上昇志向のジレンマ

東京藝術大学のスタッフが、何でも某アイドルタレントが入学することを受けて、「職権を濫用するときがきた」とツイートして、問題視されてクビになったそうです。

 

まぁ、アイドル本人もそんなこと言われたら怖いだろうし、在学生も不安になるでしょう。パワハラ、セクハラの類で、迷惑行為だと思います。

 

最近は、頭の中の妄想や、例えば飲み屋とかの雑談で語られていたようなことが、SNSの増幅装置で、公向けの声明として扱われ、そのハードルが高くなっているようです。

 

エジプトであった革命運動も、SNSという拡声器のような発信機能が、民主革命運動を促した、という内容のドキュメンタリー番組を見たことがあります。

 

今まではセーフだったことが、SNSのせいで、簡単にアウトになってしまう。悪い事が増幅誇張されて、すぐに日の下にさらけだされてしまう、という印象もありますが、SNSのせいで、というのはちょっと違うなと考えなおしました。

 

なぜなら、SNSは実際に増幅(100m先の聞こえないはずの人の話が、耳元で聞こえるように)しているんだから、それを受け取る人にとっては、何らかの言動によるハラスメントは誇張ではなく、現実を正しく受け止めた結果であると言えるからです。

 

ただし、このハラスメントには、すさまじいほどの監査基準があります。「公共においてふさわしい」という競争原理です。

 

例えば何らかの会社の広報担当が、ツイッターを使って、変な事をつぶやいたとき。

 

「あの会社しょうもないな~」とか「ふざけたやつが広報やってるな」「ハハハ~」と流されることなく、「良識が疑われる、ツイートした本人も、その人物を雇っている会社側にも問題がある」という厳しい監査の目が向けられます。

 

これについては、ちょっといい感じに狂ってるな、と思いますね。

 

SNSが無かったころは、問題視されてこなかった綻びが、SNSで拡大図を見せられるという状況で、その臭い物を全力で蓋をしようというムーブ。

 

「公共の利益に反しているから罰する」というのはおそらく後付けで、要は、見たくないものが大きくなって迫ってくるから取り除きたい、という欲望の肯定があります。

 

減点方式の競争原理を、変な風に利用している所が、ちょっと狂ってるな、と思います。

 

何らかの競争にさらされると、しかもそれが減点方式だと、上に行くほどザルの目が細かくなり、最終的には人が通れるのか?くらいの針の穴を通すような、端的に言うと「勝者人形を目指す謎の現象」が現れます。

 

この勝者人形が、本当に素晴らしいものであったら、まぁいいかとなるんですが、何らかのへぼさと偏りを持った評価基準を絶対視するあまり、「中途半端なただの人間」がウイナーになる、なぜかみんなそこを目指してるという絶望的な絵面になります。

 

つまり、減点評価に依存度を高めると、おかしなことになるという好例だなぁ、ということです。

 

何事もバランス感覚が大事で、全力で何かにもたれかかったら、倒れて転びやすいですね、という話でした。