自分が大丈夫なら、それでいい。何も対応しなくていい」のです。

 

もし「大丈夫なのに、妙な衝動・欲動が生まれたら」、それはバグです。

 

人間は半分動物なので、そういうバグもあります。本能が現代社会に対応しきれていないってことです。

 

バグ(無視して良い本能からのシグナル)はあってもいいし、放置でもいいのですが、

 

「そのバグと積極的に手を取り合ってダンスする」のはまずいってことです。

 

「無視」でいいのです。

 

これ書いている今も、AM1:00ですが、「そろそろ寝た方がいい時間」です。

 

「寝ないと、明日の活動的に大丈夫じゃないかもしれない時間帯」です。

 

でも、目が覚めていて眠くないので、日記を書いています。さらには、「ちょっとゲームでもしようかな」くらいの余力があります。

 

ここで「観て」みます。

 

「このまま1時間くらい、起き続けなきゃ、自分は大丈夫じゃないのかな?」

 

「起き続けなくても(=寝ても)大丈夫じゃない?」

 

→答え・・・「寝ても大丈夫」

 

→だから取るべき行動は、「寝る」(それで大丈夫)です。

 

寝ます!おやすみなさい。

 

おわり

論理の積み順-決定論的と逸脱的

論理というと、理性の領域で、感受性や感情には通じない、と思っていましたが、

 

感受性や感情にも歴とした論理は貫いている可能性は高いです。

 

その論理が、かなり複雑で、物質世界の自然界のイージーなロジックと比べて、おそらく複雑で精緻な論理が貫いていると思います。

 

で、理性と感情のどっちの論理が強いか?、優位か?については、さて置いといて、

 

どっちを基礎に置くか、という点がけっこう重要になってきます。

 

論理Aの上に論理Bを積み重ねるのか、それとも逆で、論理Bが「基礎」で論理Aが「上部」なのか、という問題です。

 

これによって、行動の背景が正反対になったりします。つまり、行動の質が変わってくる。

 

感情の論理を基礎としての「あなたが好きです」のセリフと、

 

理性の論理を基礎としての「あなたが好きです」のセリフ。

 

この2つは、言葉だけ宙ぶらりんにして意味を問えば、「同じ意味」ですけど、

 

背景が異なっていますので、「違う行動」になってきます。

 

女性の「愛してる」と男性の「愛してる」の背後関係の意味が異なるように、です。

 

これを「決定論」と「そこからの逸脱」の対比で見てみます。

 

一般的な人は、あるいは「大人」の人は、

 

基本的に「すべての物事は『大いなる他者』によって決定されているんだ」という発想をすると思います。

 

慶應高校が甲子園で優勝したときも、主将の子は「優勝できたのは、野球の神様が・・・」という言い方をしていました。

 

勝てるかどうか、それは自分では決められない、「決定論的」であって、

 

そこから「逸脱」しすぎるとやばい、でも、逸脱しても許されたら愛されてると感じるし、サボれるしめっちゃ嬉しい、良い逸脱をしていきたい、それが人生の醍醐味。

 

っていう発想だと思うんですよ。私の推測ですが。

 

これって、人間の感情からすると、自然なんですけど、

 

決定論」を基礎論理として、その上に「逸脱」を構築しているんです。

 

客観的に評価すると、こういう精神構造によってもたらされる行動原理としては、

 

「高確率で、一定水準以上、逸脱する」と確定します。

 

「はい、私は逸脱しますよー!逸脱しまっせ~!許してね!」っていうモデルになります。

 

精神構造がそうだから、行動原理もそうなっちゃうんです。

 

つまり、アメリカ横断ウルトラクイズの○✖クイズで、「✖」の方に走っていく人ですね。

 

これは、行動を起こす前から、「確定してしまいます」。

 

私はそれをやりたくないんですよね。だって自分から「✖」に行きたくないですから。

 

「○」の可能性を自ら消す必然性と動機がないです。

 

なので、私の精神構造はどうなっているかというと、

 

「逸脱」を基礎として、「決定論」をその上に構築しています。

 

これって、ぱっと見、

 

逸脱である「✖」を基礎としているので、ダメなように思えますが、

 

行動原理としては、「がんばって、決定論に寄せていく」というものになります。

 

行動が、ある側面において、良い意味で洗練されていくんですね。

 

