この地球は、立っている位置によって、世界の見え方が変わるなかなかオシャレな造りになっています。
「あいつはとんでもない愚か者だ」
「なんでこんなことをするの?信じられない」
他人に対してこういう感想を持ったとき、相手は本当に愚か者でひどい人なのかどうか、はさておき、相手は自分とは異なるステージに立っている場合が多いです。
見ている感じている世界そのものが違うんです。人間は環境に対応しようとしますから、見ている感じている世界が違えば、考え方や行動に大きなギャップが生まれるのは当たり前のことですね。
で、不思議なのは、ステージが違う人間同士が、交流したり、争ったりできるような造りになっていることです。
これは何を生み出すか、というと、負債を抱えている人が他人にそれを押し付ける、水に落とした墨汁が水に溶けて、まんべんなく水を黒く濁らせるように、ネガティブな感情がきれいな真水を侵食する、という現象が起こります。
ネガティブな感情は誰だって嫌なので、「侵食から目を逸らすか」、「侵食から物理的に逃げるか」、「他人を犠牲にして自分を守るか」、「もう手遅れなので侵食する側に回るか」、「あきらめて絶命するか」、というような対応を取るのが地球で繰り広げられている人生であると言えると思います。
こうしてみると、私なんかは「このゲームくっだらねぇなぁ」と思うのですが、それも一つの世界の見え方にすぎず、他のステージに立てばこのゲームが楽しかったり、やりがいがあったり、かけがえのないものに見えたりするので、それは人それぞれ好きに判断すればいいことです。
ネガティブな感情に対しては、シンプルに言うと、以下の3つのアクションに分類されます。
・逃げる
・耐える
・やわらげる
で、人間にとって重要なのは、場面に応じて、これらのアクションを「いつ」「どのように」行うか、ということです。この工夫に関しては、本人の努力次第で、運命を変えることができる重要な分野です。
逃げるべきときに逃げて、耐えるべきときに耐えて、やわらげるべきときにやわらげる、という判断能力を、どんどん磨いて行きましょう。
私の場合は「逃げる」か、「耐える」しかしてないので、今「やわらげる」を勉強中です。やわらげる系統の行動には、「気持ちの良い元気な挨拶」という行動もあれば、「ガソリンを撒いて放火」といった行動も含まれるので、奥が深いです。
「逃げる」は、比較的簡単ですね。世の中には「逃げる」を恥だと思う人もいるようですが、デッドオアアライブの世界では、「逃げる」ができない人はすぐ死にます。
「耐える」は、世の中で人気がないですね。私は耐えるのは得意です。なぜなら耐えなければ死んでしまう環境で育ったからです。耐えるのがなぜ重要かと言うと、何か一つの事に打ち込むとき、換言すれば「宇宙で人間が直線的な運動をするとき」に、これが不可欠だからです。
陸上をロードバイクで疾走するときをイメージするとわかりやすいですが、自分が高速で運動しているため、空気抵抗が大きいですし、先に障害物があればそれが猛スピードでこちらに近づいてきます、こけたらもちろん大ケガします。
そういう場面において、痛いとか、苦しいとか、辛いとか、それはあって当然なもの、だって自分で蒔いた種だもの、という事がはっきり見えていれば、「苦労を買ってでもする」という見る人が見たらクレイジーな行動を取るようになります。
苦労をするだけ、は辛いですが、苦労をすることによって「強い直線運動ができる」というベネフィットがあると確信できているから、それが可能となります。
私からのアドバイスとしては、受動的な苦しみは嫌だから、苦しみを能動的に摂取していくスタイルが一番負担が少ないと思います。ここで勝負する、絶対に退かない、という分野を見つけて、そこで苦労すると、得るものが大きいと思います。
受動的な苦しみは、私も嫌ですね。ただ、積極的に苦しみを摂取していく習慣がつくと、受動的な苦しみに対してもある程度、耐性がつくのでお得です。
どうでもいいことからは、とっとと逃げましょう。