ダウン症について考えてみた

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この記事に関して考えたこと・・・

 (記事の要約)

ダウン症とは、生まれつき染色体に異常があることで起きる。

多くの場合、知的な発達に遅れがあって、ゆっくりと成長する。

 

ダウン症のある人(12歳以上の852人)へのアンケートの結果、

「毎日幸せに思う」「仕事をしていて満足がある」がそれぞれ約90%となった。

仕事も趣味も充実している、健常者とほとんど変わらない生活をしている人もいる。

 

しかし、妊婦の血液から胎児の染色体を調べることが可能になったことで、ダウン症のある子供を中絶するケースが多く存在する。

この検査の際におこなわれるカウンセリングで、上記のアンケート結果などが十分に伝わっていない、との指摘がある。

 

人間、誰しも染色体や遺伝子レベルでは、完璧ではなく、何か欠けていることがわかっている。ダウン症も個性のひとつとして認める社会を目指すのが好ましい。

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ダウン症について

私はダウン症の人と接したことはなく、ほとんど知識はなかったですが、ダウン症かな?という人は駅のホームなどで見かけたことはあります。

 

その時の印象から、大人になっても会話がままならないと思い込んでいたのですが、この記事を読んで「ゆっくりと成長」し、仕事もできるのだと初めて知りました。

 

「得体の知れないものだから」と遠ざけてしまうと無用な差別を呼び起し、社会悪に発展する危険性があるので気をつけたいと思いました。

 

■障害のある子供の中絶について

中絶と聞くと、まず進化論が頭に浮かびます。

進化論とは「生物の遺伝子は変化していて、環境に適応した変化をした結果、よりよく生き残っている遺伝子が優れている」というものだったはず。

 

遺伝子の優劣を決めるジャッジは自然界が担っているものですが、中絶は、人間がそこに「健康な子供の方が好ましい」という恣意的な影響を強く与えているようで、直感的に「生物の一選手である人間がそこに手を出していいのか?」と心配になります。

 

一言でいうと「アンフェア」じゃないか?と思ってしまうのです。

 

ひな鳥が親から餌をもらう競争をして、負けたひな鳥が餓死してしまう・・・

これはフェアな競争ですが、

この時親鳥が「この子は体が小さいから餌をあげないでおこう」と意図的に切り捨てを行ったとしたら、一体どうなるのか?

 

体の大きな恐竜が絶滅して、体の小さなネズミが生き残った前例に照らすと、

この進化の操作は「リスクがある」という評価になりますが、

 

生物種の栄枯盛衰を考慮した投資というもの自体が、スケールが大きすぎて私のような個人にそれを受け入れるだけの容量がないという問題があります。

 

現在の気持ちを吐露すると「人間が絶滅しても構わない」になります。

 

これを踏まえて、話をダウン症に戻すと、

中絶もアリだし、産んで育むのもアリ・・・私個人としてはそれぞれ親がよく考えて出した結論ならばそれが一番良いということになります。

 

人間の繁栄を願う立場ならば、「ダウン症が劣っているから」という理由での中絶はしない方が良いでしょう。

 

ダウン症でも生きがいを見つけて、健常者と同じように生をまっとうできる環境が今すでに作られているようなので、なおさら(前記の理由での)中絶は悪手と言えます。

 

ダウン症も個性

私もけっこう(良い意味でも悪い意味でも)個性的だと思うんですが、個性を認めるって言葉がピンと来ないです。

 

多分、「みな同じ」だという前提に立っていないからだと思います。

「自分と同じだ!」と思える人に会ったことがないのですが、もしそういう人と出会えたなら色々楽しい話ができるだろうな、とは思います。

 

ダウン症の人も、「ダウン症」で括られるのは嫌なんじゃないでしょうか。

きっと一人一人違う人間、もし出会ったら先入観を捨てて接してみようと思います。