【徒然日記】なぜ他者への責任転嫁や、悪レッテル貼りが問題があるのか?
コラムは「なぜ他者への責任転嫁や、悪レッテル貼りが問題があるのか?」です。
「問題がある」という言葉には、2側面あって、
「自分の主観、一人称視点で、問題がある(損をする)」というのと、
「客観的に、周りから見て、問題がある(迷惑だ)」っていうのがあります。
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で、今回は特に、どっちの側面でどうこう言うことはないのですが、
例えば、「どう考えても、自分のせいなのに」、「他者をスケープゴート(生贄)にして、貶めて自分への批判を回避する」とか、
「悪意が充満しているのは自分の内面なのに」「それを知らない他人にペタッと貼り付けて、『お前が悪いんだよ!死ね!』とかいう」ことが、
自分自身にとっても、周りの人にとっても、問題があるのかという要点を、一文で表現しようと思います。
その一文・・・
「自分自身の問題は、上手くやればコントロールできるかもしれないのに、それを自分の外に移管することによって、もうマジでコントロール不能になって手に負えなくなるから」
です。
だから、結局、
そういうことをやる人って、「自分の問題を、自力でコントロールできない」「に決まっている」という思い込みを信仰していて、
それを外に追いやって、吐き出して、本格的にコントロール不能になっても、
自分目線では「何も問題としては状況は変わっていないし」「すっきり気持ちが軽くなってお得だから」
やると思うんですけど、
それで「大丈夫」になるためには、かなり強力な外部の「後処理ケツ吹きをやってくれる委託先業者」が必要になってくるんですよ。
その委託先業者が、「ハイ、あなたのために働きます!お任せください!」って、
キビキビ、働いてくれるなら、何も問題はないでしょう。
ただ、あまりにも、「自分にとってコントロールが難しいマターを、本格的にコントロール不能な扱いにして、めちゃくちゃ外にぶん投げる」というような人がたくさん増えて、
「程度が過度になると」
観音様のような微笑みをたたえて、すごいパワーで働いてくれた後処理業者さんたちが、
「チッ、やってられんわ、アホくさ」って思って、
「帰らさせてもらいまーす」って仕事から手を引いた瞬間に、
いままでその委託先業者を頼りまくっていた、「お客様」たちが、
「社会に混乱と破壊を積極的にもたらす、テロリスト集団」・・・つまり、ありのままの姿になってしまうので、
もう、その社会は、荒れ果てますねっていうことになり、
本人も経済的に困窮したりして「損をする」し、
廻りの人も、同じように、迷惑を被る。特に、真面目に働いている人は「やれやれ・・・」と思って、死を覚悟することになるでしょう。
っていうんがあるんで、
「他者への責任転嫁をやめよう」とか「他者に悪のレッテル貼りをして、悪人のまま善人になるのはやめよう」とかいうのはちょっとずれていて、
結局、「自分の内面の、コントロール可能な部分については、自力で制御しよう」
プラス、「どうにもならないときは、その時初めて、他者を頼りましょう」
っていう姿勢があれば、
急激に、社会のマジョリティがテロリスト化するようなバランスを欠いた事象は、
起こりにくくなって、安全になるでしょう、と言えます。
すべてが、程度問題であり、バランスの微妙な匙加減であるという考えです。
わずかなバランス調整でも、「前よりすっごく良くなる」ことはすごくよくあります。
「たかが、その程度の微調整で、成功と失敗が大きくわかれるんだ」という驚きもあると思います。
だから、小さな自分の中の、取るに足らないような問題であっても、
微妙な操作で、上手く制御できたとき、
他の人は気づかないで、何も評価してくれないかもしれませんが、
私はそれを見たら、「すげえじゃん、やったやん!」と絶賛しますよ。
まぁ、私も他の人の内面で何が起こってるのか知らないしわからないので、こうやって手探りで日記を不特定多数に投げているわけですが。
「些細なコントロールの枠内で、なんかやる」っていうことを突き詰めると、絶対に意味はありますよ。
「神は細部に宿る」、という言葉の意味を知ることになるでしょう。
この日記も、非常に些細なものです。
ホルムズ海峡問題による、資源枯渇マターの猛威と比べたら、吹き飛ぶような微力さですが、
この営みを、私はまったく舐めていないんですよ。(ニヤリ)
まぁ、上手くやれるかどうかは、別問題ですが。
おわり
【徒然日記】はとむぎ茶
「はとむぎ、げんまい、つきみそう~爽健美茶♬」
