情報のややこしい所

他者からの情報を扱う際に、気を付けなければいけないことがあります。

 

それは、情報のどこにフォーカスするかという問題です。

 

例えば、私が言った「侵略戦争を仕掛けてきたロシアに対して、武器を持って戦って勝つべし」という情報をあなたが目にしたとき、これをどのように扱うでしょうか。

 

「なるほど、それが正しい」と思う人もいれば「いや、勝ち目がないのなら戦うべきではない」という人もいると思います。

 

結局のところ、「最終的に、あらゆる人がどのような結論に達しても、構わない」になります

 

私が「戦うべき」と結論付けて、その他99%の人がそれとは異なる「戦うべきではない」という結論を持ったとしても、それが脳内の正しい手続きを経て出たアウトプットならば、それはそれで尊重したいと思います。

 

ではなぜ、SNS等で公に私は「戦うべき」と表現しているか、というと、「日本在住の市民の一人(私)は抗戦を支持している」という事実について公表しているのです。

 

これをより多くの人がやれば、2つのことがわかります。

 

ひとつは、全体の人の何割が抗戦支持で、何割が反対なのかが、わかると思います。状況把握に役立つんですね。

 

もうひとつは、私の脳というフィルターを通すと、「抗戦支持」というアウトプットが出た、という事実から、「脳フィルター」の構造(思考パターン)が見えてきます。

 

ある人(私とか他の人でも)がある状況に置かれて、どんなアウトプットをしたか、という事実を公表することにより、人間活動のキモが見えてくるんですね。

 

構成員の全員がこれやれば、人間社会の現実を形成する際の主要な作用要素のデータが出そろうことになり、非常に重要です。

 

ひとりひとりが自分周りの情報処理について事実公表すれば、社会の作用が見えてきます。だから、私はそれ(SNSでの公表)をやっているんですね。

 

ツイッターをやっていると、どうやら「アウトプットの賛否」を問うようなムーブが強いようです。私は「ロシアへの抗戦に反対の意見」を見ると、妙なことやってんな、と思いますが、フォーカスしているのはそのアウトプット自体ではなく、どのような脳内の手続きで、そのアウトプットが出たのか、その処理の精度について「妙だな」と思い、推測したりしています。

 

明らかに、おかしな情報処理をしている人に対しては、反論したりしています。「あなたの意見は間違っている」ではなくて、「あなたの頭の使い方おかしいよ」というメッセージです。

 

一般社会では、「味方の仲間を増やしてパワーゲームでごり押し」手法がメジャーなので、多くの人を吸い寄せる「魅力的な正しい意見」が求められているように感じますが、私は基本的に孤独プレイなので、そういった処理はしません。

 

パワーゲームになると、「多数決で優勢な意見が、正しい」というなんとも摩訶不思議なルールになってしまうので、情報処理を丁寧にやろうと思ったら、「仲間を増やすための情報発信」というのはやや本来の趣旨と背反する感じがして忌避してしまいます。

 

学術分野の専門家の人も、「正しい意見」を目指しているような感がありますが、重要なのは「意見の内容」ではなく、その思考プロセスなので、その点を積極的に公開して欲しいと思います。

 

私は普通の意見をよく言ったりしますが、ここでも重要なのは「普通の意見の内容」ではなく、「一人の人間がその意見を持っている」という事実と、「私の脳フィルターを通すとその意見が出た」という事実です。

 

普通じゃない意見もたまに言いますが、それはたまたま普通じゃない(”世の中の普通”基準がズレている)だけか、もしくは普通の事をやっていたらクリアできない難関にチャレンジしている時くらいです。

 

私は今充電中なので、普通じゃないことはしんどいのであんまりやりません。

 

まとめてみると、「私の都合では」意見を公表することは情報収集に役立つ「事実の公表」であるということですね。

 

SNSにはいろんな人がいますから、みんながこれやってくれないのはしょうがないなとあきらめています。