わざ技

最近は、頭でっかちで生きるのも一方的なので、身体主体ですごすことを試しています。

 

やってみると、何も考えなくて良いし、健康志向になるし、とにかく「ラク」です。

 

頭でっかち時に、抱えていた重い荷物が軽くなったような感覚。

 

こういうカードも切れた方がいいと思いました。

 

今回の日記のテーマは「技」ということで、簡単な技を紹介します。

 

例えば、「○○したい」「○○ができるようになりたい」と思ったとき、

 

その理想状態の解像度が低いがために「具体的に何をしたらそこにたどり着けるのか、わからない」というケースは多いと思います。

 

そういうときは、逆の発想をして、

 

「○○が絶対に達成できない状態に持って行くにはどうすべきか?」を考えます。

 

行きたい方向の逆に向かう志向なので、「嫌」でしょうけど、考えるだけなので安全です。

 

例えば、「カラオケで歌が上手くなりたい」と思ったら、

 

その逆の「カラオケで確実に下手に歌うにはどうするべきか?」を考えます。

 

<カラオケで確実に下手に歌う方法>

・発声時に喉を絞めて、苦しそうに歌う

・とにかく大声で、やかましく歌う

・ナルシストっぽくかっこつけて歌う

・歌を聴いている他の人のニーズを無視した選曲をする

 

こんな感じですね。

 

もちろん、下手に歌うためには、「音程を外す」とか「リズムを乱す」とか「一本調子で歌う」もありますが、

 

こういったわかりやすい要素の他にも、「下手に歌う方法」は多くあることに気づくことができます。

 

「あれ、私って、歌が上手いってことがどういうことか、よくわかってなかったんだ」と、良い気づきを得ることができるということです。

 

そして、上記に列挙した「カラオケで下手に歌う方法」は、理想像の逆方向ですから、

 

理想像「カラオケで上手く歌う方法」に向かうためには、「下手に歌う方法」の逆に行けばいいわけです。

 

<カラオケで確実に下手に歌う方法>

・発声時に喉を絞めて、苦しそうに歌う

→(逆)喉に負担をかけずに、ラクに歌う

 

・とにかく大声で、やかましく歌う

→(逆)聴きやすい声量で歌う

 

・ナルシストっぽくかっこつけて歌う

→(逆)気取らずに、自分らしく歌う

 

・歌を聴いている他の人のニーズを無視した選曲をする

→(逆)聴いている人も楽しくなるような選曲をする

 

これらを見ると、歌って「聴いている相手あってのことなんだな」とわかるようになります。

 

それがわかると、

 

じゃあ「音程」も「リズム」も「抑揚」も、聴いている人を楽しませるための「手段」なんだな、と気づくことができます。

 

単に、五線譜の音符通りに音程をハメるように歌唱するのではなく、

 

そのメロディーが持つ美しさとか、意匠を上手く表現することが、「音程を合わせて歌う」ということなんだな、と理解が深まります。

 

このように例では「カラオケ」を挙げましたが、

 

この「逆方向の逆を行く」=「理想像に近づく」技は、何にでも適用できるし、便利です。

 

ちなみに、わたしはカラオケが好きですが、今書いてて初めて気づいたこともあります。

 

けっこう、聴いている相手の好みを無視して、「エアーマンが倒せない」とかを(無駄に)一生懸命叫んで歌ったりしているし、

 

派遣社員時代のカラオケ同好会とかでは「喉締めで歌う」ことを主眼にしてたり、けっこう歌が下手でしたし、今もそんなに上手くありません。

 

そういう「自分勝手な」態度が、今、「これは下手だったんだな」と理解が深まったということです。

 

もう一つ例を挙げると、

 

例えば「ロシアのプーチン」みたいな悪魔っぽい人からの攻撃を避けたい、と思ったとします。

 

その逆方向は「プーチンから必ず攻撃を受けるような人になる」です。

 

これってけっこう面白いですね。

 

プーチンから攻撃されるのは、誰だって嫌ですので、どうしても「避けたい!避けたい!」というマインドに傾きがちになりますが、

 

逆に、「確実にプーチンに目を付けられるような人になる」のはけっこう難しいですね。

 

ひとつは、

 

プーチン政権に反抗しようとする

 

という簡単な方法がありますが、

 

ここでも、カラオケの例のときと同じように、「実は私ってよくわかってなかった」気づきを得られそうな気配がします。

 

プーチンが攻撃する人というのは、どういう人でしょうか。

 

例えば、

 

・人との信頼関係を大事にする

 

とかですかね。

 

もっとわかりやすくいうと

 

・人との信頼関係が築かれてないと、生きていけない

 

そういう「良い人」が、餌食になりやすいです。

 

なるほど、プーチンは、「良い人アタッカー」なんだな、という側面に気づくことができました。

 

じゃあ、プーチンからの攻撃を避けるためには、どうすればいいかというと、逆をすればいいのです。

 

「自分が人を騙す悪い人になる」あるいは「良い人アタッカー」になればいいとわかります。

 

自分がプーチンと同類になればいいということですね。

 

「なるほど、こりゃ良い気づきを得たぞ!」

 

と思い、行動に移す人もいるかと思いますが、

 

突っ込みを入れると、

 

プーチンからの攻撃を避けるためだけのために、失うものが大きすぎません?」と私は思います。

 

いや、とにかく悪魔っぽい人からの攻撃を避けることが最優先だ、絶対にそれは避けなきゃいけないんだ、というならばいいのですが、

 

それが「理想像」って、一体、どれだけ日頃恐怖に包まれているんだろうと思ってしまいます。

 

マジで、その恐怖に包まれまくっているのであれば、「悪い人になって」「良い人にアタック」しても正着になりえますが、

 

そもそも、その「理想像」って、本当に望んでいることなの?という哲学的な気づきも、またありえます。

 

自分が掲げたお題自体への、懐疑です。

 

いや、プーチンみたいな悪魔っぽい人からの攻撃を避けたいんじゃなくて、本当は、「自分を大事にして、愛されたい」だけなんじゃないの?

 

という気づきも、ありえます。

 

実際にそれが本心かどうかは、人によると思いますが、

 

ここで私が何を言いたいかというと、

 

「逆方向」の技によって、今まで気づいてなかったことに気づいたり、自分の本心に関わる本質的な事柄にたどり着けるような哲学的な懐疑ができるようになるということです。

 

なので、プーチン対策として、どうしようが、みなさんの自由です。

 

ちなみに、私はプーチンが攻撃してきたら、

 

「見」をして、攻撃の背景を見極め、必要ならば抗戦します。抗戦の必要が無いと判断した場合は、逃げたり、我慢して受け止めたりします。

 

といった感じです。

 

「理想像に近づくために、どうすればいいのかわからない」という人は、こういった「逆方向」の思考を使うアプローチによって、道が拓けるかもしれないという(雑音のような)お話でした。

 

おわり