っていうCMが平成にありましたが、これを知らない若い人は、お父さんお母さんに聞いてみてください。
多分、「知ってるよ!」ってわかる人が多いと思います。
で、私は最近、はとむぎ茶の「お茶パック・48枚入り」を買って、家で作って飲んでいます。
価格は、確か400円台後半だったと思います。
で、1リットルのはとむぎ茶を作るのに、パックが2袋要るので、
まぁ高くても500円で、24リットルのお茶が作れます。
2リットル換算で、40円強くらいですか。今初めて計算したんですが、けっこう安くて経済的です。
※もちろん、お湯をわかすので、水道代とガス代とかが追加でかかります。
で、なぜ、はとむぎ茶を今おすすめしているかというと、
率直に言って、「美味すぎる」からです。
ただし、私は水道水を2リットルのペットボトルに入れて、冷蔵庫で冷やした・・・
まぁ「水」ですよね。これも「美味い」と思ってありがたく飲んでいるので、
水道水を80点とすると、自家製はとむぎ茶は95点くらいです。
本当に、美味くて感動します。最近、初夏の季節になってきたので、それをなおさら感じます。
まぁ、別に「麦茶」でも十分美味しいと思うのですが、
麦茶を飲むと、どうしても、笑福亭鶴瓶さんの顔が2~3個フラッシュバックしてくるので、
そういう麦茶と比較すると、はとむぎ茶は・・・
例えるなら、「儚げで、幸がちょっと薄そうで、可憐で細身の淑女」といった感じです。
味としては、そんなにエッジが強くなくて、「うん、薄味の上品なお茶だな」って思うくらいの味の濃さなので、おそらく、女性も抵抗なく飲める、飲みやすいお茶です。
男性(特に肉体労働に従事している方)は、濃いめの麦茶をゴクゴク飲んだ方が、飲みごたえがあると思う方も多いと思いますが。
私は運動不足のプヨプヨニートなので、はとむぎ茶くらいの控えめさが好きです。
ここで、ちゃぶ台返しをしますが、
私は最近、アマゾンで、プラッチック製の、100℃耐性のある、冷蔵庫のドア部に置いておけるちょうどいいサイズのお茶用ボトルを、2つ買ったのです。
価格は、ひとつ800円くらいだったと思います。
なぜ「2つ」買ったかというと、それをローテーションさせて、お湯だし茶を毎日飲む気がマンマンだったからです。
1つだけで、毎日飲むと、「ボトルを洗うタイミングがない」ため、ちょっと不衛生ですし、やりにくいんですよね。あと使用頻度が高い分、ボトルの劣化も早くなりますし。
2つあって、それを1日おきに、「使って→洗って→1日置いてまた使って」をローテーションさせると、とっても上手く回っていくのでおすすめです。
で、当初飲みたかったお茶は、はとむぎ茶ではなく、「とうもろこし茶」だったんです。
コーン茶とも言われていますが、これは飲むと、世界が広がります。
「なっ・・・なんだこの味は!!」って驚くような味です。ただのとうもろこしのお茶なんですけどね。
YOUTUBEで、お笑いコント芸人の「かが屋」「コーン茶」で検索すれば、多分コント動画が出てくるので、よかったら見てみてください。
で、最初に行ったスーパーで、いかつい「とうもろこし茶」しかなかったので、
「じゃあいいや」と思って、代替品の「はとむぎ茶」を買って、まずはそれを淹れているという状態です。
最初は、淹れ方がへたくそだったので、
はとむぎ茶を飲んだ時も、「うーん、まぁ、お茶だな」くらいの感想しかなく、
点数的には65点くらいで、「水道水の方が良いかも」と思うくらいだったのですが、
私はコーヒー(ハンドドリップ)にも凝っているので、けっこう、淹れ方を突き詰めるノウハウを持っていました。
それで、試してみて、はとむぎ茶の抽出方法をいろいろ試した結果、
「うわっ、このお茶うめえ!!!」って声に出すくらいの95点クラスのはとむぎ茶になったので、今、おすすめしているということです。
淹れ方は、カンタンで、以下のように淹れると美味しいです。
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①ヤカンに水を1リットル入れて、沸騰させる(初夏の季節で6分ジャストくらいでお湯は沸きます)
②お湯をわかしている間に、1リットルのボトルにはとむぎ茶のパックを2つ入れておく
③お湯が湧いたら、普通にお湯をボトルにドボドボ全部入れる
④1分間待って、さいばしを使って、お茶パック2つを、5回ずぶずぶとボトルの真ん中くらいまで沈める、を繰り返す
⑤さらに1分待って、またさいばしで、5回ずぶずぶ沈める、を繰り返す
⑥終わったら、即、お茶パックをさいばしで取り出して、シンク洗い場にドーンする
⑦常温で放置して、余熱が取れたら、冷蔵庫に入れて、完成!
