本田さんの視点

ヤフーニュースを見ていたら、サッカーの本田圭祐さんの主張についての記事がありました。

 

その内容は、「ビジネスでの慣習には無意味なものが多く、これは思考停止によるものだ」といったものでした。

 

無意味なビジネスの慣習とは、

 

例えば仕事メールで、宛先に「様」を付けたり。本田さんは「様」を付けて欲しくないそうです。

 

あとは、あまりお世話になっていない(新規に関わる)会社に対して「いつもお世話になっております」の定型文とか。

 

なるほど、この主張を見て、私が最初に思ったのは、

 

サッカーの本田さんは、「けっこう細かいこと気にするんだな」ということです。

 

別にメールの書き出しで、「ワレワレハウチュウジンダ」とか書いても、いいわけで。

 

要は、こういう所作って、「あなたにメールを送信している私は、礼儀のルールを守る程度の水準に達していますよ」のサインですよね。

 

ビジネスやってたら、門戸を開いているので、変な人もいるから、

 

そういう「問題外」の危険な人を、ふるいにかけるための、礼儀作法だと思っています。

 

この解釈で合ってますよね?

 

私は、作文が好きなので、派遣社員とかやってるときに、内部宛てのメールで

 

「お疲れ様です。○○(名前)です。」

 

とか、書くのが好きでしたね。

 

「おおっ、今、メール打ってるぞ」という感動があります。

 

なぜ感動があるかというと、仕事メールって、打つと必ず「話が前に進む」じゃないですか。

 

確実に、仕事が一歩進むことがわかってるので、

 

メールを定型的な文章で書き始めるときは、「よっしゃ、成果ゲット見込みアリ」と嬉しくなるのです。

 

手紙でも、「拝啓」とか「敬具」とか書くし、

 

冒頭に季節について触れるとかも、一種の定型的な礼儀作法です。

 

「その礼儀・ルールの枠内で」

 

「仕事を進めよう」とか「手紙送る相手を思いやろう」とか、

 

っていう主旨で作文するわけじゃないですか。

 

それを、本田さんは、「その作法が無駄!」「よく考えられていない」と言っているので、

 

私からすると、「おいおい、そもそもその枠組に、そこまでの意味なんて無いし、書いてる私もそこに重大な意味なんて見いだしてないよ」「指摘ポイントが細けぇな!」

 

と、ちょっと「ズコーッ!」という吉本新喜劇のコケをするみたいな感じになります。

 

でもこれって結構興味深い現象で、

 

本田さんの合理性のフィルターを通してみると、

 

ビジネス定型文みたいなものが、「しゃくにさわった」「違和感を覚えた」というのは事実なんだと思います。

 

そういう形式的なものに対して、気に食わない、と。

 

「この部屋、カーテンの柄が暗いから、テンション上がらねぇぞ」

 

みたいな感覚。

まぁ、本田さんの希望どおり、カーテンの柄を変えても、別に支障はないと思うんですけど、

 

ビジネス定型文がなくなったら、それ以外の方法で、変な相手をはじくフィルター機能を持たせる必要が出てくるだろうし、

 

アメリカ人のビジネスメールみたいに

 

「ハイ、ホンダ」

 

みたいなフランクさを出しても、それほどパフォーマンスが上がるとは限らないので、

 

やっぱり、「なんでそこ気になるのかなぁ~」「そこ変えたがるのかなぁ~」

 

と疑問が湧きます。

 

なんなんでしょうね。

 

「定型文を、使ってる自分」は、なんか牢屋に入れられて手足拘束されてる、みたいな感覚を覚えるのでしょうか。

 

うーん、個人の嗜好、好き嫌いの話である気がします。

 

本田さんは投資をよくしていて、ビジネスの世界も良くしたいという熱意があるようなので、「いいぞ!もっとやってほしい」と思っています。

 

ただ、働いてる日本人の思考停止を改善したいのであれば、

 

「こう考えると良いよ」とか

 

「考えるのを止めると、こういう目に遭って自爆になるよ」

 

とか、ひとりひとりに伝えるしかないんじゃないかなと思います。

 

自爆して(会社傾いて)やっと大事なことに気づく人もいれば、

 

会社傾いても「自分に責任はないけど、運がすごく悪かった」と解釈する人もいるし、

 

ビジネスの世界は「勝てるやつが勝つべくして勝つ」世界なんじゃないかなと思います。

 

私はビジネスの世界ではあんまり通用しない、弱者ですが、

 

そもそもお金儲けに興味があまりないので、それでいいと思っています。

 

で、ビジネス定型文は、全然嫌いじゃ無いです。

 

ただの型、姿勢を正すための作法、それだけだと思っています。