争いについて考えてみた その5

①争いの発生を防ぐ方法

②起った争いを解決する方法

 

この2点について、現時点で取れる可能な方法について考えてみます。

今回は①について。

 

争いが起こるための必要条件としては以下であると考えます。

・「味方と敵の区別」が可能な人間(又は集団)が2つ以上あること。

・どちらか一方、又は両方が「何らかの欲」を強く肯定し、それが客観的に見て矛盾状態(あちらが立てばこちらが立たず状態)であること。

 

『「味方と敵の区別」が可能な人間(又は集団)が2つ以上あること。』

 

まず、人間が「個」という概念を捨てて、人類皆一心同体という考えを共有していた場合、仮に人間間で暴力による殺人が起こっても、それは争いではないということです。

 

生物はそれぞれ「自分の種」を守り、繁栄するために注力していますが、大きな視点で生命を一括りにすると、食物連鎖は「争いではない」という結論になります。

 

ここで興味深いのは、「どの立場の視点に立つか」によって、一つの事実が争いだったり、争いじゃなくなったりする点です。

 

全ての争いをコントロールするという目的に照らせば、

「全ての立場においての争い」が制御の対象になるという点を忘れてはならないと思います。

 

全ての争いを防ぐためには、個々の「味方と敵の区別」に対して干渉する必要があります。

  

例えば家畜を食べる人間の立場では、家畜は絶対的な味方なので殺しても争いではない、という認識を持ちます。

 

一方、家畜の側からしたらどうでしょうか。

もし家畜が「生命は皆ひとつ」という概念を持っていたら、これは争いではないでしょうが、おそらく、違う種の人間のことを敵(もしくは競争相手)と認識し、家畜にされ殺されることを一方的な侵害行為だと思っているに違いありません。

 

いや、思ってないかもしれないですが、蜂の巣を守ろうとする蜂の姿などを見ると、動物や虫も「敵・味方」の区別はついているんじゃないかと推測します。

本能として、そういう機能が備わっていると言ったほうが正確かもしれませんが。

 

争いを防ぐには、まずこの「敵・味方」本能を機能不全にするというのが需要なポイントになります。

 

敵がいなければ、蜂の針や牛の角は存在しないでしょう。

代わりに、平和的な捕食が横行します。

そして「食べられる相手を選ぶ」という新しい投資的な発想を持つ生物が生まれると思います。

 

生物全体のピラミッドの内、どの個体を自分の上位に据えるか、それが生物全体の繁栄にとって重要事項だからです。

私は今、考えることで「これが重要事項だ」と言っていますが、もちろん生物はそんな思考をせず、自然にそういうことが可能な生物が生き残るのでは・・・と予想しています。

 

さて、「敵・味方」本能を実際に修正する手段について考えます。

 

これは生物が持っている生存本能と強く結びついているものなので、これを否定すると生存本能そのものが失われる可能性がありますが、

 

私は「敵・味方」本能のみの削除、変更は可能だと考えます。

「生物は己の家族を味方だと認識できる」この事実一点を以て、その味方の範囲を拡張することは可能だと言いきっていいと思います。

 

「敵・味方」本能が生まれた背景には、生存するのに厳しい環境があるという点があるのでしょう。環境が敵、というわけです。根本的に世界を憎んでいるんですね。

 

なので、環境をぬるま湯にすれば、「敵・味方」本能は削れる・・・しかしこれをやると、生存本能まで損なわれてしまう可能性があります。

 

う~む・・・

 

プランクトンが自己増殖する原因は、本能ではなく一種の物質の化学反応です。

本能は、後付けなんですよね。後付けの本能のデザインは、やはり遺伝子操作によって可能ではないか(ぬるま湯環境でも生存本能を維持できるのではないか)と思います。

 

遺伝子に本能について記述されている部分が必ずあると思います。

それを操作して「敵・味方」の本能を削除→環境をぬるま湯にする、というのがこの件に関する私の解答です。

 