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8回ずぶずぶじゃなくて、「1分後毎に5回ずぶずぶを2回繰り返す」がポイントです。
過抽出になると、完成品のお茶に「えぐみ」が出るので、美味しくなくなります。
えぐみが出ないような、最適な抽出ができると、感動レベルで美味しいお茶になるというカラクリです。
ということで、まぁ、はとむぎ茶だけしかまだ飲んだことないので、このお茶をおすすめしていますが、
スーパー各所を巡れば、多分、いろんなお茶があると思うので、
この夏に、めっちゃ美味しい・冷たいお茶を、日常にすることで、安い予算で、QOLが上がると思います。
私のお茶の在庫置き場のネクストバッターズサークルには「とうもろこし茶」というスラッガーが控えています。
彼も、最適な抽出をして、かが屋のコントの主人公状態を満喫しようと思います。
よかったら、試してみてください。
おわり
【徒然日記】16歳のマルチ型トクリュウ強盗殺人事件について
ヤフーニュースを見ていると、
トクリュウ型犯罪で従来は、暴力団関係者と近いリクルーターがいて、
その人材集め係が、SNSなどの求人で(素人も含む)実行役を集める、
という形だったのが、
マルチ型は、「知人を紹介すれば、報酬をあげる」というような人と人とのつながりに沿って、触手を伸ばしていくような新しい形が生まれているそうです。
で、この事件で私がひっかかったのは、
殺害された女性が「20か所」も、浅くはない程度に刃物で刺されているんですね。
強盗するのに、相手を20か所刺すことって、時間もかかるし、ふつう誰もやらないじゃないですか。
20か所刺すって、警察の定石では「強い怨恨がある、知人の犯行」と解釈される場合が多いと思います。
「赤の他人を」「強盗目的で無力化するのに」「20か所も刃物で刺す」
って、まぁ、「何かあったな」という解釈になりますね。
で、実行犯4人の年齢が16歳(の高校生)という点に、
「驚きがある」というような報道がなされているんですけど、
これは実際には、十分ありえることです。
というのも、「子供が子供らしい所以」って、「世界が狭い」点にあると思います。
実際は、中身はそれほど成長してない人も多いと思います。私も未だに精神は若者気分で、社会儀礼・マナーについてはかなり疎いです。
ただ、子供時代と今で、圧倒的に違うのは、「見ている世界が広い」ということです。
スーパーで買いものをして、「バターの値段が高いなぁ」とか思っているときに、日本経済のインフレの進行程度について推し量ったり、
クロネコヤマトのトラックが19時頃に、キビキビ走っているのを見ると、
「この時間だと、再配送タイムかな?お疲れ様です」と感謝したり、
そういう目に見える物事の背景まで、見えるようになるのが、大人であり、それが子供とは大きく違う点だと思います。
っていうことを踏まえると、
子供は「世界が狭い」し、その狭い世界が「すべてだ」と思い込んでいますから、
何か強い恐怖やストレスを感じた時に、
そのネガティブなエネルギーが、「小さいボールの中」でパンパンになりやすいと思います。
だから、「強盗して、家人をめっちゃくちゃぶっ殺す」という営みが、
ひとつの大きな効果を持つ有力解のように認識しても全くおかしくない。
ひとつ、子供ならではの抑止があるとすれば、
もしも「親からの愛情を十分に受け取っていたら」・・・
言い換えると、子供側が「親は、ボクのことをちゃんと見てくれているんだ」という確信があるのであれば、
「こんな強盗なんかしてしまったら、親はボクのことをどう思うだろう?」
っていう点で、怖くなってきて、
暴力団関係者相手に、「ごめんなさい!僕は人を殺すことはできません!許してください!許してください!」って泣きながら訴える「勇気と決断」を得られる可能性が生まれるんですけど、
今回は「過剰なまでに、振り切っている」ようなので、
おそらく、親はこの子供らに普段から関心がなかったのではないか、それが子供もよく知っていたのではないか、
と思います。
子供が憎い、というよりも、どうでもいいっていう感じが近いと思います。
親と、子供が、お互いに、「この人は、自分にとって、どうでもいい存在だ」という無関心があったのでは。
となると、子供は独りで抱え込み、友達とのつながりに救いを求め、
その繋がりの中で、小さいボール内に圧力が加わり、
十分・確実なボールの空気抜きをするために、刃物で20か所の穴を穿った、
という感じだなぁと推察します。
公教育では、なかなか家庭内にまで口出しできないので、
月並みですが、「親は子供を、普段からよく見ていてあげてください」と言って終わろうと思います。
おわり