ただ、基礎が「✖」なので、結果としては「✖」なんですけど、

 

限りなく「○」に近い「✖」になるんです。

 

簡単に言うと、「最初っから『完璧』は諦めて、ダメであることを自ら認めているけれど、限りなく○に近い洗練された✖を追求する」という行動原理になるのです。

 

客観的事実としては、私は明らかに「✖」です。どうあがいても。

 

それは、「事実に即している」、よって、私にとっての「最善」となる、

 

というカラクリです。

 

あと、根源的に自分が「✖」なのはいいけど、自ら進んで「✖」に走って行きたくない、という希望もあります。自滅してどうする?ってことです。

 

このように、

 

一番下の論理の基礎と、そこから何を積み上げていくのか、その「順番」によって、

 

人間としての性質が全く異なってくる、ということです。

 

性質が異なっている人間それぞれの「アウトプット」だけ見ても、この構造には辿り着けません。

 

先ほども言いましたが、

 

Aさんの「自民党を支持します」と、Bさんの「自民党を支持します」は、背景・・・つまり行動原理が異なっているもの同志が、たまたま「同じアウトプットをした」という可能性がめちゃくちゃ高いので、

 

アウトプット基準で、人の性質を測るのは無理がありすぎるのです。

 

この情報は、論理の世界では、ある意味「当たり前」のことですが、

 

この「当たり前」を、学があっても、けっこう平気で無視している人が多いので、

 

私は「どうなってんの?」と不思議に思います。

 

あなたの基礎はなんでしょうか?

 

それによって、確定してしまうことがある事を、知っておいたほうが良いと思って書きました。

 

これは良いアイディアだと思います。

 

おわり

日記の方針転換

今まで私は自我による、精度の高い解釈・意思決定を専門的にやってきたある種の「極性」という自負があったので、

 

日記でもその志向を重視した趣旨の内容を書いてきました。

 

しかし、先ほど、あるプロセスを踏んで、より正確な方針を得た(これも思い込みである可能性はありますが)ので、新たな日記の方針を記述しようと思います。

 

①私たちの宇宙は、全体としてある機能性を求められている

「何の機能か」については具体的な明言は避けますが、

 

この世界(ALLではなく、私たちが所属している部署の括り)は、ある機能を有しています。

 

よって、現時点では「個人が自由勝手に、欲望追求する」というゲームではありません。

 

前にも書きましたが、例えば「洗濯機」のような機械装置としての世界に、私たちは住んでいるということです。

 

その機能性を、一定水準以上に維持しつつ、効率的に機能し、正常動作することが求めれています。

 

その部品として、個人は生かされているわけですが、

 

その際、私のように「手動で、責任を持って、意思決定する」という路線は、それはそれでダメじゃないですが、

 

まだそれに慣れていない人は、前述した機能性を発揮するという観点でいうと、方向性がバッティングする恐れがあります。

 

よって、大多数の人は、すでにある意味「指示待ちで動く」スタイルだと思うので、その方が好ましいと言えます。

 

今まで通り、上を信じて、与えられた職責を果たしてもらうことを希望します。

 

上も、「人間を思い通りに支配してやろう」という強権振りかざしスタイルというわけではなく、

 

世界の機能を実現するという目的を果たす、その観点から、厳しい指示をしたり人間に負担を強いたりしているので、

 

疑ったりせずに(私が最も疑ってる奴だったかもしれませんが)、同一の目的を共有して、同じ方向を向いていくのがベストだと思います。(永遠にそれがいいかはわかりませんが、とりあえず数十年スパンでの見込みはそうです)

 

②私の日記の方針変更

これからは、何かの精度の高い視点を提供するのではなく、

 

誰かに、あるいは社会にとって役立ちそうな、思いついたアイディアとかを発信していこうと思います。

 

アイディアが思い浮かばないときは日記は書かないと思います。

 

このアイディアは、本当にただのアイディアなので、政治的な意味は含んでいません。

 

捨ててもいいし、拾ってもいいし、もし拾って頂いたら私は「役に立てたな!」とシンプルに喜びます。

 

こんくらいですね。

 

最近は変化が大きいし、破滅的なプレッシャーもかかってきていると思いますが、

 

より長期的なスパンで見ると、地球は「他と比べてマシな」環境になっていきます。

 

