刑法について考えてみた その5

刑法を読んでみようのコーナーその5です。

 

刑法「総則」の第7章「犯罪の不成立及び刑の減免」を取り上げています。

 

刑40条 削除

 

なんですとっ!?

削除ときました。いったん決定された条文が削除されるというのはレアケースなのではないでしょうか。

 

こういう所にしばしば「重要な情報」が眠っているものです。

早速削除された条文を見てみます。

 

刑40条

イン唖者の行為はこれを罰せず、又はその刑を減軽す。

 

「イン唖者(いんあしゃ)」とは、耳が全く聞こえずしゃべれない人のことを指す言葉です。

 

これは明治時代からの遺物のような条文で、当時は聴覚障害者は教育が受けられなかったという背景があり、イコール刑事責任が無いとされていたらしいです。

 

この削除のきっかけとなったのは、イン唖者による犯罪の被害者の要望ではなく、

当事者である聴覚障害のある団体が「我々に責任能力がないことはない。40条は差別的である」という主張を自ら行ったことによるものです。

 

これを受けて、平成7年に40条は削除となったのでした。なるほど~

 

つまり、時代の変化により環境も変わり、それに伴ってイン唖者の人たちが責任能力を得た→法律のバージョンアップ ということですね。

 

これは私の期待?から外れた、「納得できる削除」ですね。

もっと司法当局の「意思」の情報が拾えるような「削除」の方が都合が良かったです。

 

このシリーズのその1冒頭でも書きましたが、

私は国の統治者が犯罪に対してどのような態度をしているのか?を知るために「刑法を読んでみよう」をやっています。

 

ここまでの感触だと、非常に実務的な観点から作られているな、という印象です。

そもそも法律を作ってるのは統治者ではなく、

官僚や学者だということに考えが及んでなかった・・・考えなしで走ってました(汗)

 

例えば「その3」で取り上げた「故意」の38条3に

法律を知らなかったとしても(中略)罪を犯す意思がなかったとすることはできない。(後略)

 

とあるように、運用面でのトラブルを避けようとしている意思が感じられます。

もし上からの統治をする者が法律を作っているのならば、この条文は存在していないと思います。

 

国の指導者とは、現場の状況に合わせるのではなく、示した方向性によって現場を支配することがその役目だからです。

 

日本は民主主義国家で、三権分立(司法、立法、行政)だということを思い知らされました。北朝鮮ではないんですね・・・。

 

取りあえず刑法総則の7章はあと「責任年齢」「自首等」が残ってるので、教養として読んでいこうと思います。

 

当初の趣旨(統治者の意思を読み取ること)を達するには、法律の条文を読み込むことよりも、「どんな法律が存在しているか、と、そのバランス」を調べた方がよさそうです。

 

日本国が近代国家の定石システムの枠で動いているといっても、

実際的に権力を持っている一部の人間が、その影響力を行使しているという現実がある(多分ある)以上、その痕跡は必ず残っているはずです。

 

その痕跡を麻薬探知犬のようにクンカクンカしていこうと思います。