現実的な案になってないのが悲しいですが(遺伝子操作の技術がない、全ての生物環境をぬるま湯にする手段がない)人間を含む地球上の生物の遺伝情報をあるプランに基づいてデザインしていく、という方向は主流になると予想しています。

 

話が生物全体に及んでしまったので、人間社会の争いに絞って付けたします。

 

争いのない社会が存在するためには、最近アメリカが出張ってきて言ってるように、パワーの一極集中という必要条件を満たす必要があります。

 

強大なパワーの存在によって、個人がそれを敵とみなすことを放棄させているんですね。共通の味方を柱にして、味方の連鎖を構成する、それが国家の在り方です。

 

しかしイスラム過激派は、アメリカを敵視しています。

なぜなら、自分たちもある程度武力というパワーを持っているし、仮にパワーに圧倒的差がついても、アメリカには汲みしない、と思っているからです。

 

力で殺されても、反撃する意図を持っている捨て身の危険な存在です。

 

普通の人なら、アメリカの圧倒的な軍事力に立てつこうと思いませんが、

イスラム過激派が持っている「敵(の概念)」を排除するには、軍事力では用が足せないということです。

 

これはつまり、世界の統治者を名乗るならば、軍事力とは違う方向性の「あるパワー」を備えることが重要だということを示しています。

 

それが何なのか、具体的に言うと、イスラム過激派の人に「味方だと認められる」力とは何なのか?

 

それは本人たちに聞いてみないとよくわからないですが、

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の格言通り、イスラム過激派の人と対話し、相手の心情を読み取って、お互いに味方になれる条件を満たすという方向性は、新しい課題として取り組む価値はあると思います。

 

こんな感じで・・・

まだ1/4しか進んでないですが、長くなるので今日はここまでにします。

 

次回は

「どちらか一方、又は両方が「何らかの欲」を強く肯定し、それが客観的に見て矛盾状態(あちらが立てばこちらが立たず状態)であること。」

について争いを防ぐ方法を考えてみます。

争いについて考えてみた その4

人間はしばしば争いをしてしまう存在ですが、

 

「争いをコントロールすることはできるのではないか?」という発想からその方法論を考えてみようのコーナーです。

 

まず基本的なスタンスとして、

・「争い」は本来あってはならない

・「争い」はあってもいいが、制御しなければならない

 

この2つがありますが、どちらの立場に立つかで、考える方向性も変わってきます。

 

争いへのアプローチとして

前者は「争いを防ぐため」の操作で、後者は「争いを抑え込むため」の操作になります。

 

今回はこれをガッチャンコして、

・「争い」はあってはならないが、もしも発生した場合は制御しなければならない

というスタンスで考えるとします。

 

さて、争いとして何らかの衝突が顕在化するという現象は、

水が「沸騰する」ような現象なんだと思います。

 

水そのものの性質は一定で、ある条件が整うと、様態が変化するという現象です。

 

沸騰する原因は、

・水がそのような性質を持っていること

・水に一定以上の熱が加わること ですが・・・

 

沸騰を防ぐためには、

・水の性質を変更させる(沸騰しない水に変える)

・水に一定以上の熱を与えないようにする

 

というベクトルの異なる対処法が挙げられます。

 

水を人間に換言すると、

・人間の性質を変える

・人間に一定以上のストレス(本人の願望と現実のギャップ)を与えないようにする

となります。

 

ここで、

そもそも人間とは「必ず争いをするもの」として定義可能なのか?

いかなるストレスを与えても、争いをしない人間は存在しうるのか?