【徒然日記】自己中を知り、滅私を知る
基本的に、
「自分って言うものがはかなげで、明確な輪郭がないように思える」
というような「みんな対等・同じの海」から生まれ出でた人って、
生き残るために「自己中」になってしまいがちという事情はあります。
「オレが!ワタシが!」っていう所を、強調しないと、自我が保てなくて「負けそう」になりがちだからですね。
「波に飲まれないように、圧倒されて挫けないないように」
「その基盤としての『わたし』を確立するための手段として」
「自己都合を極めて強くプッシュするようになる」
「それによって、わかりやすい他の犠牲が見えたなら」
「わたしの完成であり、同時に勝利を実感できる成功となる」
みたいな営みですね。
ーーーーー
で、私のような自閉症気味の傾向がある、特殊体は、
けっこう、「わたし」をナチュラルに体現しているんですよ。
意図せずとも、わたしの世界しかない、みたいなものです。
これは一種の世界の分断であり、あんまりそれを突き詰めるのも、ダメージを生むので破壊的な側面はあるのですが、
これはこれで、いちジャンルとして、昔からあるものです。
例えば、日本では「武士」っていますよね。
明治維新以降の武士は、実際に、刀で斬りあって血しぶきを上げるような機会もないですから、
より、ある意味哲学的なアプローチで、「武士とは?」という精神面での研磨が行われたと思います。
で、どこかの武家の生まれの人が、「葉隠」という著書で、
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という有名なフレーズを出しているんですね。
これはおそらく2つの意味があって、
ひとつは、ギャンブラー、勝負師は、最終的には「死」に入っていくことになる・・・
だから、勝負師たるもの、死にこだわり、そして確実に死ぬべし。
というような勝負の世界での所作の側面。
もう一つは、「滅私」精神ですね。
武士って言うのは、もう極めて「オレが!オレが!オレが最強なんだ!」っていう強調をしまくる人種ですから(強くないと、すぐ殺されるので)
「自己中の極み」なんですよね。
そのため、その辺をプッシュすると、「ただのイキり野党」となるのは自明なので、
オフィシャルな立場である「武士」は、「主君に忠誠を誓い、我が命を捧げる」というような仕事上のルールで自縛しています。
自己制御の一貫ですね。
現代社会において、もし誰かに「忠誠」を誓うとしたら、
それは建前で、要は「自分が得したいから」「力のある人間を、利用して、利潤を吸い取りたいから」「強い存在を、ファッションのように身にまとって、自分も強くなりたいから」
とかいう「自己利益を増やす」目的での、別の意味の忠誠、印象付けとしての頭垂れとヨイショ賞賛ですよね。
武士の忠誠は、印象付けもする人もいると思いますが、ガチで自分の命を物のように認知して、それを供物として君主に捧げるってマジでやるんですよ。
葉隠の言葉のもう一つの側面は、「滅私」です。
「オレは、主の剣となり、楯となる」
「その奉公によって、どれだけの富を得ようとも、オレは最初から最後まで道具であることに徹する」
「道具は、最後には朽ちて滅びて絶望し、死ぬ。それが私の生だ」
という滅私の側面がある言葉だと思います。
つまり、武士というのは「オレが最強だよ!かかってこいや!」という自己中精神をぶち上げておいて、
そこからロジカルな整合性を得るために、
同時に、ギューン!と「滅私」も極めようとするんですね。
「独りジェットコースター」みたいな、「関わりにくい人」ということです。
それだけの「ふり幅」がありますから、武士の内面では比較的大きなエネルギーが渦巻き、かつ、制御されているような在り様になります。
そのため、「達人」の域に達しているという武士は、
「凪のように静かで、かつ圧倒的な威圧感」で、剣を交える前に、相対した敵の戦意を失わせ、逆に心からの敬意を払われるくらいの人も、実際にいたと思います。(明治時代には、いなかったかもしれませんが、宮本武蔵とかがいた時代・・・剣術が発展した時代には、確実にいたと思われます)
っていうんがあるんで、
結局、「自己中が悪い」とか、あるいは「滅私が良い」とかは一概には言えないのですが、
大きなリソース投資を得て、エネルギーに満ちている人も、
それを制御するのも一苦労だし、人生がジェットコースターになって怖い思いもしているので、
しかも、死ぬ覚悟をしつつ生きたりしているので、
それなりに苦労も大きく、危ないことをやることになったりして、そこまで良い人生というわけではないです。
立場によって、いろいろ色合いは変わってくるけど、
基本的に、みんな大変な思いをして生きているということですね。
お疲れ様です!
