争いについて考えてみた その2

今回は争いのコントロール、ではなく最新のニュースについて

 

ニュースによると4月6日にアメリカがシリア政府の空軍基地をミサイル攻撃したそうです。この基地から化学兵器の発射が認められ、その対応であるとのこと。

 

アサド政権の後ろ盾にはロシアがいて、この一線を超えた攻撃によりアメリカ・ロシアの緊張が高まっています。

 

これはちょっと、アメリカにとってまずい展開だと思います。

アメリカがこの一手を取らなければいけない状況に追い込まれていたのかどうか、がポイントなんですが、

 

建前通り、「化学兵器の使用」に対する制裁を加えるという趣旨ならば、直接攻撃による破壊よりも、化学兵器反対の国際世論の醸成で十分です。

 

アサド政権の危険性を公にアピールできれば、その手足を機能不全に追い込むことは容易だと思います。アサド政権を叩くための「強い口実」が手に入るという意味です。

 

私の知りうる事実から結論を出すと、アメリカは化学兵器の使用そのものを直ちに防がなければいけない状況だった、ということになります。

 

私の所感としては、通常の破壊兵器も化学兵器も人が死ぬという意味ではあまり大差ないんじゃないかと思うんですが・・・

 

調べてみたら化学兵器は、対象の人を長時間苦しめるため非人道的とされ、

化学兵器禁止条約(CWC)というものがあるそうです。

 

シリアもこれに加盟していたが、今回違反して使用したとのこと。

 

アメリカの一手は、効果が「化学兵器の使用阻止」という狭い領域にしか利いておらず、「ロシアとのパワーバランス安定化」や、「シリアの紛争解決」といった大局的な目的に対して明らかにマイナスです。

 

目先のIS退治からして、ロシアと歩調が乱れることは相手にとって好材料になっています。

 

ロシアとは取りあえず軍事面では手を組んで、ISを撃退し、シリアの安定政権樹立が見通せるところまで行って初めてロシアと手を切るというのがベストだと思います。

 

現時点でアサド政権を潰してしまうと、シリアは事実上無法地帯になり、まともな生産活動が不可能になる(国民総難民化)とこまで行くのではないでしょうか?

 

・禁止されている化学兵器をあえて使用したアサド政権

・それを即無力化しなければいけなかったアメリカ

 

この二つの背景がよくわからないので、これ以上の推測はできませんが、

アメリカは国力が落ちている今、「自国の都合を通すために武力を行使する」という手段は控えるべきだと思います。

 

国家の武力は、安全保障を達成するためのみに使う(保持して威嚇する)べきで、経済的や国際政治的に優位に立つために使用すると、世界がアメリカと反アメリカに分断され、テロリストにとって「待ってました」と言わんばかりの好循環が生まれる土壌が出来上がってしまいます。

 

トランプさんがどこまで考えて行動しているか謎ですが、大きな視点で判断してくれないと「みんなが迷惑する」ことになります。

 

内政に専念して、外政は何もしなくていいよ!とツッコミたくなる・・・

ただアメリカの失敗を見て、中国が学習する効果はあると思いますね。

 

中国がんばれ・・・

争いについて考えてみた その1

中国についての本を主に通勤電車の中で読んでいるのですが、

読み終わるまでに時間がかかるので別のテーマを間に挟もうと思います。

 

今回は、私が忌み嫌う「争い」についてです。

 

なぜ争いが嫌いなのか、その原因は何だろう?