 

という疑問が出てきます。

 

「いかなるストレスを与えても、争いをしない人間は存在しうるのか?」

私はかなりストレス耐性がある(自分の願望をそっちのけにして現実に対応しようとする)と思っているのですが、

 

例えばヤンキーに暴力を振るわれた、という場合は争いを起こすかもしれません。

 

暴力でなくても、仕事で理不尽な扱いを受けた、となると「仕事の場において正しいとされる(私が正しいと思っている)ルール」を侵害されたと解釈して、争いを始める可能性があります。

 

ここでわかることは、人間は

「ストレスが加わった」+「自分の正しさが侵害された」

このとき初めて争いを起こすのではないか、という仮説が成り立つということです。

 

言い方を反転すると、

「仮にストレスが加わっても、それが自分の正しさの侵害に当たらなければ争いを起こさない」になります。

 

前のブログにも書きましたが、人間の「正しさ」とは「自分の欲の肯定」です。

持っている欲には、「肯定された欲」と「必ずしも肯定されていない欲」があるということです。

 

例えば「性欲」。

私にとっては「必ずしも肯定されていない欲」に当たります。

これが完全に肯定されると、性犯罪を犯すようになってしまいます。

 

争いのコントロールに話を戻すと、

その根本には「人間の欲(願望)」と「その肯定」があるということです。

 

実際に争いをコントロールしようと思ったら、

まず全ての「人間の欲(願望)」と「その肯定」の情報を持つことが必須です。

 

これを把握せずに、上からの政治的圧力で、ブワ~っと影響力を行使しても一部の賛成と一部の反対のリアクションが生まれるだけで、争いのコントロールは果たせません。

 

現代になってSNSが広まり、個人がそれぞれ何を考えているのか、ということは(昔と比べて)はるかにわかりやすくなっていると思います。

 

この風潮をどうにか利用して、国民全員を戸籍で管理するように、「個人の欲とその肯定」に関する情報を把握することが、将来的に必須になると予測します。

 

欲をカテゴリー別に分類して、それぞれどのくらいの強さか、そしてその欲のうち肯定している欲は何なのか、を個人別に全員分情報収集すること。

 

これが可能となった場合、スパコンなどを使って争いの発生予測をシミュレーションできる可能性があります。

 

問題は、入力情報として

・「欲の強さ」のパラメーター化が困難

・ストレス(願望と現実のギャップ)のうち、「現実」に当たる情報が入手困難

※例えば「新車が欲しいけど金が無くて買えない」「嫁の作る飯がまずい」などの膨大で超個人的な情報をどのように入手して入力するのかの問題

 

これらがあります。

世論調査のように、アンケート項目を作って、全国民に書いてもらう方法でなんとかならないでしょうか。

 

争い発生予測シミュレーターは、私は将来的に必ず実現されるものだと9割以上確信しています。

 

投資先として非常に優秀な対象だと思います。

是非これを開発して、中国に輸出してください。世界が変わります。

 

今回は理想的な案を上げましたが、次回は今すぐできそうな方法論を考えようと思います。

争いについて考えてみた その3

アメリカによるシリア空軍基地へのミサイル攻撃について。

 

・ヤフーニュース(日本テレビワシントン支局長の話)

朝日新聞の関連記事

 

を読んで、アメリカの意思決定プロセスがほんの少しわかったので追考。

 

①トランプさんへシリア政府の化学兵器使用の事実が報告される

②トランプさん情報収集を指示、戦略会議で3つの選択肢が出される

③トランプさんミサイル発射を決定

④中国の習近平主席との会食スタート

⑤ミサイル発射

⑥会食後、習近平さんへミサイル発射の事実を伝える

⑦トランプさんミサイル発射を公表

 

最終的に決定したのはトランプさんですが、その時に一応会議で周りの人に相談はしていたようです。当たり前と言えば当たり前か。

 

日本テレビワシントン支局長の話によると、

・ミサイル発射には、習近平主席との会食で交渉を有利にする意図があった

・トランプさんの側近で最も力を持っている人は元軍人

・ミサイル発射に反対した側近は、比較的発言力が低い状態 とのこと。

 

