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電通社員自殺について再び考えてみた

 

この記事に関して考えたこと・・・

私は「死ぬくらいなら逃げれば(辞めれば)よかった」と考えていた人間なので、「おやっ」と思い再び考えてみました。

 

著者は産業カウンセラーの方、記事を読んでの要点をまとめると、

鬱状態が自覚できない場合、退職などの重大な決断は不可能

・自殺した本人の責任を問うのは危険

・辞めたとしても、再就職の道は簡単ではない。

 

1番目と3番目は一般的な事実としてそうかもしれないですが、

2番目がひっかかります。

 

「自殺の責任」とは一言で言えるけど、かなり複雑な問題だと思う。

自殺することによる影響を挙げると、

・本人の幸福への影響

・家族や恋人・友人などの幸福への影響

・会社への影響

これらのうち、自殺によって何らかの被害があったならば

それぞれの影響ごとに分けて「責任」が発生するのだと思う。

 

このうち私が一番に問題にするのは「本人の幸福」で、「死ぬ前に辞めればよかった」とはこの責任に触れるものです。

 

自殺された高橋まつりさんを救うことができなかった家族・友人は悲しんでいると思いますが、彼らには「彼ら自分自身の幸福」が損なわれたことに対する責任があると思います。

 

会社には、新入社員の人生を潰した罪と、人的資産を有効に活用できず業務に支障をきたしたことに対する責任があります。

会社には社員を幸福にする責任はないですが、潰すことがあってはいけないでしょう。

 

これらの責任を一括で扱うのは無理があります。

すべてを会社のせいにするのは酷です。電通にも非がありますが、電通は自分の守備範囲に存在する非について改善活動など行って責任を果たせばよいのです。

 

基本的に、私は自分の幸福についてはその人の責任だと思っています。

今回のケースは「自殺」です。

自殺とは幸福、不幸の基準ごと失わせる特殊なケースのため、

そもそも「高橋まつりさんは自殺によって不幸になったと言えるのか?」という問題がありますが、おそらく「不幸」だったのだろうという前提で考えています。

 

鬱を自覚できない、ということは自分の不幸を認めないということです。

「不幸じゃないはずなのにこんなに苦しい、人生って辛いものなんだ」

と思いこみ、絶望したのでしょうか。

 

この辺の推察は結論がでない(本人に聞かないとわからない)ため、なんとも言えないですが

 

このどうしようもない辛さから逃げる「準備」はできたと思います。

会社に入る前は、鬱でなく健康な精神状態だったはず。

「もしどうしようもなく辛くなったら、会社を辞めよう」とあらかじめ頭にインプットしておくリスクヘッジ策は取れたと思います。

 

ここで最初に紹介した産業カウンセラーの方に言いたいのは、

私は、高橋まつりさん自身が不幸になったことに対して、彼女を責めているわけではないということです。

 

「ああ、彼女は幸福になることを失敗したんだろうな」

 

という感想を持っているということ。

高橋まつりさんは東大卒ということなので、「自分の手の負えない危険が迫ったときに逃げる」という基本的な戦術は当然、身に付けているだろうという頭だったので

 

「なぜ逃げなかったのだろう?」という疑問が湧いた結果の「死ぬ前に辞めればよかったのに」なのです。

 

戦争の現場でも、勇敢な人ほど死にやすいと言います。

産業カウンセラーの人は「結果だけ見た空しいロジックだ」と書いていますが、

この自殺という結果から導き出される有用なロジックを、頭の良い子・悪い子の区別なく、教育の場でインプットして欲しい(個人個人が自ら幸福になることに成功して欲しい)という願いを私は持っています。

 

産業カウンセラーの人は精神病患者との対話によって問題解決する責務を負っている職業だと思いますが、

「死ぬ前に辞めればよかった」と言っている大勢の人たちはその視点に立っていないのだろうと推測します。