以前ネットでこのような内容の文章を見かけました。
「人間関係のトラブルが起こるときは、お互いが『自分が正しい』と思っている場合が多いのです」
これを見て、私の見聞きした体験と照らしてみて、確かにそうだな~と納得してしまいました。
今回はこの「正しい」という感覚について考えてみようと思います。
まず、なぜ人間は「正しい・間違っている」という考え方を持っているのか?という点について。
その起源はやはり「生存本能」に根差しているのだと思います。
・毒キノコを食べるのは間違っている
これは明らかですね。「生物として生き残るため」に侵してはいけない境界を、「正しい・間違っている」で線引きしているということです。
このような全ての人間が共有できる「正しさ」ならば害はない(=トラブルの種にならない)でしょうが、次はどうでしょうか?
・自分の仕事を他人に押しつけるのは間違っている
これは私はそうだと思うんですが、思わない人もいると思います。このケースはトラブルの匂いがプンプンしますね。
「自分の何らかの利を優先するために、他人に負荷を押し付けること」
をひとつの処世術のように使う人がいて、その他方、
「自分の守備範囲の仕事はできるだけ自分の力でなんとかすること」
を「正しい」と思っている人(私です)が同じ職場だった場合・・・
後者は「自分の仕事は自分でやれよ!」とイライラするという結果になるのは目に見えています。そして、これを口に出すと戦争の始まりです。
ちなみに私は、仕事を押し付けられそうになったらやんわり拒否して、(この人には仕事の面では期待しないようにしよう)と心に刻むという対処で、表立ったトラブルを回避するようにしています。争い事が特に嫌いな性質なのでこうなります。
このトラブル自体はありふれていてそんなに深刻ではないですが、この認識のズレという構造は人にとって結構重大な問題だと思います。
一言でいうと、『「自分」と「他人」の守備範囲の設定方法』の違いです。
自分の利を追うために、何を自分でやって、何を他人にやってもらうのか?ということです。
ここのベースにある基本概念は、「自分がやってあげていることは他人もやって当然だ」です。
例えば、仕事を他人に押しつけることがアリの人でも、会話を盛り上げるのは自分の役割だと思って実行している場合もあると思います。
私は会話を盛り上げるのが苦手なんですが、この場合仕事の関係と立場が逆転してしまいます。人それぞれ違う形で「正しさマップ」を持っているんですね。
トラブルを避けるための方法として・・・
・自分と相手の『正しさマップ』を把握する
・自分が当然やってあげていることを、無条件に他人に要求しない
理想なのは、自分から相手の苦手分野をフォローするように動くことですが、これほどの余裕を持っている人は相当な人間力の持ち主だ(=なかなかいない)と言えます。
実を言うと、これを実行してみた経験があるのですが、すごく疲れます。
何かの奴隷になったような感覚です。精神的に削られますね。
これを幸せと感じられる人は、羨ましいし、本当に尊敬します。
これを実行するために、「愛」があるんでしょうね。
なんか、「正しい」そのものを考えるつもりが、トラブル回避法から愛に話がいってしまいました。
今日はここまでにして、次回は色々な「正しさ」を考えてみて、その本質を捉えたいと思います。それでは~