おわり
【徒然日記】紙タバコ喫煙について
ヤフーニュースで楽しんごさんが、
喫煙について、「禁止・排除一辺倒じゃなくて、吸う人と吸わない人の共存を考えて、折り合いをつけていった方が良い」
という趣旨を発信したそうで、その内容はまぁ賛否あると思います。
で、私は、禁煙にトライしたんですが、失敗しました。
でも、一応、禁煙前はタール8mg/1本のタバコを1日「7~8本」くらい吸ってたのを、
3日間くらい、「1日3本」生活を実際にやったんですよ。
3日間だけです!
その時、やっぱり、怪談の稲川淳二さんみたいに、
「すいたいな~すいたいな~」ってなってたんですけど、
けっこう我慢してみると、それほど苦痛でもないんですね。
ニコチンが切れて、イライラ感もあるんだけど、
その程度が、沢尻エリカさんのように「別に・・・」っていうくらいなので、
我慢できるか、できないかで言えば、まぁ「できる」程度のものです。
「じゃあ、禁煙成功させてよ!バカ!」となるのはわかるんですけど、
結局、「なぜ、タバコを吸うのか?」っていうと、
もちろん「そもそも嗜好品としてのタバコを愛しているから」とか「ニコチンが切れたら頭がちょっとイライラ・モゾモゾするから」っていうのもあるんですけど、
一番クリティカルなのは、
「(作業などの)やることがない」っていうのが、きついんですよね。
作業が生まれたときは、その作業をコツコツ集中してやって、
その間は、タバコ全く吸わなくても、いけるんですよ。
でも、ニート生活していると、
家事とか、ひと段落して、他に作業もないとなると、
本当に、やることがなくなるんです。
YOUTUBEみたって、ヤフーニュース見たって、基本ヒマつぶしでしかないし。
タバコを吸わないことが辛いんじゃなくて、
「何もせず、ただただ、時間という資産を浪費している」っていう状況が、
許せなくなってくるんですね。
あと、私はけっこう機能性を高める訓練してますから、
やっぱり、築き上げたシステムを、ある程度、RUNさせた方が、安定するんです。
自分の人生にとって必要なシステムで、作り込みすぎて、いかつくなりすぎたという事情があり、その点はバランスを欠いている側面はあると思いますが、
もう作っちゃったので、
それを廃棄する気もないので、「とりあえず、現行システムを出力を抑えた状態でもRUNし続けたい」っていう都合が生まれます。
そこで、「何もすることがない」って、かなりきついんですよ。
失敗を、時間経過で垂れ流し続けている状況に見えますし、
事実としても、そういう側面が大きいとわかっているから、つらくなる。
で、そこで「気分転換」という枠内で、ちょっと8分くらい外を歩いて、タバコを吸うってやると、
脳も整うんで、「あぁ~なんかやったなぁ」って思えるから、
すっごく安定するんです。
っていうんがあるんで、それって禁煙問題じゃなくて、私のライフデザインの問題だなって言うことです。
そのくらい、へたくそってことですね。要改善マターで、解決の見込みが立っていません。
まぁ、身体が健康なら、「外で仕事する」っていうのが正解になりますが、
身体があまり健康じゃないし、他もろもろの諸事情により、「働けない」ので、どうしようかな~と悩んでいます。
上手く行ってない感に、もやもやしています。
タバコは、吸わない方が良いに決まってるんですけどね。
ただ、世の中の多くの喫煙者(紙タバコやアイコス吸ってる人)に、ひとつポジティブなことを言うと、
「喫煙者は、めっちゃタバコ税払っているので、国の財政を支えている程度としては決して小さくないです。胸張っていいですよ!」
とか言って、終わろうと思います。
あと、普段タバコを吸わない人が、タバコの副流煙に触れたら、
「うわっ」ってなりますよね。
喫煙者でさえ、タバコを吸わない期間では、同じように「うわっ」ってなりますから。
その点は、ご迷惑にならないように、できるだけしていこうと思います。
おわり
【徒然日記】キングコング西野さんの美術館再建プロジェクト
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(情報ソース:ヤフーニュース2026/5/16配信GOETHE記事より抜粋)
今回は【美術館をつくる】というテーマでお話ししたいと思います。
“現在地を正直に共有する”という進め方
『河口湖 音楽と森の美術館』の運営を少しずつ引き継いでいます。
引き継ぎの初期段階で、「このタイミングで美術館名も大きく変えますか?」という提案をいただきましたが、現在の名前は、これまでこの場所を守り続けてきた先輩方の歴史そのものです。