元軍人の参謀がミサイル発射への後押しをしたというのはいかにもありそうですが、

会食での効果を狙ったというのは、私は疑問があります。

 

そもそものシリア政府の化学兵器使用が会食の数日前だというのは偶然。

北朝鮮への武力行使も辞さないというアピールをする意図もあったのかもしれませんが、これが意思決定の根幹にある(トランプさんが重要視している)とは思えません。

 

相手は中国のトップなので、この程度のプレッシャーが効果を得ると期待するのは、相手を舐めすぎだと思います。

 

これは中国のトップがすごいと言っているのではなくて、安倍さんでも、仮に私でも、このアピールで判断が揺らぐということは、国のトップとして致命的だということです。

 

ニューヨーク・タイムズは、トランプさんが①で化学兵器の被害にあった子供などの写真を見て、「直感的に」ミサイル発射を決めたと報じています。

 

このメディアは反トランプなので、鵜呑みにするのはできませんが、

 

トランプさんの頭の中・・・

化学兵器ひどい!→これを許さないのが正義→アメリカは正義→アメリカはミサイル撃つ!→オレって正しい

 

という感じだったんだろうなぁと推測します。

 

トランプさんはミサイル発射について

化学兵器の使用と拡散を防ぐことは、アメリカの安全保障において重要な利益だ」

と言ったそうです。

 

もしもシリア政府の化学兵器がテロリストの手に渡ると、アメリカ本土が化学兵器の標的になりうることを懸念して、ということみたいです。

 

トランプさんは、化学兵器がすごく嫌いみたいですね。

この感覚がちょっとわからない・・・

 

私は化学兵器も通常兵器も受けたことがないので、もし化学兵器を喰らってみたらトランプさんと同じこと言うかもしれないけど、

 

今のところ、通常兵器でやられるのも、化学兵器でやられるのも、嫌さは同じくらいです。痛いか苦しいかの二択ですから。

 

ちなみにアメリカの今回の単独攻撃は、国連安保理で問題視されているようです。

そもそも化学兵器の使用が本当にあったかどうか疑われてる状態です。

 

昔「イラク大量破壊兵器がある」と言って攻め込んだものの、実は無かったという苦い歴史を彷彿とさせる行動ですね。

 

以上のことをまとめて推測すると、

トランプさんはちょっと「ヒーローを演じる」欲があるような気がします。

言い換えると「ええかっこしい」のような。

 

個人であるならば別に構わないし、ビジネスマンとしては人間的魅力を持つことは大事だと思うのですが、国の意思決定を担っている立場としては、余計な欲だと思います。

 

「人心を得るために、ええかっこをする」→これは良いんですが、

「ええかっこをして人心を得たら気持ち良い」→これはダメです。

 

トランプさんの「なりたい自分(アメリカ)」と「現実のアメリカ」の溝が決定的に深くなった(とトランプさんが自覚した)ときに、どういう行動に出るのか・・・

 

それでトランプさんの本質がわかると思います。

 

アメリカはこれから主役ではないので、これくらいにして、次回は争いのコントロールについて考えようと思います。

 

争いについて考えてみた その2

今回は争いのコントロール、ではなく最新のニュースについて

 

ニュースによると4月6日にアメリカがシリア政府の空軍基地をミサイル攻撃したそうです。この基地から化学兵器の発射が認められ、その対応であるとのこと。

 

アサド政権の後ろ盾にはロシアがいて、この一線を超えた攻撃によりアメリカ・ロシアの緊張が高まっています。

 

これはちょっと、アメリカにとってまずい展開だと思います。

アメリカがこの一手を取らなければいけない状況に追い込まれていたのかどうか、がポイントなんですが、

 

建前通り、「化学兵器の使用」に対する制裁を加えるという趣旨ならば、直接攻撃による破壊よりも、化学兵器反対の国際世論の醸成で十分です。

 