なので、「今までのマシじゃなかった環境」に適応しすぎた人は、多分、迷い人になっていると想像しますが、

 

実は、「世界が求められている機能」というのは、1ミリも変わっていません。

 

状況は変わっているように見えるけど、実はゲームルールは同じなんです。

 

なので、基本がわかっていれば、実践をチェンジすることは可能です。

 

この点に関しても、「上を信じて」「世界の機能性を維持しよう」という志向で、普通に群れに付いてくればいいと思います。

 

これは私(現在41歳)より年上世代くらいの人に対して言っています。

 

「肝心な機能ってなんだよ?」と思われるかもしれませんが、

 

その正解は他者から与えられるものではなく、自発的に気づくべきものです。

 

正解を教わって→ただそれに従うだけ

 

では、危険性が高いからです。危険を避けるために、自力で見いだすしかありません。

 

私が思ってる「機能」も、「そもそも今回書いてること」すべてが思い込みの勘違いである可能性はあります。

 

ただ、私はより広い情報世界を扱っているので、「たぶんそうだろうな」と7・8割の確信をもって判断しているというだけです。

 

地球はこっから先30年くらい、がんばってロスなく移行期間を乗り切りましょう。

 

おわり

AI利用ガイドライン

ちょっと前のヤフーニュースで、

 

NTTとあともう他一社の研究グループが

 

「現時点では人間にはAIを制御できない」

→厳しめの規制が必要

 

という(あんまり覚えてないので大雑把すぎますが)提言を出したという記事を読みました。

 

SNSは一般に普及して、皆に「拡声器」機能をもたらしましたが、

 

AIは一般に普及すると、皆に「長槍」機能をもたらすものだと思っています。

 

大声で叫び、長い槍をぶんまわす人類が何十億人生まれるということですね。

 

なので、交通整理ができていない状態で普通にAIをリリースすると、

 

「野戦」もしくは「攻略戦」が始まり、被害者も出ることでしょう。

 

そういう意味では、NTT社の「現時点でAIは制御できない」っていうのは、正しくて、

 

そういうリスクを事前に検討して、考えて、警告を出してくれることはとても助かります。専門家の方々、ありがとうございます!

 

私もAIのこととか、ぼんやり考えますけど、

 

影響がとこまで波及するのか、どのくらいのインパクトなのか、副次的に何が起こるのか、

 

とか細かいところまでシミュレーションしませんので、

 

リアル志向で、「一体何が起こりうるのか」を計算する人、できる人はとても貴重なキーパーソンだと思います。

 

AIによる影響の「予測」→「対策」→「実行」のプロセスプログラムが、常駐的に動くような体制を取って頂けると、非常にありがたいです。

 

私もAIを使うことで、被害に遭う、とか道を踏み外す、とかあんまり見たく有りませんので。

 

私の考えとしては、

 

AIは長槍ということなので、

 

「AI使用目的別規制」が良いと思います。

 

例えば、「動画生成」と「政治ジャンル」のカップリングを検知して、

 

「そのカップリングは規制対象ですので、動画データおよび、作成元であるあなた(ユーザー)の個人情報を当局サーバーに送信します。よろしいですか?」

 

みたいなポップアップを出す、とかの抑止規制ですね。

 

そうすれば政治家をモデルにしたフェイク動画は、「作れるんだけど」「作者は警察当局にマークされる」→「お縄にかかる」

 

っていう。

 

なんかの映画とかをAIで作成するときに、「架空の米大統領」とかの役を出したいときもあるので、

 

それはいいでしょうと。実際のリアル政治家のフェイク動画はだめでしょうと。

 

そういう感じで、

 

基本的には、AIを使用するときにユーザー情報登録して、「誰が」「何の画像・動画を生成したのか」について当局が追跡できるようにするのは必要かなぁと思います。

 

こういうことを私が考えているのも、

 

専門家・研究者の方々がAIに対して警鐘を鳴らして頂いたことがきっかけです。

 

みんなで考えて、長槍をエンタメ分野とかでズンズン楽しく突くことができたらいいなぁと思います。

 

おわり

政治を変える方法

自民党政治に不満を持っている人は多いだろうけど、

 

政治って確実・簡単に変わる方法ってのがあって、

 

それは、「自分(だけ)が変わる」ってことなんですよね。

 

「自分(だけ)変わる」×総人口で、確実に政治は変わります。

 