加えて、現時点ではまだ館内コンテンツに十分に手を入れられているわけではありません。 そんな状況で、必要以上に“リニューアル感”だけを演出し、期待値を先行させることには違和感があったので、「まずは名前を変えずにいきましょう」とお返ししました。
これは裏を返せば、「まだ、その期待に見合うだけの状態には到達していません」という、極めて率直な自己申告でもあります。 けれど実際に美術館へ足を運んでくださったお客様からは、「この場所がこれからどう変わっていくのか楽しみ」という声を多くいただいていて、結果として、“現在地を正直に共有する”という進め方は間違っていなかったと感じています。 言い換えるなら、「完成品を見に来る」のではなく、「育っていく過程を味わいに来てくださっている」という感覚です。
逆に、今の時代において危ういのは、「オープンに合わせて大々的に煽る」というやり方かもしれません。
もちろん、一時的に話題にはなるでしょう。ですが、その熱量は往々にして“参加”ではなく“消費”を生みます。そして期待値だけが先行すると、コンテンツは「一緒に育てるもの」ではなく、「粗探しの対象」になってしまう。
だから今は、背伸びをせず、変化のプロセスそのものを共有していくことに価値があると思っています。
華やかさよりも、まずは基礎体力を整えるフェーズ
最近は、『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』を届ける日々もそうですが、「完成された成功談」よりも、失敗や試行錯誤を含んだ“現在進行形のリアリティ”に面白さを感じています。
厳密に言えば、今、美術館で取り組んでいるのは「新規事業」ではなく「事業再生」です。 ゼロから理想形を作るのではなく、すでに存在している課題や負債や構造も含めて引き受けた上で、「さて、ここからどう立て直すか?」を考える仕事です。
今はまず、出血を止める。 その上で、集客と収益を改善していく。 華やかさよりも、まずは基礎体力を整えるフェーズです。 僕自身、講演会やビジネス書、コンサルティングなどで散々“経営”について語ってきた立場なので、ここで結果を出せなければ説得力がありません。
ある意味では、「経済評論家が実際に起業する」ようなものだと思っています。 でも、どうせ挑戦するなら、そのぐらい緊張感のある方が面白い。
失敗すれば信用を失うかもしれない。だからこそ、そこにリアリティがある。 何歳になっても、そういう崖沿いを歩きながら、うまくいったことも、うまくいかなかったことも含めて、皆さんと共有していきたいと思っています。
これから重要になるのは、「誰が語っているのか」
最近の小さな発見でいうと、美術館内のコーヒーを100円値上げしても、販売数がほとんど変わらなかったことです。
もともとは“地元価格”で設定されていたのですが、スタッフにとっては日常の場所でも、お客様にとって美術館は「目的地」です。
そこで価格を“観光地基準”に調整してみたところ、購買行動にはほとんど影響がありませんでした。 「提供する側の感覚」と「訪れる側の感覚」は、必ずしも一致しない。 これは、他の事業にも通じる重要な示唆だと思っています。
そして、次に仕掛けようとしているのが、美術館の改修やアップデート費用を集めるための「事業投資型クラウドファンディング」です。 今回は、いわゆる“出資型”ではなく、「貸付型(融資型)」で進めようと思っています。
つまり、返済義務を負う形です。 特に、まだ銀行から十分な信用を得られない若い世代に向けて「資金調達には、こういう方法もある」ということを、実例として提示できればなぁと思っております。
おそらく、来月頃にはスタートできると思いますので、その際はまたお付き合いいただけたら嬉しいです。 AI時代に入り、「情報そのもの」の価値は急速に薄れていくと思います。 これから重要になるのは、「誰が語っているのか」。
そして同時に、「いつの時代に試し、結果を出した知見なのか」という時間軸です。 だから僕は、“成功した後の事後報告”ではなく、立ち上げから迷走まで含めた現在進行形を、そのまま共有していこうと思っています。
ーーーーー
何か、西野さんのチャレンジ精神は良いと思っているのですが、やや言っていることがちょっと腑に落ちないですね。
彼も、しがらみの中でやっているんだろうな、と思います。
で、コラム記事の内容を見ると、
どうやら西野さんは普通のビジネスではなく、
「経済的に活性化しているコミュニティ形成ビジネス」をしたいように見えます。
言い方を悪くすると、「お財布の囲い込みビジネス」ですね。
通常のビジネスにおいては、「サービスの供給元」と、「消費者(顧客)」の関係性は、
