ツイッターみてたら、テストの答案の画像をアップしている人がいて、
「何も勉強しなかった中間テスト→29点」
「中間テストの結果を踏まえて対策した期末テスト→20点」
っていうのがあって、
私もこれ経験あって、「あるある!」ってなりました。
私の場合はセンター試験で、
現役の時の、英語「140/200点」、世界史「37/100点」で、
一浪時に、世界史を全く勉強せずに、英語ばっかりやってたんですね。
まぁ複数科目受けるのにそれもおかしいんですけど、
一浪目の時は、英語「120/200点」、世界史「73/100点」
だったんですよ。
一生懸命勉強したつもりの英語がダウンして、全く勉強してなかった世界史が2倍くらいになってるという・・・
この時、「あ、私試験に全然向いてないわ」と思いましたね。センスが無い。
友人にこのことを言ったら、「勉強の仕方がおかしい」と言われました。
確かに・・・そうとしか説明が付かないですね。
でも、やっぱり、「センス」って大事だなと思いました。
ツイッター見てたら、「センスとは、量をこなした末に身につくもの」みたいなこと書いてあったんですが、
これはつまり、「自分にはセンスやら才能がないから、努力したって無駄なんだ~泣」
ってへたっている人に向けて、
「いや、お前は量をこなしてないからできないだけで、とにかくたくさんの練習を継続してやってみろよ!」
あるいは、
「オレ(プロフェッショナル)は、センスの上にあぐらを書いてラクしてここまで来たんじゃねえ、普通の奴がやらないくらい大量の練習を積んだからプロなんだよ」
という、「オレはがんばったんだからすごいんだ。お前もがんばればできる!」
という励ましのような意見なんだと思います。
センター試験での不可思議を経験した私から見ると、
センスは、「対象と同じ方向を向いているかどうか」だと思うんですよね。
対象がテストだったら、その「テストが受験者に求めているもの」がそれに当たりますね。
つまり、「大学が求めている能力志向」に対して、同ベクトルを内在させている受験者は、「センスがある」ということになるんだと思います。
このベクトルがずれてくる(センスがない)と、
三角形の二辺のように、「斜めにいって、ある点でまた折れ曲がって、斜めに行く」
みたいなコース取りのロスと、操縦におけるロスが発生するので、
しんどくなる、と。
センスのある人は「1キロメートル」走れば良いところを、
センスのない人は「1.3キロメートル」走らなきゃいけない、
という「ハンデ戦」ですね、
で、このハンデが数十年続くと、「もう圧倒的な差」になってくる。
で、センスとは関係なく、「そもそもの脚の速さ・持久力・運動能力」の要素もあるので、
センスと、その個体能力の要素を掛け合わせると、
もう圧倒的な差がついてしまう。ということなんだと思います。
卓越したプロフェッショナルの人は、その場に応じた、激しい競争にさらされていくので、「努力」の価値は大きくなってくるんですけど、
素人(センスなどが無い)は、そもそもハンデを背負った条件がきついルールで走っているので、
まぁ、走りにおいては常に「努力」は意味を持つんですが、
「ハンデ背負ってるのに、がんばって走って、すごいね」
「あなたはすごい!」
「オレも厳しい競争でがんばるから、一緒にがんばろう!」
みたいなメッセージが適当なんじゃないかなと思いますね。
私も英語をボチボチがんばってますけど、
やっぱり辞書を引きまくるのが、辛いんですよね。
こういう障壁、ハンデを、減らすような工夫があると、
素人でも、走りやすくなるかなと思います。
そしてそれは、業界全体の盛り上がりにも繋がると思うので、
AI英語教師、誰かください・・・(辞書を引く手間を軽減するだけでもいいので)
おわり