【Tips日記】メモって頭の片隅にしまっておくと良い情報

日記でも書こうかな。

 

最近は、合理性のある理性的な判断とかが注目されています。

 

本来なら、その旗振り役を誰かがやって、一大ムーブメントが起こり、何らかの成果(人類史に爪痕という名の歴史を残す)を上げて、

 

その後、滅ぼされて収穫されるという流れだと思うのですが、

 

私は「アンチ再現性」ですし、あんまり意義深くないのでそれはやりません。

 

で、合理的な判断というのも、クリティカルな性質があって。

 

「基礎」となる「何か」がないと、理って成立しないんです。

 

家を建てるのならば、そもそも地球の地面がないと話にならない。

 

地面がないのならば、家は建たない(普通は)。

 

で、私のようにアニマルに、生物としての生を追求している者にとっては、

 

基礎は地球には確かにあるんです。

 

例えば「何か食わなきゃ生きていけない」とか、「生殖して子供を増やさなきゃ絶滅する」とか。

 

そういう、基礎的な要素があるので、そこで初めて「生物としての合理性」というものが生まれて、

 

人間が持っているような肥大した脳みそを使って、ブイブイ言わす、という方向性も、「生物としては」アリアリのアリです。

 

ただ、もっと世界をプレーンに捉えると、

 

そもそも「合理性を生む土壌となる」「基礎」って、無いんです。

 

宇宙空間に放り投げられてるような、フワフワした世界が、ありのままのプレーンな捉え方です。

 

で、「基礎がない」状況で、例えばめっちゃ暴れまくってる巨体の生命体が仮に存在していたとしたら、

 

「おっ、こいつ(巨体)活きがいいし、死ぬほど迷惑だな!」「これ、基礎にしようぜ!」

 

みたいなことは「できるんです」。

 

勝手に、「これを基礎にするよ~ん」と指定して、勝手に論理を構築することも、やろうと思えばできます。

 

そして、その論理を極めて複雑に、厳密に構築することによって、

 

「まるで世界がある規則に沿っているように見える」「決定論的な世界だ」と、

 

人に思わせることも可能です。

 

ただ、基本的に、ネイキッドな世界観で言うと、「論理の基礎は存在しない」ですから、

 

そのありのままをありのままに捉えて、人が生きるとすると、

 

「支離滅裂な考えを持ったり、その支離滅裂な考えに翻弄されて実際に行動したり」

 

するのが、普通になります。

 

大局観でいうと、支離滅裂になるのが当たり前なんですね。

 

例えば、「オレは気に入らない奴を痛めつけて攻撃するけど、自分は攻撃されたくないよ!」

 

っていう支離滅裂な考えを持っても、大局的に見ると、普通のことです。

 

よく活きるために経済競争に明け暮れて、結果、自然環境破壊して、そんで結局生きづらくて困ってますねん」

 

みたいな支離滅裂な人も、まったく変ではありません。

 

そもそも、規則の元になる論理のベースが、ねつ造に基づいているのですから。

 

ここまで書くと「じゃあ論理やら理性的判断やらは、無為じゃないか」と思う人が多数だと思いますが、

 

大局的にはそれで間違いないんですけど、実践的な面でいうと、世界を論理的に捉えることができると、役に立ちます。

 

例えば数学自体は、文字遊びなんで、そこまで存在意義はないんですけど、

 

数学の中を貫いている論理・・・一般的に「真理」と呼ばれるものに慣れ親しんでいると、技術として役に立ちます。

 

私とかは、自分が「生物」であることをあまり疑うことができてませんので、

 

例えば「家計が破綻しないように」「セブンコーヒー毎日飲みまくるの規制しよう」とかの判断が、生きる上で非常に役に立っているということです。

 

で、世の中には「自分は生物としての人間じゃない」「もっと大いなる存在の一部であり、その一片として、天命に従う存在だ」

 

みたいな世界観を持っている人も少なくないようで、

 

そういう場合、ビッグモーターの元社長のように「ゴルフボールで客の車を傷つけるなんて、ゴルフへの冒涜だ」みたいな支離滅裂な態度が出ることも、いいんですけど、

 

私なんかは「いやぁ~生物卒業できたんだ~なんかフィクションみたいだな~」

 

と「なんなんだこいつ」的なギャップを感じます。

 

ということで、「地球の大地に足が付くことを信じている人」や、「経済観念がないと、借金地獄になって、それが嫌な人」とかは、

 

とりあえず、「生物としての自分」というレイヤー(層)も残して、カードとして持っておいて、

 

いざというとき(例えば少子高齢化で人手が圧倒的に足りないなどのシチュエーション時)は、合理的に考えるのも悪くないと思います。

 

で、最初に書いた通り、ありのままの世界観においては、

 

合理性の基礎となるものが「存在しない」ので、

 

大局的には「支離滅裂」でOK、というか、論理側がねつ造・フィクションなのでどうしても「そう見えちゃう」ということを踏まえておいて、

 

支離滅裂と合理的一貫性の、両刀使いで、

 

より自然なのは「支離滅裂」の方で、

 

って感じで押さえておけば、この論点に関しては、いいんじゃないかと思います。

 

今、私は「ねつ造合理性ごり押しお祭りフィーバー→悲劇の収穫祭」みたいな流れをキャンセルしようと思ってこれを書いています。

 

多分この方が意義深いでしょう。

 

圧倒的先回りです。ねっ速いでしょう(えへん!)。

 

合理性を洗練させると、こういう技も使えるようになります。

 

ただ、この日記の影響力が少ないと意味ないかもしれませんが。

 

もし読んだ方がいれば、頭の片隅にインプットしておくと良いと思います。

 

おわり