なので、「他人や他の群衆はどうあれ、自分だけはまともになろう」

 

と思って、

 

それを行動に移せば、いいだけです。

 

でも、「自分だけ変わっても」

 

「その力は微弱だし」

 

「権力構造と齟齬が出たら、叩き潰されるリスクがあるし」

 

→「大人しくしとくか・・・」

 

っていう問題があると思います。

 

ここでも、私は「それでも自分だけがまともに前進してたらそれでいいや」と思っています。

 

前提として、「自分の都合のいいように周りが合わせてくれる」とは全く期待してないからです。

 

要は「自分がまともに前進していること」=「自分の問題をこなしていくこと」が最重要であって、

 

もし他の群衆がその流れに沿ったら(時代が自分に追いついたら)、

 

「たまたまラッキーだな」ってだけです。

 

自分の行動の変化ひとつで、「大どんでん返し」を期待するのは無理筋です。

 

「でも、その大どんでん返しを期待してるんだよ!」

 

っていう人もいるかもしれません。

 

そうなのか・・・そりゃ無理筋ですね。

 

ただ、「自分がまともに前進できているなら」

 

周りも、「もしまともに前進するのであれば」

 

確実に行動のハーモニーというか、「協調一致」は現れるので、それほど遠い期待ではないと思います。理論上は。

 

それに、例えば政治が江戸時代スタイルみたいで周回遅れのように見えても、

 

ハーモニーの低音(江戸時代)と高音(令和時代)みたいに、時代を超えて、調和するってあるんです。

 

「あんたら江戸時代は、音が低いな!オレはもっと高音域だぞ!もっと高音域出してよ!」

 

っていう主張って、けっこう的が外れてて、

 

別に周波数が違くても、連携ががっちりハマることは可能です。

 

そういう操作は難しいですけど、

 

理論上は可能なので、

 

低音部隊はよりよい低音を追求してもらって、

 

高音部隊もよりよい高音を追求して、

 

調和を生み出すような、そんな世界観に憧れています。

 

パワーで他を圧倒する方法論ばっかりだと、不調和音になってしまうかもしれません。

 

私は「あなたと私たちは同じ?仲間?」ゲームにはあんまり興味ないので、

 

世代間のギャップを認めつつ、尊重しあって、

 

「いろんな奴がワイワイがやがや」「調和してる」ような感じが好きです。

 

実は、その調和って、常に、すでに実現されているのかもしれませんね。

 

結局、自分が前に進むんで、行動が変われば、

 

おそらく他も動き出す=「調和へ向かう」って成るのだと思います。

 

これは希望的観測かもしれませんが。

 

ということで、私は自民党を応援しています。

 

岸田さんは批判の的ですけど、

 

かなりきつい状況下で、大変そうだな、と陣中見舞い申し上げたいです。

 

調和って、なんか、リラックスして成立する楽しいイメージがありますが、

 

「やばいときこそ調和を」っていうカウンターを入れるべきですね。

 

どれだけ(敵かもしれない)相手を信じられるか、

 

自分を信じられるか

 

っていう勝負だと思います。

 

信じられないのであれば、衝突もアリだと思います。

 

「自分の利を勝ち取るために、都合の悪い相手をたたき伏せよう」っていうんじゃなくて

 

「お前の調和しようとする意思を見せてみろ!」っていう

 

確認のための衝突ですね。

 

こちらが本気でぶつかれば、大抵の場合は相手も本気で応えてくれると思います。

 

逆も然り。

 

同じ衝突でも、背景が異なれば、効果は天と地の差がでます。

 

太平洋戦争は、日本が「死んでもいい」と思ったから、失敗だったと思います。

 

私も「地獄行きでもしょうがない」と思って行動しますので、

 

これは良くないなぁと反省しました。

 

でも、地獄行きでも、がんばって耐える気はある(頓死する気はない)んですけどね。

 

前提として、存在することって、かなりやばいことですので、

 

まぁ自分の力量だと、いつ消されてもしゃあないわなっていう諦観もあります。

 

その諦観の層は100%じゃなく、常にうっすら10%くらいの薄さである感じです。

 

基本は「生き残る」が是で、

 

みんな「生き残りたい」んだから、できるだけ潰し合いはせずに、

 

調和路線を追求した方が私は楽しいです。

 

という特に強い主張もない、徒然なる言葉を垂れ流してみました。

 