やっぱり一番は、「めんどくさい」から。

 

具体的には、

・エネルギーを使う割りにリスクがあって利益が少ない場合が多い。

・そして仮に勝ったとしても、2次損害(相手から恨まれる、自分の心に敵意が居座る)が残ってしまうので嫌なのです。

 

私は人から恨まれたくないし、敵意も持ちたくないんです。

前者は私の安全を脅かすし、後者は不愉快だということ・・・それが全てのような気がします。

 

つまり私は「自分を守りたい」という生存本能に基づいて、争いは割りに合わないと思い込んでるんですね。

 

極めて単純で、ひ弱な心だと思います。

私はこの自分の心があまり好きではありません。一言で言うと「投資価値がない」。

もっと強くなりたいのですが、これについてはひとまず置いておきます。

 

さて、争いといえば現代で問題になっているのが国の内部紛争です。

 

以前のブログで「内紛をすることなんて日本人の自分からしたらバカらしい」と書いたのですが、本などで得た情報によると、

 

どうやら未成熟な国家においては、この権力を巡った武力衝突というのは付きもののようです。

 

まともな国になるために必ず通らないといけない道、ということ。

 

私はここに疑問符が付きます。

争わずに平和的な解決をする手段も取れるのでは?と思うのです。

 

この選択肢が取れない事実の背景には、国民当事者間での利害衝突による「憎しみ合い」があるのでしょうか。

 

平和的な解決方法というのは、ある程度人間関係が構築されて初めて切れるカードだという事でしょうね。

 

隣村のやつらと親睦を深めようと思っても、縄張りを荒らす相手と仲良くなるのは難しそうです。

 

そもそも「縄張り」という概念の前提がある時点で、「身内」と「よそ者」の間に物理的&心理的な壁があるってことですからね。

 

日本の農村でも、都会から村に突然引っ越してきた人が中々その社会に溶け込めないという話を耳にしたことがあります。

 

生活を維持するための「仲間」というのは、良い面もあるけど、被害が出るリスクもあって、その相手に求める条件というのは高くなりがちなんでしょうね。

 

ここでそもそもの話なんですが、争いってそんなに悪いことか?という発想があります。

 

生物の食物連鎖のシステムは、捕食という「争いの一種」をその根幹に備えています。争いを否定したら、生物やってられないんです。

 

つまり人間にとっては、争いをすることが不幸なのではなく、

争わずに済む方法を知っていながら、争いを否定することができないことが不幸なのだと思います。

 

身を縛る「争いシステム」の鎖が肉に食い込んでいるんですね。

 

この不幸な状況を脱するためには、「争い」をコントロールしなきゃいけません。

今回はここまでにして、次回はその方法について考えてみます。では~

中国について考えてみた その2

中国の行く末を勝手に決めてしまおうというのが今回のテーマです。

 

今地球で最も重要なプレイヤー、それが中国!

 

しかし問題に気付きました。それは、私が政治についてほとんど知らないということです。帝王学のての字も知りません。

 

恥ずかしながらこういう未開の地を切り拓くような段階なので、先だって計画を立てる必要があります。

 

【手順】

①現在の中国の支配体制・政策をネットや本で調べる。

 

②その背景にある状況(歴史的要素含む)や、政府の意図を知る(探る)

 

③現在の中国が抱えている欠点・問題点を洗う

 

④ ①~③を踏まえた上で、現実的に中国が取れる選択のベストを考える

 

⑤(おまけ)その選択を中国にやらせるために、日本がすべきことを考える

 

こんな感じでしょうか。

 

①はネットでは苦しいので、多分書籍を買うことになると思います。

中国の最新の政策を知ると同時に、政治そのものについて勉強できる良書が好ましいです。

 

それではボチボチやりますか・・・こういうテーマは投資価値があると思うので、本当なら本気で取り組むところですが、最近根性が無くなってるのでお散歩気分でいこうと思います。

 

追記:

以下の2冊をアマゾンで注文しました。

・そうだったのか!中国 著:池上彰

・おどろきの中国 著:橋爪大三郎

 

99%配送料で合計450円。う~む、いい金の使い方だ・・・。

 

中国について考えてみた その1

中国は、世界の国で今一番乗っている、トレンド国だと思います。

 

この流行に日本は乗るべき!というのが私の考えです。

 

