「内省」というと、「自分はこんなにダメだなぁ」とネガティブになるイメージがありますが、実はけっこう簡単なんですよ。
要は、「自分は」→「良い」or「悪い」って判断をあんまりする必要がないのです。
内省は、自分を「観る」だけ、ひたすら繰り返して「観続ける」だけで十分成立します。
ただ、観るポイントとしてひとつ「不動の」判断軸があります。
それは「自分は大丈夫かどうか?」です。
例えば、買い物帰りで道でコケて、ヒザすりむいちゃった。
「いった~、やばいな」
そこで自分を観るのです。「自分は大丈夫か?大丈夫じゃないか?」
「とりあえず、血は出てるけど、擦りむいただけだ」
「買い物袋も、転がってるけど、とりあえず無事みたいだ」
すると「じゃあ、大丈夫だな」って判断ができます。
なぜこの内省・・・「何かあったら都度、観る」ことが大事かというと、
「本当は大丈夫なのに、『大丈夫じゃない』と判断して、余計なことするケースがとても多い」からです。
余計なことして、「大丈夫なのに」「新規に問題が増えたり」するのです。
これは「自分を保持する」という観点から言うと大きくマイナスです。
例えば、「隣国が軍事力を増強した」という事実があった場合、
自分は「不安に」なりますよね。戦争おっぱじまったらどうしよう?戦って負けたらどうしよう?って。
そんで、「自分の国も、軍事力上げなくっちゃ、核兵器持たなきゃ」とか余計なことをしてしまいがちです。
でも、よくよく考えたら軍事力が不均衡なケースの方がありふれているし、
相手は「帝国ってわけじゃないから」「まだ戦争になると決まったわけではない」ので、
「自分の国は、大丈夫だ」という判断で、安心して対応ナシでいいのです。
「なんか、やべぇな~」と不安になるのは全く問題ないし自然ですが、行動として、「具体的に対応する必要がない場合は、対応すべきではない」という意味です。
で、なんか諜報活動とか情報分析とかやって、
「高確率で隣国と戦争になりそうだ」と確定した、
その時初めて、その対応についての議題をテーブルに乗せればいいのです。
もっと身近な私の例で言うと、
私、禁煙を決意したのですけど、結局、やめられてないんです。
タバコなんて、身体に悪いし、お金かかるし、副流煙で周囲の人の迷惑だし、良いことないのですけど、
「タバコ吸うと、めっちゃ頭が冴えて、良い気分転換になって、やる気が出てくる」から、
私「やめられなかった~(泣)」ってことです。
しかし、単にズルズル禁煙しないっていうのは、ぬるいんです。
日中起きてる時、その都度、「今、タバコ吸わなくて自分大丈夫か?」と観続けて、
まぁ、結論から言うと、「タバコ吸わないと大丈夫じゃない」ケースがあるから、吸い続けてるんですけど、
それはそれで良いと、自分では思っています。だって吸わなきゃ、大丈夫じゃないんだから。
でも、時々、「あ、タバコ吸いにいこうかな」と思っても、「いや、今は吸わなくて大丈夫かもな?」って時があるんです。
そういう風にちゃんと「観て」、もし大丈夫なら、「吸わない」っていうのがとても大事だと思います。
一瞬の、煌めきのような「あ、タバコ吸いにいこうかな」の衝動に対して、
「付き合いすぎない」っていうことです。
無視して良い衝動っていうのはありふれているので、それといちいちペア組んで踊る必要はないです。
結局、生理的な欲動とか、ふとした不安とか、ふとした怒りとか、
すべて、「あなたの保全のためのシステムの一部」ですから、
大局的には、「自分が大丈夫なら、それでいい。何も対応しなくていい」のです。
もし「大丈夫なのに、妙な衝動・欲動が生まれたら」、それはバグです。
人間は半分動物なので、そういうバグもあります。本能が現代社会に対応しきれていないってことです。
バグ(無視して良い本能からのシグナル)はあってもいいし、放置でもいいのですが、
「そのバグと積極的に手を取り合ってダンスする」のはまずいってことです。
「無視」でいいのです。
これ書いている今も、AM1:00ですが、「そろそろ寝た方がいい時間」です。
「寝ないと、明日の活動的に大丈夫じゃないかもしれない時間帯」です。
でも、目が覚めていて眠くないので、日記を書いています。さらには、「ちょっとゲームでもしようかな」くらいの余力があります。
ここで「観て」みます。
「このまま1時間くらい、起き続けなきゃ、自分は大丈夫じゃないのかな?」
「起き続けなくても(=寝ても)大丈夫じゃない?」
→答え・・・「寝ても大丈夫」
→だから取るべき行動は、「寝る」(それで大丈夫)です。
寝ます!おやすみなさい。
おわり