東大大学院の教授、斉藤さんが、けっこう前にテレビで
「私はオリンピックは見るのをボイコットしている。ロシア等の国としてのオリンピック参加を拒否する一方で、イスラエルは普通に参加している。このダブルスタンダードに違和感を感じる。戦禍に見舞われている方々に関心を持ち続ける意思を示すためのボイコットだ」
という趣旨の発言をしたことについて。
こういう意見・態度もあってもいいなぁと思います。
ただ、これって「オリンピック運営」への批判であって、オリンピック(アスリートの方々の活躍の場)そのものは、関係ないんじゃないかと思います。
戦争があったって、普通に世界中でプロ・アマの競技大会でも、やるじゃないですか。
常に、「どこかでお通夜が執り行われている」裏で、「どこかで婚活パーティーやカラオケパーティー」も開催されていますよね。
そのミクロなコントラストは気にならないけど、
スケールを持った「戦争」と「オリンピック」の対比は、受け入れられない、というのが、ちょっと不思議です。
おそらく「もうちょっと控えめなオリンピック」であれば、オーケーなのでしょう。
確かに、戦争中のひどい環境にいる人々に配慮して、「お祭りは地味にやろうか」っていうのも、アリといえばアリかなと思います。
ロシアが参加ダメで、イスラエルは参加OKっていうのは、モロ政治的な区別ですが、
国際社会っていうのも、そもそも完全中立ではないので、難しい匙加減ですね。
イスラエルにNOを突きつけるだけの胆力のある人間が国際社会を代表するメンバーの中にいないのであれば、
まぁそうなるわな、と思います。
オリンピック運営が、イスラエルに対して、
「過当なガザ民虐殺を継続するのであれば、オリンピックへの国としての参加は認められません」
というボールを非公開で投げてみるのも手だったと思いますね。
イスラエルが自発的に参加をやめるかもしれないし。それならそれでいいいでしょう。
もしイスラエルが怒ったなら、一旦、イスラエルに譲歩して参加を認めた上で、
オリンピック閉幕後に、
「実は、イスラエルにこういうボールを投げたけど、反発をくらって、運営側が押し込まれた」
という情報をしれっとメディアに流して、みたいな動きをするとか。
イスラエル政権への揺さぶりとしては、まぁまぁの効果が出たと思います。
そもそもイスラエルに「従」を決め込むのであれば、これは実現しない「たられば」話ですけど。
こういう過熱戦争を見ると、特定の世界観にしがみつくことが、とても無為なことのように思えてきますね。
多層的に処理できると、強いし精度も高いです。
おわり