三国志のゲームを少しやってみて、三国志演戯の世界を垣間見たのですが、

そこでのキーワードとして「天下万民のため」vs「私利私欲のため」というものがありました。

 

為政者は「天下万民のため」に行動することが美徳とされ、「私利私欲のため」に行動することは過ちである、という価値観が前面に出ています。

 

ここから、「中国人は私利私欲で行動しがちである」という現実が背景にあるという推測が成り立ちます。

 

企業の広告文でも例えば「お客様のことを第一に考えます」という文言があった場合、この企業はお客の利益を2の次3の次にする社風である可能性が高いです。

 

このように「表に出ているもの」は隠された情報を鏡で映した結果であるというケースが多いです。鏡の作用を考慮することは情報収集の際よく使われる技術です。

 

さて、中国について話を戻すと、

中国人は欲を抑えるということを本能的に拒絶しているように私は感じています。

 

数日前のブログで、人間が持つ「正しさ」とは「自分の欲の肯定」だ、

ということを書きました。

 

ここから浮かび上がる問題点は、人間は「正しい」と思った行為には躊躇しない(ブレーキをかけない)ということです。

 

私もそうですが、肯定された欲を満たすためには、他人を害しても気にならないという現象が起こります。

 

それは交通規制の無い道路をたくさんの車が速いスピードで走っているようなものです。当然事故が起こります。

 

この事故は、戦争というような規模の大きいものから、人間関係のトラブルというような私たちの身近なところでも起こっています。

 

この事故を防ぐために、日本人は「欲を肯定することに規制をかける」という方法を取っている場合が多いように思います。

 

「欲の肯定」→「行動」という流れの中で、

行動の前段階に抑止をかけることによって、事故を防いでいるのです。

 

例えば、「イライラを誰かにぶつけたい」欲を持っても、

「他人に迷惑がかかる」ということを懸念して、その欲を否定する(=行動に移さない)といったことです。

 

一方中国人の場合は、「金を儲けたい」欲のために、

「毒入りの食料品を作って売る(他人に迷惑をかける)」ということを平気でする人がいます。

 

もちろんすべての中国人がそうとは言えないですが、日本人にはこの価値観を持っている人は低所得者層にもほぼいないと思います。

これは人間の「程度」の差ではなく、構造の差です。

 

中国は、欲の規制をあえて行わず、行動の規制に重点を置いて政治をしているのだと思います。

 

中国では「金儲けは正義」という価値観が、政府によって国民に浸透していると聞きます。これは「欲の肯定」を、全体的にベクトルを一致させるという意図の施策です。

 

全体のエネルギーをひとつの大きな流れ(風水でいう「龍脈」のようなイメージ)を作りだし、それをコントロールすることで力強い社会の形成を目的としているのだと8割の確信を持っています。

 

現在の中国は、個人の幸せよりも、国家の繁栄を重視している方針です。

一部の中国人が金儲けのために毒入りの食料品を売った→その結果客に健康被害が出た→それもやむなし、構わず金儲けを推奨する ということです。

 

日本は、国家の繁栄も大事だけど、個人の幸せも同じくらい大事だという価値観です。

保育園の受け入れが狭くなっていることを問題視する社会だということです。

 

どちらが正しいか、それは評価する視点によって変わってくると思います。

 

世界情勢関係なしで、国という単位で見るなら、日本の方が優れています。

 

しかし世界情勢全体の浮き沈みを考えた時、「全体をリーディングする国家」というものの存在は不可欠なように思えます。

 

アメリカが沈んでいる今、その役割を果たせる国は中国以外ありません。

 

「中国国民」の「欲の肯定」に対して、国際社会は「同意する」ことが賢明な判断かなと思っています。

 

「中国国民」と言ったのは、「中国政府」となると話は別だからです。

中国政府は、体制を維持することに力の2/3以上を費やしていると想像します。

 

中国国民への行動規制は具体的に何があるのかよく知りませんが、デモの禁止など、国の体が、国の頭(中国政府)を攻撃することをNGとしているのでしょう。

 