「額面上は、利益相反関係」です。
「ウィンウィン」ですよ!と広報したとて、実際には幻想で、
供給元が得をしているなら、消費者が損をしている(ただし、これは額面ベース)っていうのが、暗黙の共有知でしょう。
ただ、消費者側も、自分の仕事で客から利潤をかすめとって、それによって給料を得たりしているわけで、
そういう経済の流れを見やると、「よくわからないから、まぁいいや」っていう感じで、実際にお金をペイして、何かを消費しているような場況です。
あと、消費者側からすれば、生活の絶対必要な家賃とか、水道光熱費とか、食費とか、
そういった固定的な支出を除いた後の、可処分所得がある程度あるなら、
「その可処分所得の範囲内で、無駄遣いしても、生活やっていける」ため、
「その点、どうでもいいから」、割高な商品・サービスにもペイしているって感じでしょう。
で、この通常のビジネスと、消費行動の枠内においては、
「この商品・サービスの、本当の価値を見出そう」とかいう深堀りする動機を失うので、
西野さんの打ち出している商売上のテーマというのは、その点斬新で良いと思います。
「商品やサービスに含まれている潜在的な価値を掘り起こして、広報して、それに対して金を払ってもらおう」って感じになっている。
ただ、原則として、少なくとも額面ベースでは、「供給元が利潤を得て、消費者はその分損を見る」のは確定事項なので、
その辺との整合が取れておらず、私からすれば、西野さんの言っていることは何か腑に落ちない感覚を覚えます。
フツーに、「この嘘ならだまされてもいいやと思うほどの夢のある感動をご堪能ください!(そしてだまされてお金を払ってください)」
っていうのが、まぁ、企業のあるべきスタンスだと思います。
で、コラム記事には、「最初から完成形を出さずに、失敗見込みも含めて、そのプロセスを一緒に体験しましょう」っていう感じになっていて、
これはチームみらいの安野さんにも共通して、おそらく同族なんだと思いますが、
「もともと、これは完成じゃないんですよ。失敗ありきで、そこから改善します」っていうスキームじゃないですか。
でも、それって、「そもそも、みんなそう」なので、
それをあえて口に出している所が、不自然ですね。
例えばビックカメラ行って、棚に並んでいるデジカメを見て、デザインが気に入って、店員さんに「この商品について教えてください」って聞いたら、
店員さん「あぁ、これはメーカーさんが社風がとても明るい会社で、素敵なんですよ。ただし、この商品はまだ未完成品なので、不具合とかいろいろあって、ちゃんと写真とか動画がキレイに撮影できない状態なんです。今後、お客様のご意見を取り入れつつ、大勢の仲間がいる年会費アリのコミュニティに参加して頂いて、みんなで改善プロセスを見守るような商品になっています」
ってゆわれたら、「え・・・?」ってなりますよね。
お客「いや、旅行を来週行くんで、その時ちゃんとした写真撮りたいんですけど」
っていうお客もいるだろうし。
ってことを書いて、思ったのですが、
いわゆる、昭和時代からあったような、
経営陣から社員に対してプッシュされるような、
「お前ら、ノルマの売上立たせんのがお前らの仕事だよ!目標達成するまで馬車馬のように働けよバカヤロウ、コノヤロウ!」
と言ったような、体育会系のビジネスのノリに対する、
アンチテーゼを証明したいんだろうな、と思います。
私個人としては、別に社長にその気があるなら、体育会系のノリの会社があってもええやんって思うんですよね。
だって、ホワイト企業だって、追い込まれたら、売り上げ目標達成に心血を注ぐケースってあり得ますよ。
それを年がら年中やっている、かつ、あまり儲かっていない会社がいわゆる「ブラック企業」っていう位置づけになります。
っていうんがあるんで、
あんまり、「ノルマ達成追い込み型」を打ち砕くようなアンチ活動は、
まぁ、言ってしまえば「経営きつくなっても、努力しない」会社って感じになるので、
「脆い」ですよね。
もちろん、経営状況に関わらず、ずうっと同じようにやる、っていうのが理想形ですが。
実務上は、追い込まれたら、焦ってダッシュすることはよくあるというだけで。
そういう意味ではアリなのかなぁと思います。
ただ、私が西野さんのビジネスモデルをもしやるとしたら、
そのプロダクトの完成までの行程を、コミュニティのみんなで鑑賞して夢を共有しようっていう趣旨であるならば、
そのコミュニティの会員からは、あんまり出資金は引っ張ってこないですね。
年会費とかは、取るかもしれませんが。
だって、出資金を引っ張ってきたら、もう「巻き添え」じゃないですか。
