ツイッターで、成田さんが
「勤勉と言われた日本人の平均労働時間は、実は今やスペインやイタリアよりも下位になっている。日本人はがむしゃらさを忘れたのかもね。」
という趣旨の発言をされたようです。
これは私の向かいたい方向と一致しているので、援護射撃なのか、たまたま一致したのかわかりませんが、ありがたい発信です。
より細かいことを言うと、
「がむしゃらにがんばる」こと自体は、ある意味「無理やり」に強制されたり、自律したりすれば実現すると思います。
しかし、より効率性を追求するのであれば、「がむしゃら」の質を追求すべきです。
なにやらハードル上がっているように見えますが、
「質の良いがむしゃら」を選択し、「質の低いがむしゃら」を棄却することは、
トータルで見ると、遙かに「ラク」なのです。
道中も「ラク(楽しい)」だし、十分な成果も付いてきますから。
では「質の良いがむしゃら」を実現するにはどうすればいいかというと、
「状況認識」を正確にすることです。
ただ、これは非常に難しい場合が多いようです。
私は、おそらく世界トップレベルのがむしゃらをやりましたが、実は、非常に怠け者でもあります。
なぜ怠け者が、がむしゃらにできたかというと、
①生物として強くならなくてはいけない
②情報系のスキルに特化したモデルとして自分で実験するのが良い
③実験する以上は、自分に糧となる負荷を「壊れるギリギリ寸前」までかけないといけない
※ただし、実験体(私)が壊れてしまったら実験失敗なので、そのロスは避けるべき
という状況認識を持っていたからです。
怠け者でも、「正しい状況認識」という「檻」を設定することで、(他者からの強制による『やらされ』ではなく)質の良い「がむしゃら」が実現します。
ちなみに「生物として強くなるべき」「情報系のスキルを高めるべき」という状況認識は、当時(1990年代)においては「正しい状況認識」だった、と今でも思っています。
多くの人は、「自分はそんなにすごい人じゃないから」と、
謙遜している体を取ったり、
「偉い人に大人しく従って家畜を演じる」代わりに、
「もらうもんはもらうよ(それで生活守るよ)」
という「ハードル下げ」をしますが、
すごい人だろうが、ゴミクズのようであろうが、怠け者であろうが、
そんなことは問題ではなくて、
状況認識の方を、ちゃんとやった方がいいんです。
正しい状況認識をすれば、自然にがむしゃらにならざるを得ないことの方が圧倒的に多いです。
もしも正しい状況認識をした上で、「怠けてもいいな」という判断をしたのなら、それはそれで何も問題はありません。
今の、世界の状況を、世界が広すぎるなら日本の状況を、日本が広すぎるなら所属している会社の状況を、正確に把握すると良いと思います。
ただ、情報系をかなりやり込んできた私から見ても、
状況って見えにくいんですよね。わからない。見えない部分の方が95%以上ある。
私は最近は「見えないものを想定して」「意志決定しなきゃいけない」状況で、「これ無理だろ(判断材料足りないだろ)・・・」という感想をよく持ちますが、
それでも「やるしかない」状況だと思っているからボチボチやっています。
だから難しさもあるんですけど、
「できないからやらない」とかじゃなくて、
とりあえず「やってみる」のが良いと思いますよ。
状況認識の正確性上げて、損するケースといえば「夢が壊れる」くらいですから。
「もう夢の中に生きるんだ」と決めてしまっている人は、この提案は無視して貰っていいですが、
地に足着けて生きたいのであれば、状況を正しく見て、その「檻」のなかで、適切にもがくことができるようになった方が、
みんなにとってベネフィットがある、と思います。
他者が作った「檻」に閉じ込められるのではなく、
自分で自分の「檻(現場)」をメイクアップしていくイメージです。
これは、「優れている人がやるべきこと」でも「弱者がのし上がるためのメソッド」でもありません。
個体の能力とか資質とか、関係ないです。
「眼前に広がる世界を」「あなどるか、それとも信じるか」のテーマです。
伝わるかな・・・。まぁただの情報ですから、いつも通りの日記です。
おわり