NGとしているのは行動であって、その前段階である「欲の肯定」は規制していないというところがミソです。

つまり、中国政府は今もこれからも「下からの不満」の存在を容認し、それを受け流すことに注力するつもりなのでしょう。

 

このシステムには飽和点があります。拡大路線は、どこどこまでも続かないからです。

飽和を迎えたときに、方針転換できるかどうかがカギとなってきます。

 

これには相当に練った準備が必要です。もしこの準備を怠るようであれば、中国政府は他国への侵略→戦争という道を選ぶ以外身動きが取れなくなると予想します。

 

次回は、中国が将来取るべき方針転換の具体的な内容について考えてみようと思います。

 

 

物質について考えてみた その2

今回は物質についてではなく「時間について考えてみた」です。

 

正確には、「考え終わった」です。

いつもこのブログを書くのと同時に考えてるのですが、

昨日、眠れない頭で布団の中でウンウン考えて、ある程度成果があったのでその内容をメモっておこうと思います。

 

■時間のメカニズム

 

まず、絶対に必要なのが「観測点」の存在です。

私がここで言っている「観測点」の定義は、「自他を区別する能力を持った、観測の起点」です。

アカデミックな定義は違うと思いますが、知らないし、知ったこっちゃありません。

 

人間は、この「観測点」の能力を所持しています。他の生物も同様です。

 

次に必要なのが、観測対象の「変化」です。

 

時間とは、ズバリ、

「『観測点』の能力を持った存在が、観測対象の『変化』を知覚するという現象」です。

 

この観測対象の「変化」を知覚するために必要な要素は

「変わっている/変わっていない」の区別をつける能力です。

 

本質を突いて換言すると「違う/同じ」の区別です。

この世界は、「観測点」が「違う/同じ」の区別を知覚することで成立している、と言いきっていいと思います。

 

この構造を以て、(高度な技術を以て)、死ぬほど複雑化すればこの世界は創れます。

 

ここで付け加えたいのが、人間の「違う/同じ」知覚の対象範囲は、物質世界のミクロとマクロの中間エリアに限られているということです。

ミクロ/マクロの言葉の由来から逆定義しているような変な表現ですが。

 

具体的に言うと、人間がある水分子を顕微鏡で観察した場合、H2Oで構成されているものは全て「同じ」「水分子」だと認識します。

 

しかし実際には違うのです。さらにミクロなレベルで観察すると、個々のH2Oは異なる内容を持っているのです。何も確かめてないけど、そうであるはずです。

 

カイジに出てくる黒服が皆「同じ」に見えるけど、実際にはひとりひとり個性があるのと同じ仕組みです。

 

さて、観測点に話を戻しますが、

この観測点そのものが変化にさらされた場合、どうなるかについて。

 

答えは、「知覚できない」です。

 

これはけっこう衝撃的なのですが、具体的に言うと、

神がいて、彼が私の時間を巻き戻したり、止めたりしても、私はそれを全く知覚できないということです。

 

つまり、「そういうことが起こっている」可能性が現実に有りうるということです。

 

私の時間を操作しても私はそれを知る能力がありません。なんという操り人形。

 

ここで「私の時間」という怪しい文言を使いましたが、

純粋な言葉に還元すると、「『観測点A´自体の変化』の知覚」です。

 

「観測点A´」と言っているのでおわかりのように、当然「観測点A」が存在しています。それはつまり神(あるいは、私より上位の何か)による観測です。

 

以上をもって、時間を作る原理は解けたと思います。

私は今まで時間とは「生物に関係なく」「永遠に続いていて」「すべての物質を統べて」いる強いルールのように思っていたのですが、

 

時間とは、生物が作り出している(=時間が成立する必要条件に、観測点たる生物が含まれている)ものであるという結論に達しました。

 

まとめると、「物質世界」と「そこに流れる時間」とは、

「同じ」の鋳型で型取られたエネルギー体(=物質)の「変化」を、(観測点としての)生物が知覚することである。

 