アサド政権の危険性を公にアピールできれば、その手足を機能不全に追い込むことは容易だと思います。アサド政権を叩くための「強い口実」が手に入るという意味です。

 

私の知りうる事実から結論を出すと、アメリカは化学兵器の使用そのものを直ちに防がなければいけない状況だった、ということになります。

 

私の所感としては、通常の破壊兵器も化学兵器も人が死ぬという意味ではあまり大差ないんじゃないかと思うんですが・・・

 

調べてみたら化学兵器は、対象の人を長時間苦しめるため非人道的とされ、

化学兵器禁止条約(CWC)というものがあるそうです。

 

シリアもこれに加盟していたが、今回違反して使用したとのこと。

 

アメリカの一手は、効果が「化学兵器の使用阻止」という狭い領域にしか利いておらず、「ロシアとのパワーバランス安定化」や、「シリアの紛争解決」といった大局的な目的に対して明らかにマイナスです。

 

目先のIS退治からして、ロシアと歩調が乱れることは相手にとって好材料になっています。

 

ロシアとは取りあえず軍事面では手を組んで、ISを撃退し、シリアの安定政権樹立が見通せるところまで行って初めてロシアと手を切るというのがベストだと思います。

 

現時点でアサド政権を潰してしまうと、シリアは事実上無法地帯になり、まともな生産活動が不可能になる(国民総難民化)とこまで行くのではないでしょうか?

 

・禁止されている化学兵器をあえて使用したアサド政権

・それを即無力化しなければいけなかったアメリカ

 

この二つの背景がよくわからないので、これ以上の推測はできませんが、

アメリカは国力が落ちている今、「自国の都合を通すために武力を行使する」という手段は控えるべきだと思います。

 

国家の武力は、安全保障を達成するためのみに使う(保持して威嚇する)べきで、経済的や国際政治的に優位に立つために使用すると、世界がアメリカと反アメリカに分断され、テロリストにとって「待ってました」と言わんばかりの好循環が生まれる土壌が出来上がってしまいます。

 

トランプさんがどこまで考えて行動しているか謎ですが、大きな視点で判断してくれないと「みんなが迷惑する」ことになります。

 

内政に専念して、外政は何もしなくていいよ!とツッコミたくなる・・・

ただアメリカの失敗を見て、中国が学習する効果はあると思いますね。

 

中国がんばれ・・・

争いについて考えてみた その1

中国についての本を主に通勤電車の中で読んでいるのですが、

読み終わるまでに時間がかかるので別のテーマを間に挟もうと思います。

 

今回は、私が忌み嫌う「争い」についてです。

 

なぜ争いが嫌いなのか、その原因は何だろう?

やっぱり一番は、「めんどくさい」から。

 

具体的には、

・エネルギーを使う割りにリスクがあって利益が少ない場合が多い。

・そして仮に勝ったとしても、2次損害(相手から恨まれる、自分の心に敵意が居座る)が残ってしまうので嫌なのです。

 

私は人から恨まれたくないし、敵意も持ちたくないんです。

前者は私の安全を脅かすし、後者は不愉快だということ・・・それが全てのような気がします。

 

つまり私は「自分を守りたい」という生存本能に基づいて、争いは割りに合わないと思い込んでるんですね。

 

極めて単純で、ひ弱な心だと思います。

私はこの自分の心があまり好きではありません。一言で言うと「投資価値がない」。

もっと強くなりたいのですが、これについてはひとまず置いておきます。

 

さて、争いといえば現代で問題になっているのが国の内部紛争です。

 

以前のブログで「内紛をすることなんて日本人の自分からしたらバカらしい」と書いたのですが、本などで得た情報によると、

 

どうやら未成熟な国家においては、この権力を巡った武力衝突というのは付きもののようです。

 

まともな国になるために必ず通らないといけない道、ということ。

 

私はここに疑問符が付きます。

争わずに平和的な解決をする手段も取れるのでは?と思うのです。

 

