成田さんがサンジャポという番組で、著書にも書いていた、「政治家は、猫がやった方がいい」という発言をしたとヤフーニュースで読みました。
私にとっては、言葉とは「方向を表すもの」だと思っています。
世界を迷路と見て、右にいくとどんずまることがほぼ確定であるならば、「右は誤りで、左が正しい」というような言い方になります。
本来であれば、迷路の、「必ず通るポイント」を、直接的に言語で表現できればいいのですが、
迷路の全体像がクリアーじゃないので、言語で「その点(中間ゴール)」を表現できないし、
しかもその点はリアルタイムで変動しうるので、
「(今は)左方向が正しい」(例えば、リベラルが正しいとか)とかいう言い方になります。
以上が私にとっての言説の属性ですが、この言語の使い方は、唯一絶対ではなく、あくまで「私にとっての」言語の位置づけです。
成田さんの言説は、「ほぼ1発で」「ゲームチェンジを起こすきっかけとなるような」属性になっているようで、興味深いです。
私の場合は、「固定的な迷路を、各々の主体がうろうろ、さまよう」という世界観なので、ゲームチェンジについては意図していませんが、
成田さんは、「人間社会」という塊として線引きをした世界における、パワーバランスとか、ゲームチェンジとかの「変容」を意図するような世界観のようです。
ゲームチェンジか・・・私も今やってみます。
難しいな、特にこれっていうビジョンがないんですよね。
どういう絵面を理想的とするか・・・うーん、
日本であれば「他者・敵も味方もすべて、まるごと飲み込もう」ですね。
ちょっとハードルの高い融和を、意欲的に行ったときに的確な表現として「飲み込む」を使用しました。
この難問に、積極的に取り組むと、世界の絵面は変わってくると思います。
客観的に見ると、「分断のキャンセル」ですけど、
一人称視点での言葉としては、「すべてを飲み込む」になります。
まぁ、私が「すべてを飲み込もう」と言ったところで、それを実際にGOする人は少ないかもしれませんが。
もしもゲームチェンジを狙うなら、これは外せないでしょうね。
私は日本的な集団ベースじゃなくて、孤立ベース(気体の分子のような孤立)なので、あんまり飲み込む能力はないし、意欲もないので、
もしこれができれば、相対的に私の価値が陳腐化するかもしれませんね。
とかゆっておいて、おわります。
おわり