この「同じ」の鋳型というものが、神が造りたもうた芸術品で、現代の科学を遥かに凌駕した技術で作られているということは確かですが、その基本原理は上記に述べた内容であると7割の確信を持っています。

 

私にもう少しガッツがあれば、この世界を作る技術的な手法(「同じ」の鋳型の製造ノウハウ)について考察するところですが、私は創造よりも破壊の方が好き・・・というか怠け者なので楽な破壊に頼りがちになって、ちょっと意欲が湧きません。

 

人間には遺伝子という「同じ」の鋳型があって、これは人間の操作可能な領域にある、言わば「神入門!お試し創造キット」のようなものなので、

 

とりあえずより良い進化のあり方とか、その辺になら手を出してもいいかな・・・と思っています。

 

今回も「その2」で完結してしまった・・・次のテーマは思いついてないけど、今回のようにサクサク進められたら楽でいいですね。

物質について考えてみた その1

私たちが生きている宇宙・・・物質世界は、

 

生物が知覚できる世界としては「全て」ですが、ほぼ確実に、実在する世界の一部でしかないのだと思います。

 

「実在する」とは「生物が知覚できる」ではなくて、「神が知覚できる」という意味で言っています。

 

私は10代の頃から、人間の感覚器官の限界による生命活動への制限を鬱陶しく思っていました。(今も思っています)

 

物質世界のメカニズムを知るには高度な科学力が必要なのに、手持ちの装備がドラクエでいうとひのきのぼうのようなギャップを感じます。

 

神が意図的に「弱体」を創造したのだとしか思えません。

 

その辺を追求しても妄想で終わる可能性が高いですが、

 

宇宙について考えるときの前提情報として「個体として力を持つことが正解とは限らない」という認識を持っておいた方がよさそうです。

 

さて、物質についてですが、本で読んだ情報によると、この世には「反物質」というものが存在するそうです。

 

存在すると言っても、瞬く間に消えてしまうそうですが。

 

物質の構成要素は同じで、電荷のプラス・マイナスだけ異なる物質で、この対の物質が交わると莫大なエネルギーを放出して消滅してしまうらしいです。

 

これを考えると、私たちが知覚している物質世界はほぼ対の片割れのみで構成されていることになり、なんでだろう?と疑問に思います。

 

宇宙にある物質に対応する反物質は一体どこにあるんでしょうか?

 

神はこの宇宙を全て消す操作を持っている可能性は高いです。人間が車にブレーキを付けるのと同じ理由です。

 

「制御できること」の第一条件は、「止めることができること」です。

神が制御不能なものを野放しにするとは思えません。

 

ということで、この宇宙の反物質はどこかに存在するのだと推測します。

 

また、本で仕入れた情報によると、物質と反物質の関係は、「時間のメカニズム」に関係している可能性が高いとのことです。

 

物質は、例外なく時間の「不可逆的な流れ」に支配されています。

これはリンゴが木から落ちるのと同じくらい不可思議な現象です。

 

物質のことを知ることは、この「時間」の謎を解くこととほぼ同義だと思います。

 

時間について考えても、その考えてる本人が時間に支配された状態しか知ることができない(能力的に知覚できない)ので、想像の限界の外でかなり困難です。

 

ヒントとして、物質は「相互に影響しあっている」という特徴があります。

 

物質同士が直接触れて化学反応を起こすという意味もありますが、もっと根本的な部分で物質は「繋がっている」のです。

 

そして、その繋がりは人間にも及んでいます。

 

地球の裏側で風に舞う一片の塵が、私の思考にも影響を及ぼしているということです。

 

「時間」に代表される、相互に影響し合う物質全てを貫くルールが存在してるはずで、それを考えようというのが今回のテーマです。

 

なんとか「時間」の謎を突破したいのですが、どういうアプローチが適しているのかわかっていません。

 

「時間」に支配された「思考」をもって、いかに時間のルールを俯瞰するか、次回はその可能性を探ろうと思います。

正しさについて考えてみた その2

人はなぜ「正しい」という概念を持つのか?