この選択肢が取れない事実の背景には、国民当事者間での利害衝突による「憎しみ合い」があるのでしょうか。

 

平和的な解決方法というのは、ある程度人間関係が構築されて初めて切れるカードだという事でしょうね。

 

隣村のやつらと親睦を深めようと思っても、縄張りを荒らす相手と仲良くなるのは難しそうです。

 

そもそも「縄張り」という概念の前提がある時点で、「身内」と「よそ者」の間に物理的&心理的な壁があるってことですからね。

 

日本の農村でも、都会から村に突然引っ越してきた人が中々その社会に溶け込めないという話を耳にしたことがあります。

 

生活を維持するための「仲間」というのは、良い面もあるけど、被害が出るリスクもあって、その相手に求める条件というのは高くなりがちなんでしょうね。

 

ここでそもそもの話なんですが、争いってそんなに悪いことか?という発想があります。

 

生物の食物連鎖のシステムは、捕食という「争いの一種」をその根幹に備えています。争いを否定したら、生物やってられないんです。

 

つまり人間にとっては、争いをすることが不幸なのではなく、

争わずに済む方法を知っていながら、争いを否定することができないことが不幸なのだと思います。

 

身を縛る「争いシステム」の鎖が肉に食い込んでいるんですね。

 

この不幸な状況を脱するためには、「争い」をコントロールしなきゃいけません。

今回はここまでにして、次回はその方法について考えてみます。では~

中国について考えてみた その2

中国の行く末を勝手に決めてしまおうというのが今回のテーマです。

 

今地球で最も重要なプレイヤー、それが中国!

 

しかし問題に気付きました。それは、私が政治についてほとんど知らないということです。帝王学のての字も知りません。

 

恥ずかしながらこういう未開の地を切り拓くような段階なので、先だって計画を立てる必要があります。

 

【手順】

①現在の中国の支配体制・政策をネットや本で調べる。

 

②その背景にある状況(歴史的要素含む)や、政府の意図を知る(探る)

 

③現在の中国が抱えている欠点・問題点を洗う

 

④ ①~③を踏まえた上で、現実的に中国が取れる選択のベストを考える

 

⑤(おまけ)その選択を中国にやらせるために、日本がすべきことを考える

 

こんな感じでしょうか。

 

①はネットでは苦しいので、多分書籍を買うことになると思います。

中国の最新の政策を知ると同時に、政治そのものについて勉強できる良書が好ましいです。

 

それではボチボチやりますか・・・こういうテーマは投資価値があると思うので、本当なら本気で取り組むところですが、最近根性が無くなってるのでお散歩気分でいこうと思います。

 

追記:

以下の2冊をアマゾンで注文しました。

・そうだったのか!中国 著:池上彰

・おどろきの中国 著:橋爪大三郎

 

99%配送料で合計450円。う~む、いい金の使い方だ・・・。

 

中国について考えてみた その1

中国は、世界の国で今一番乗っている、トレンド国だと思います。

 

この流行に日本は乗るべき!というのが私の考えです。

 

三国志のゲームを少しやってみて、三国志演戯の世界を垣間見たのですが、

そこでのキーワードとして「天下万民のため」vs「私利私欲のため」というものがありました。

 

為政者は「天下万民のため」に行動することが美徳とされ、「私利私欲のため」に行動することは過ちである、という価値観が前面に出ています。

 

ここから、「中国人は私利私欲で行動しがちである」という現実が背景にあるという推測が成り立ちます。

 

企業の広告文でも例えば「お客様のことを第一に考えます」という文言があった場合、この企業はお客の利益を2の次3の次にする社風である可能性が高いです。

 

このように「表に出ているもの」は隠された情報を鏡で映した結果であるというケースが多いです。鏡の作用を考慮することは情報収集の際よく使われる技術です。

 