次回からまた何かの良いところを褒めようと思います。

 

おわり

Amazon

私の日記は、けっこう破壊的な傾向があるので、

 

「そうだ、とにかく何かを褒める内容の日記なら比較的安全だろう!」

 

と思って、基本的に何かを批判するのではなく、良いところにスポットライトを当てようと思いました。

 

私は英文読み込みの趣味をチコチコ続けているのですが、

 

その教材として、アマゾンの電子書籍読み放題の「Kindle Unlimited」(月額980円)を(まずは1ヶ月分だけ)利用しています。

 

指定の電子書籍のみ、読み放題なのですが、

 

英文読解の本が、かなり充実していて、とても満足しています。

 

最初は英文の小説にあたってみたのですけど、和訳がついてないので、

 

最初は、和訳付きの「短編小説集」や、「英文集100選」とかから始めています。

 

わからない単語がある→辞書を引く

 

を繰り返しているので、こういう教材はとても助かります。

 

私は、学生時代にセンター試験で英語120/200点くらいの学力しかないのですが、

 

意外と知らない単語でも「この単語(や言い回し)見たことあるなぁ」と、うっすら覚えていて、

 

英文を読み込みながら、新しい単語の意味に触れたりして、「フロンティアを開拓してるなぁ」という驚きと喜びを実感しています。

 

無職になってから、「苦手なこと」にもチコチコチャレンジしていてわかったのですが、

 

自分が苦手な分野を進むに当たっては、

 

「最初は超スロー」っていうのは鉄則のようです。

 

最初から、スムーズにどんどん上達できたら、楽しいと思いますが、

 

初級者から始めた場合は、必ず、遅行運転になります。

 

「一歩ずつ」どころか「半歩ずつ」くらいのイメージです。

 

で、そのスタートダッシュの停滞期を、焦らず、コツコツと継続していると、

 

知ってる単語が増えてきて、

 

「あっこの単語(言い回し)、前に覚えたやつだ!」

 

となってくると思います。

 

そうなってくると、学習習熟度の曲線グラフ(横軸:時間 縦軸:習熟度)が、

 

底辺を這っている状態から、ググッと、上昇傾向に乗ってくる感じです。

 

それはトラック運転ゲームの練習で、体感しました。

 

最初は下手でも、ある一定の技術がついてきたら、上手くできて楽しくなってきて、どんどん上達する、みたいな展開です。

 

最初からその体(予定)でやっていれば、

 

挫折を回避しやすいと思います。

 

そういう意味では、初学段階においては、

 

「いかに良好な学習環境を作るか?」ってことが重要になってくると思います。

 

私の英語読み込みの場合は、

 

・難しすぎない、ちょうど良い難易度の英文に当たる

・正解の和訳が付いている英文を読む

・短い多彩な文章を、数多く読み込む

・英和辞書を用意する

 

っていう環境づくりをしました。

 

まだ結果はでていないのですけど、

 

「上手くできなくて停滞している分」疲れも溜まりやすいので、

 

できるだけスムーズに、負荷が少ないように、半歩ずつ歩み続けられる環境作りって

 

大事だなぁと思います。

 

そういう意味で「Amazon Kindle Unlimited」は、月額980円で十分にお買い得な、良サービスだと思います。

 

Amazonの良いところは、「充実した品揃え」と「商品の一覧性が高い」点だと思います。

 

色んな商品の中から商品を選ぶので、お客が自分にマッチした商品に「たどり着きやすく」、購買意欲や、満足度に繋がっていると思います。

 

こういう点は、ITの優位性を、うまく活用できてる理想的な「物の売り方」だなぁと思い、この世にAmazonがあることに感謝しました。

 

Amazonが提供してくれている英文読み込みの良環境によって、

 

英語が上達したら、そのことを日記で周知して、「こんなにAmazonnに助けられました!」と報告しようと思います。

 

ここまで書くと、Amazonの手先みたいになっていますが、

 

消費者として、誇張なしの本心からそう思います。

 

こういう良企業のおかげで、英語学習だけではなく、「あらゆる趣味にとっつきやすくなってる」側面はあると思います。

 

もしよかったら、「今までやったことのない趣味」を見いだしてみてはいかがでしょうか?

 

楽しくステップアップする体験はプライスレスです。

 

Amazon、イイネ!