ヤフーニュースを見ていたら、
私と同い年(1982年生まれ)の、文筆家の古谷(ふるや)さんという方の記事を読みました。
内容は、都知事選挙についてで、
・石丸さんに投票した30代、40代、50代が幼稚でやばい。
・若者は、まだ若いから、石丸さんになびいても、まぁしょうがない。
・石丸さんの著作を読んだけど、まるでゴミのようだ。
・石丸さんに投票した中年らは、小池さん・蓮舫さんの政策さえ「長くて難解」だと判断して調べてもいない。一方、石丸さんの抽象的でシンプルな言葉だと彼らにとっては「やっとわかる」程度。
・このような勉強不足からくる幼稚さを持った中年がいると、第二第三の石丸さんに投票するようになって、日本は衰退の一途だろう。
みたいな内容でした。
おおぉ~私も「石丸さん支持の40代」なので、「批判されてるぅ~」と新鮮な気持ちになりました。普段、あんまり批判される機会がないんですよね。
石丸さん支持って言っても、ポテンシャル的にそこまでは期待値は高くないんですけど、
「小池さんよりマシな都政をやるだろうな」と思って支持しています。70点は取ってくれるだろうという期待です。
それに、「立候補して、ちゃんと政治活動してる」ってだけで、石丸さんの行動力は私から見ると素晴らしいと思うので、チコチコ重箱の隅を突いて「石丸さんは失格」とするのは、もったいないと思っています。
で、「幼稚だ」という批判なんですけど、
私の思いつく限り、最も「雑な批判」の仕方のひとつですね。
ははは~批判返ししちゃった。
でも、実際、そうなんですよ。「~は幼稚だ」で切り捨てるのは、あまりにも持っている刀がナマクラすぎるだろうという指摘をしたいと思います。
この古谷さんは、同い年なんですが、これ見ているかわかりませんが、
もしも誰かが「~は幼稚だ」「いい年してガキかよ!」って思ったとしたら、
その人と、対象(幼稚に見える人)は、「向いている方向が違う」だけなんですよ。
つまり、石丸さん支持の30代、40代、50代が幼稚に見えていたとしたら、
その人達は全員、古谷さんが向いている方向とは違う方向を向いて、判断やら行動やらをしているのです。
それだけなんですよね。
じゃあ古谷さんの向いている方向って何かって言うと、
抜粋
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若年層は人格形成が途上であり、(~中略~)生来の個性がかなり表出される年代である。高校生でずば抜けて大人びており、読書量が豊富で分析眼に富んでいるものがいる一方で、極めて幼稚な同年代も大勢いる。
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とあるように、
彼による、「幼稚ではない大人」の特徴とは「読書量が豊富で分析眼に富んでいる」のようです。
まぁ、どう定義しても「ご自由に」なんですけど、
ちょっと、生きてる世界が狭いな、と思います。「読書たくさんして、分析してないと」「大人じゃない」って、ストライクゾーン狭すぎって思います。
例えば
「読書は何もしないけど」
「対面している相手の雰囲気を察知する能力が高くて」
「良い太鼓持ちを演じることができて」
「出世が早い」人だって、
「立派な大人」ですよね。出世して給料あがって、その金で家族を食わしているなら、めっちゃ大人じゃないですか。
でも、そういうすごい能力があって、結果を出す人が、石丸さんに期待して投票したりすると、古谷さんはその人を「幼稚だ」と切り捨てるわけですよね。
「読書家で分析力のある古谷さんとは」「向いている方向が違うだけ」とは思わないでしょうか?思わないですか・・・残念です。
というようなことを書いて、時間をつぶしている私は、
暇であり、もしかすると幼稚かもしれませんが、
淡々と、自分で判断して、ベターorベストを尽くそうとするだけですね。
古谷さんも、一緒にがんばりましょう~同い年だし!
おわり