戦争について考えてみた

もちろん戦争は体験したことがないのですが、

 

今の社会で私たちが便利に使っている機械に、戦争がきっかけで誕生したものがあるそうです。

 

電子レンジ、パソコン(インターネット)、デジタルカメラなどがそのようです。

 

この現象を見ると、戦争は技術革新を生み出してくれる良い面もあるのでは?

と思ってしまいます。

 

知恵袋を覗いてみるとこんな質問がありました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

BAによると、

・上記の技術が生まれた最初のきっかけは軍需ではなく民需である。

・戦争状態では、技術進歩を行う環境が損なわれやすいので、逆(平和期の方が新しい技術が生まれやすい)である。

・戦争を長く行っていても技術が進歩していない国の例もある。

 

とのこと。「戦争のおかげ」とすぐに考えるのは短絡的なようです。

 

しかし私は、戦争下の需要というものに大きなエネルギーを感じます。

今の生活に慣れると、まったく新しい生活のあり方をイメージすることは難しいのではないでしょうか。

 

パソコンが無かった時代に、今のようなインターネット環境を想像できる人は、天才としか言いようがないと思います。

 

戦争で「ミサイルの軌道を計算するため」という明確な目標を得た、このきっかけ作りとして戦争は一定の意味があると私は思います。

 

もちろん戦争は殺し合いなので、一市民としては無い方が良いに決まっています。

 

未だに戦争がある理由は、戦争が起こった方が都合の良い人(武器商人など)の勢力の存在と、殺し合いのリスクに勝る価値観を人が持っているからだと思います。

 

テロリストなどは、自爆攻撃も使うと言います。

 

人の生命をなんとも思っちゃいない、又は、生命よりも大事なこだわりを持っているということです。

 

このことは、「生きていること自体に価値がないと思っている」「人間の生を超えた何かを信じている」ことを示しています。

 

イスラム原理主義者は戦争の動機に「宗教」を掲げますが、「宗教」を正当化の道具のように扱っているだけで、本音は別のところにあると睨んでいます。

 

原因は「貧困」と「教育制度の不整備」だ!と言いきりたいです。

 

戦争によって、技術が生まれても、これらの問題は解決されない、というのは不思議なものです。

 

すでに一定以上の裕福な人の暮らしが豊かになるだけで、貧困者はさらに戦争によってダメージを負うという負のスパイラルがあります。

 

この悪い流れを断ち切る知恵が実現されないということは、貧困問題は社会を維持するための必要悪ということなのでしょうか。

 

もしそうであるなら、現在の貧困者と裕福者の立場をひっくり返しても、社会は存続できるという仮説が成り立ちます。

 

それは多くの既得権益者が「NO」というだろうけど、ずっと同じメンバーが甘い汁をすするというのは不公平だと思います。

 

貧困者が裕福になる、裕福だったものが生のサバイバルに参加する、それぞれ教育の機会として価値はあるでしょう。

 

このシャッフル案は、もっと国際社会がシュッとなって世界統一国家が誕生した後に誰かがきっと言いだすと思います。

 

遠い未来の話でしょうが。