事業がミスったら、金銭の損害が出るんですよね。
そうなったら「楽しめない」「だまされた」じゃないですか。
リスキーだと思うのですが、そうなったら、西野さんは、
「だって、あなたがこのプロジェクトが好きで、お金出したんですよね?」って言うのだろうか。
プペルの映画のクラウドファンディングは元本保証できたんだろうか。
できているなら、セーフだと思いますが。
アウトになるリスクを、仲間にも負わせるって、「仲間に抱き着いて、海に身投げ」みたいになるから、
ちょっと怖いですね。涼しい顔ではできない営みだなと思います。
おわり
【徒然日記】仕事の例
さっき、家の近所を歩いていた時、
歩道を、青い運動着を着た5歳未満くらいの子供たち10人くらいを、
引率のお兄さん2人が連れて団体で移動していたのを見たんですね。
で、どうやら、近所にある保育園の団体ではなく、
私は「一体、どこの子供たちだろう?」と思ったのですが、
今日は土曜日なので、多分、何かのキッズスポーツクラブみたいな団体なんだろうなと想像しました。
で、観察していると、引率のお兄さん2人が、ちゃんと「先頭」と「最後尾」を固めていたんですね。
こういう「仕事」を見ると、私はホッと安心したりするんです。(もともと、私が心配しがちだという側面もありますが)
逆に、「先頭の引率者1人だけ」だったら、これは仕事としては「非常にぬるい」状態・・・ガバガバのテキトーやっつけ仕事と言えます。
ちゃんと仕事ができている、お兄さん2名の頭の中では、こうなっています。
「先導役1名だけだと、後方へのケアがおろそかになって、子供たちを十分に保護できない」
「絶対に、前と後ろを大人が固めて、常に子供たち全員が視界に入るようにカバーすることが物理的に必須になる」
「もしも、後方をだれもケアしていなかったら、歩くのが遅い子は、集団から取り残されるかもしれない。それで迷子になるリスクもあるし、あるいは、その子が遅れていることに気づいて、焦って走りだして道路を横断するかもしれない。そうなったら、車に轢かれるリスクが高くなり、危険すぎる」
っていうように、
第一に、「子供を預かるからには、子供を事故から守ることが優先順位第一位だ」
第二に、「どうすれば、安全を担保できるだろうか?→集団の先頭と後方をがっちり固めれば実現できそうだ」
第三に、「あとは、現場で、気を緩めることなく注意し続けて、全員を安全に移動することを達成しよう」
第四に、「優先順位第二位として、子供たちにとって、今日の活動が良い思い出になるように自分たちも含めて、楽しくやっていこう」
っていうようなことが頭の中で巡っているはずなんですよ。
「この仕事とは何か?」っていうところを、優先順位決めによって定義して、
「どのようにすべきか?」という行動に落とし込んで、
「子供たちが事故に遭うケースを想像して、心中で冷や汗をかきながら」
「子供たちと、その背後にいる親のニーズに応えるために、活動を楽しむ」
っていうことができたときはじめて、「ちゃんと仕事している人」になります。
仕事自体に、意味を見出せないという方は、こういう営みをどうジャッジしますか?
子供たち自身や、子供のご両親などのお客の立場になって考えてみるとわかると思います。
「この仕事、このサービス、めっちゃいいな!」って思いませんか?
だから、ちゃんと仕事をすると、金をもらえる機会が増えるんですよ。
逆に言うと、仕事を軽視して、テキトーにやって、それを長く続けていると、
リアルに、子供が命を落とします。
そして、お兄さんたちの会社には、億円単位の損害賠償請求がやってきて、潰れるかもしれません。
お兄さんたちや、所属しているスポーツクラブの管理職、取締役は、亡くなった子供の両親から、「あなたたち、何をやってたんですか!」という怒声を浴びるでしょう。
「ただの、引率」「退屈な作業」に見えても、
背中に背負っているものは、意外と、でかいんですよ。
で、これは、あらゆる仕事に同じことが言えます。
「自分が、自己都合で、意図的に仕事の手を抜くことによって」
「必ず、誰かが、その損を引き受けている」んです。
それによって、会社は簡単に潰れます。自社内のよく働く人がオーバーワークでつぶれたり、客からの信用を失って、会社が潰れたりするんですね。
っていうんがあるんで、
「できる範囲で」「自分の健康を害さない範囲で」「やれるだけ仕事をやろう」っていう態度が、
あった方がいいな~と個人的に思っています。
もちろん、全員がそこまでの矜持を持てるかというと、現実的ではないかもしれませんが、
私は、「できるだけのことは、やっておこう」と思って、行動し続けます。
今、無職なんですけどね!
おわり