小さい世界

何かすごいこと、大きいことを成し遂げたいけど、その実力が無くて困っている人は世の中に多いのではないかと思います。

 

私も最新の何かのAIを解読したいけど、数学の勉強を少しずつやっているだけで、いまだにアルゴリズムの教科書を読むことができません。

 

数学得意じゃないし、めんどくさいなぁ、と思ってサボったりもします。こういう人は、今のままで幸せなのかもしれません。

 

こういう人は、自分の小さな成長に注目するのが良いと思います。

 

人間は、例えば1日経つと、厳密には違う人間なので、「昨日よりどうかな?」と観察すると、けっこう昨日とは違うように思えてきて、「成長したな!」と勘違いのようで勘違いではない実感が湧いてきます。

 

例えば、私は今日夕飯にチャーハンを作ったんですが、あらかじめ卵を白ごはんに含ませたり、ちょっと気持ち強火で炒めてみたり、初めての調理体験がありました。

 

まぁまぁ美味しく作れたので、この体験を通して、「ちょっとチャーハンのことを良く知ったな!」と満足しています。

 

大きなことができないのは、資本が足りていないから、かもしれません。もちろん技術も必要なんですが、資本がないと、人は基本的に生産活動はできないと私は思っています。

 

私の場合では、資本は「熱意」です。「AIを解読したいぞー!」という気持ちが足りません。もしも、どうにかして熱意を掘り起こすことができたなら、その発見でノーベル賞が取れるかもしれません。

 

資本がないなら、大きなことはあきらめた方が良さそうです。その代わり、熱意の小さい人は、小さい世界にこだわってみた方が面白いと思います。

 

小さい世界も、大きい世界も、どっちも大事なので、先に小さい世界に行くか、先に大きい世界にいくか、という「手順の差」しかありません。

 

模範的な手順としては「大きい世界」→「小さい世界」ですが、逆でもいいでしょう、ちょっとひねくれてる人ならそうやっても問題ありません。

 

私の場合は、数学でいうと、ガンガン公式をインプットするのではなくて、自分が解ける難易度の問題を、一期一会の気持ちで、よく味わいながら解いていく、というスタイルで解いていくと良いかなと思います。

 

「解ける問題だ」と一括りにしないで、ひとつひとつ違いを発見できるようになれば、それは将来の礎となりましょう。

 

自分で良いアドバイスになったなぁと思っていますが、もしこれをしないのであれば、鬼のような強プレッシャーで追い込むしか手が無くなってしまうので、それをやったことのある者としては、速いけど疲れるからやだなぁと思っています。

 

明日は数学サボらないで小さな世界でがんばろうと思います。