葉隠~覚の士、不覚の士

noteの人文学カテゴリの記事に「先見の明」とタイトルがあったので、ようし見てみようと思ってページを開いてみたら、葉隠の一節の解説コラムでした。

 

解説によると、道理をわきまえ未来予測ができるのが「覚の士」で、行き当たりばったりなのが「不覚の士」。

 

実例では、1833年頃、二宮尊徳が農業改革に取り組んでいるときに、二宮担当の村のナスをふと口にしてみると、夏にも関わらず秋ナスの味がした。その機微から、二宮は将来の飢饉の気配を察知し、村人にある割合で稗(ひえ)の種を追加で蒔くことを命じた。その後、予想通りに大飢饉に見舞われ、周辺の村ではたくさんの餓死者を出したが、二宮の担当する村は一人も死者はでなかった、そうな。

 

なぁんだ、私が日記で「未来予測大事だよ!リスクは必ず減らそう!」とか言ってる200年くらいの前から、ゆってる人いるじゃん。しかも日本人で、ご丁寧に実例付きで。

 

日本に限らず、人間って、カントの後にも哲学界はカント無視するし、ニノが実践して見せてるのに学校で未来予測を教えないし、不思議だなぁと思いますね。失敗に淫してるんでしょうか。

 

例えば国際金融資本が変な命令してきたって、国際金融資本も合理的にしか動いてないんですよ。それは彼らなりの合理性であって、きちんとしたものでもないかもしれませんが。どんな強者でも、理を無視したら簡単に滅びます。

 

私は、サボってたネット麻雀を今日やってみたのですが、ジワジワ上達してる感じがします。嫌になってサボってた理由は「たとえ勝っても、その理由がわからないから」です。わけもわからず勝って、わけもわからず負けて、一体私は何をしているんだろう?という無重力状態でふわふわしてしまったので、嫌になったんですが、

 

今日はちゃんと「自分の打ち方の戦略みたいなもの」を、ちゃんと自分が納得してから(合理性を見出してから)実践するようにしました。

 

で、10戦くらいやってまぁまぁ勝ち越せました。これが嬉しいです。何で勝ったのか、何で負けたのか、完全じゃなくても見えてきたから「麻雀やってる感」を実感できたからです。

 

でもまぁ、わけもわからず失敗しても特にその人を責める必要は無いんですけど、100人中70人が「不覚の士」だと、勝ち目が薄いな、という杞憂があります。

 

50人くらい「覚の士」が欲しいですね。バランスをちょちょっと操作するだけだから、そんなに深刻な問題じゃないですよ。