 

裏を返せば、「間違っている」ことを否定するために正しさがあるのかもしれません。

 

人が何らかの理由で不利益を被った時、その中で犯人を見つけないといけない精神的圧力が働くのでしょうか。

 

犯人=間違っていること がわからないとどうなるのか?

 

まず思いつくのが「改善ができない」という問題。

私は週に一度意識が薄くなってフラフラになるのですが、この原因についてあれこれ考えました。

 

スポーツ飲料やカルピスを毎日飲んでいたので、果糖ぶどう糖液糖の取り過ぎ?と思い、飲み物をミネラルウォーターと無糖コーヒーに切り替えたところ、一部の症状が改善されました。

 

「間違った」生活習慣を改めて、病気を治すという改善のパターンはあっても良いと思います。

 

しかし、「全て」の問題に対して原因を特定するのは無理があると思います。

「正しさ」を追求しても、すべての障害が取り除かれる保証はないのです。

 

例えば内戦状態の国内で、テロなどにより日常的に生命が脅かされている人たちがいます。

 

日本人からすれば、内戦をすること自体がバカげているように見えるのですが、

当事者の反政府勢力は独自の「正しさ」を持って戦っているのでしょう。

 

どんなにクレイジーに思えても、彼らには戦わなければいけない理由を持っているという事実によって、内戦は必然的に起こっていることなのです。

 

これは他を蹂躙する「正しさ」です。

彼らの正しさをどれだけ否定しても、のれんに腕押しで意味がありません。

 

被害者の国民は自分の「正しさ」を一旦脇に置いといて(我慢して)、

内戦当事者たちの「正しさ」についてよく知らないといけないのです。

 

異なる正しさの落としどころを見つけて、それを実現するという難しいアクションが必要です。

 

ここで明らかになったのは、「正しさ」とは「自分の欲の肯定」だと言うことです。

 

欲を確実に、効率的に満たすために、「正しさ」という形式に落とし込んでシステマティックなアプローチをしようとする志向です。

 

私の「正しさ」は、健康的な生活、そして、欲しい情報を手に入れるという欲を肯定することです。

 

このためにどこかで他を蹂躙することがあっても、躊躇わないかもしれません。

そういう意味では、私もテロリストも構造的には同じです。

 

道徳が頭ではその正しさが理解できても、実践するのが難しいのは、

大多数の人間の欲を同時に満たすための方法論は、窮屈で、旨味が少ないからです。

 

確実なのは、一部の人間を犠牲にして、一部の人間の「正しさ」を実現するというものです。

 

この世が格差によって支えられている事実は、道徳による均等小幸福分配よりも、少数にターゲットを絞った大幸福集中の方が、エネルギー循環がスムーズである(=力強い)ことを現しています。

 

左翼と呼ばれる社会主義者の人は、幸福を均等に増やすという「正しさ」を持っていますが、その考えの中に、社会全体のエネルギー循環システムについてイメージが欠落しているため、流行らないのだと思います。

 

経済成長が鈍化して規模縮小に向かう日本が持つべき「正しさ」とは、新たな「欲」の開発によって道が拓かれると思います。

 

「健康に生きたい」などの不変で普遍的な欲は均等分配でいいとして、

この世界の「新しい幸せの形」をモデル化し、それに従って不公平なピラミッド構造を構築することが現代社会の課題だと思います。

 

私は変わらず無限動力の好奇心を武器に、情報収集ピラミッドの頂点を目指して行きますが、これはあまり人気が出そうにないので成功しても小山の大将かもしれません。

 

今回考えて、正しさ=欲の肯定 でいいだろうと結論がでました。

このシリーズ長くなるかと思ったらすぐ終わってしまいました。これにて終了!