さて、中国について話を戻すと、

中国人は欲を抑えるということを本能的に拒絶しているように私は感じています。

 

数日前のブログで、人間が持つ「正しさ」とは「自分の欲の肯定」だ、

ということを書きました。

 

ここから浮かび上がる問題点は、人間は「正しい」と思った行為には躊躇しない(ブレーキをかけない)ということです。

 

私もそうですが、肯定された欲を満たすためには、他人を害しても気にならないという現象が起こります。

 

それは交通規制の無い道路をたくさんの車が速いスピードで走っているようなものです。当然事故が起こります。

 

この事故は、戦争というような規模の大きいものから、人間関係のトラブルというような私たちの身近なところでも起こっています。

 

この事故を防ぐために、日本人は「欲を肯定することに規制をかける」という方法を取っている場合が多いように思います。

 

「欲の肯定」→「行動」という流れの中で、

行動の前段階に抑止をかけることによって、事故を防いでいるのです。

 

例えば、「イライラを誰かにぶつけたい」欲を持っても、

「他人に迷惑がかかる」ということを懸念して、その欲を否定する(=行動に移さない)といったことです。

 

一方中国人の場合は、「金を儲けたい」欲のために、

「毒入りの食料品を作って売る(他人に迷惑をかける)」ということを平気でする人がいます。

 

もちろんすべての中国人がそうとは言えないですが、日本人にはこの価値観を持っている人は低所得者層にもほぼいないと思います。

これは人間の「程度」の差ではなく、構造の差です。

 

中国は、欲の規制をあえて行わず、行動の規制に重点を置いて政治をしているのだと思います。

 

中国では「金儲けは正義」という価値観が、政府によって国民に浸透していると聞きます。これは「欲の肯定」を、全体的にベクトルを一致させるという意図の施策です。

 

全体のエネルギーをひとつの大きな流れ(風水でいう「龍脈」のようなイメージ)を作りだし、それをコントロールすることで力強い社会の形成を目的としているのだと8割の確信を持っています。

 

現在の中国は、個人の幸せよりも、国家の繁栄を重視している方針です。

一部の中国人が金儲けのために毒入りの食料品を売った→その結果客に健康被害が出た→それもやむなし、構わず金儲けを推奨する ということです。

 

日本は、国家の繁栄も大事だけど、個人の幸せも同じくらい大事だという価値観です。

保育園の受け入れが狭くなっていることを問題視する社会だということです。

 

どちらが正しいか、それは評価する視点によって変わってくると思います。

 

世界情勢関係なしで、国という単位で見るなら、日本の方が優れています。

 

しかし世界情勢全体の浮き沈みを考えた時、「全体をリーディングする国家」というものの存在は不可欠なように思えます。

 

アメリカが沈んでいる今、その役割を果たせる国は中国以外ありません。

 

「中国国民」の「欲の肯定」に対して、国際社会は「同意する」ことが賢明な判断かなと思っています。

 

「中国国民」と言ったのは、「中国政府」となると話は別だからです。

中国政府は、体制を維持することに力の2/3以上を費やしていると想像します。

 

中国国民への行動規制は具体的に何があるのかよく知りませんが、デモの禁止など、国の体が、国の頭(中国政府)を攻撃することをNGとしているのでしょう。

 

NGとしているのは行動であって、その前段階である「欲の肯定」は規制していないというところがミソです。

つまり、中国政府は今もこれからも「下からの不満」の存在を容認し、それを受け流すことに注力するつもりなのでしょう。

 

このシステムには飽和点があります。拡大路線は、どこどこまでも続かないからです。

飽和を迎えたときに、方針転換できるかどうかがカギとなってきます。

 

これには相当に練った準備が必要です。もしこの準備を怠るようであれば、中国政府は他国への侵略→戦争という道を選ぶ以外身動きが取れなくなると予想します。

 

次回は、中国が将来取るべき方針転換の具体的な内容について考えてみようと思います。