今回は物質についてではなく「時間について考えてみた」です。
正確には、「考え終わった」です。
いつもこのブログを書くのと同時に考えてるのですが、
昨日、眠れない頭で布団の中でウンウン考えて、ある程度成果があったのでその内容をメモっておこうと思います。
■時間のメカニズム
まず、絶対に必要なのが「観測点」の存在です。
私がここで言っている「観測点」の定義は、「自他を区別する能力を持った、観測の起点」です。
アカデミックな定義は違うと思いますが、知らないし、知ったこっちゃありません。
人間は、この「観測点」の能力を所持しています。他の生物も同様です。
次に必要なのが、観測対象の「変化」です。
時間とは、ズバリ、
「『観測点』の能力を持った存在が、観測対象の『変化』を知覚するという現象」です。
この観測対象の「変化」を知覚するために必要な要素は
「変わっている/変わっていない」の区別をつける能力です。
本質を突いて換言すると「違う/同じ」の区別です。
この世界は、「観測点」が「違う/同じ」の区別を知覚することで成立している、と言いきっていいと思います。
この構造を以て、(高度な技術を以て)、死ぬほど複雑化すればこの世界は創れます。
ここで付け加えたいのが、人間の「違う/同じ」知覚の対象範囲は、物質世界のミクロとマクロの中間エリアに限られているということです。
ミクロ/マクロの言葉の由来から逆定義しているような変な表現ですが。
具体的に言うと、人間がある水分子を顕微鏡で観察した場合、H2Oで構成されているものは全て「同じ」「水分子」だと認識します。
しかし実際には違うのです。さらにミクロなレベルで観察すると、個々のH2Oは異なる内容を持っているのです。何も確かめてないけど、そうであるはずです。
カイジに出てくる黒服が皆「同じ」に見えるけど、実際にはひとりひとり個性があるのと同じ仕組みです。
さて、観測点に話を戻しますが、
この観測点そのものが変化にさらされた場合、どうなるかについて。
答えは、「知覚できない」です。
これはけっこう衝撃的なのですが、具体的に言うと、
神がいて、彼が私の時間を巻き戻したり、止めたりしても、私はそれを全く知覚できないということです。
つまり、「そういうことが起こっている」可能性が現実に有りうるということです。
私の時間を操作しても私はそれを知る能力がありません。なんという操り人形。
ここで「私の時間」という怪しい文言を使いましたが、
純粋な言葉に還元すると、「『観測点A´自体の変化』の知覚」です。
「観測点A´」と言っているのでおわかりのように、当然「観測点A」が存在しています。それはつまり神(あるいは、私より上位の何か)による観測です。
以上をもって、時間を作る原理は解けたと思います。
私は今まで時間とは「生物に関係なく」「永遠に続いていて」「すべての物質を統べて」いる強いルールのように思っていたのですが、
時間とは、生物が作り出している(=時間が成立する必要条件に、観測点たる生物が含まれている)ものであるという結論に達しました。
まとめると、「物質世界」と「そこに流れる時間」とは、
「同じ」の鋳型で型取られたエネルギー体(=物質)の「変化」を、(観測点としての)生物が知覚することである。
この「同じ」の鋳型というものが、神が造りたもうた芸術品で、現代の科学を遥かに凌駕した技術で作られているということは確かですが、その基本原理は上記に述べた内容であると7割の確信を持っています。
私にもう少しガッツがあれば、この世界を作る技術的な手法(「同じ」の鋳型の製造ノウハウ)について考察するところですが、私は創造よりも破壊の方が好き・・・というか怠け者なので楽な破壊に頼りがちになって、ちょっと意欲が湧きません。
人間には遺伝子という「同じ」の鋳型があって、これは人間の操作可能な領域にある、言わば「神入門!お試し創造キット」のようなものなので、
とりあえずより良い進化のあり方とか、その辺になら手を出してもいいかな・・・と思っています。
今回も「その2」で完結してしまった・・・次のテーマは思いついてないけど、今回のようにサクサク進められたら楽でいいですね。