私は「自信」がほとんどないのですが、他方で、「自信たっぷり」の態度の人は、魅力的に見えます。
Youtubeの動画とかtiktokの切り抜き動画とかを見ると、自信満々に踊ったり歌ったりしている人は、かっこよかったり、かわいく見えます。
自信の魅力とは、「この人について行ったら良いことありそう」という期待を持たせてくれる所にあるんだと思います。
なので、自分の人気や信頼度を上げたいならば、「自信」を持つことが重要だな、と思います。
でも、私のように自信がない人も多いと思うので、どうすれば自信を持てるのか考えてみました。
<自信を持つ方法>
①想定しているハードルを下げる
自信がない人は、「自・他に求めている要求水準」が高すぎる場合があります。
私の場合は、評価軸が「どんな状況でも生き残る」ですので、能力なんていくらあっても足りないくらいです。
そうじゃなくて、「人間としては、これやれば十分だろう」的な、一種の思い込みを導入すると、自信がつくようになると思います。
ただ、これをやると、「小さくまとまってしまう」可能性が高くなる、というか確定的に小さくまとまってしまうので、逆に怖さがあります。
スラムダンクの安西先生の言うとおり「あきらめたら試合終了」なので、自分の有意識で能力限界を勝手に決めつけるのは、けっこうリスキーです。
「どこどこまでも無限の高みを目指す」のも無謀ですが、「自分はここの水準で終了」と決めつけることは自殺行為に見えます。
なので、結論としては、「私はハードルを下げません」になります。
やらないのかよ!
②他者との背比べに精を出す
他人と比較して、自分が優れている所を見つけると、自信になるかもしれません。
ツイッターで、「ビジネスマンのキャリア形成」についてのつぶやきを見たのですが、
あれは自信の種だと思います。
「輝かしい職務経歴を武器にして、転職に成功し、年収が20%アップの1000万円を突破した!」
となると、「むふぅ~、オレ(わたし)って、大多数の他人より優れているな!」と自信を持ちやすいと思います。
私は、「キャリアけい・・・せい・・ってなに?」と言うくらいの、まさにそれが別世界のものであるかのような残念な職務経歴なので、この自信の持ち方は上手くできません。
あとは、メイクとか髪型とか、見た目の手入れをがんばって、「かわいい、かっこいい」とか。
社会動物の世界では、「劣っている(ように見える)個体」は、排除対象になりがちなので、がんばって、「優れている(ように見せる)」ことはできた方が安心だと思います。
ここでも私はちゃぶ台を返しますが、
他人との比較ゲームは、どんぐりの背比べに陥るリスクが見えます。
競ってる相手が、もしも「実はへぼかったら」、それに併走している自分も、上手くいって「ちょっとマシなへぼ人間」になる可能性があります。
①で述べた、「恣意的な限界設定」と似てますね。
私が競争をほとんどしない理由がこれです。
もしも私が競争をするならば、相手を厳選しますね。
競争の「テーマ」もきっちり選ぶし、併走する相手もちゃんと適当な人を選びます。
そういう態度でいると、まぁ、競争する機会はレアケースになり、ほとんどなくなりますね。
競争で遊ぶだけのリソースの余裕があるなら、やってみたら楽しいかもしれませんが。
③自分は大丈夫なんだと確信的な安心をする
これは私もがんばればできそうな気がします。
ただ、今までの人生で「大丈夫じゃない」状態がありふれていたので、ビビリ症になっています。
おそらく、「自信が持てない人」というのは、今までにトラウマのような、「何かひどいこと」に遭った来た経験があるのではないでしょうか。
「ひどい目に遭った」
→「自分は大丈夫じゃないんだ」
→「自分が劣っているから大丈夫じゃないんだ(自分が悪いんだ)」
→「自信が持てない」
という感じで、かのイエス・キリストさんも「人間は皆罪人だ」とゆっているし、
ある意味、これで正常なんじゃないか?と思います。
逆に、
「嫌なことがあった」
→「自分は大丈夫だし、問題はない(自信がある)」
→「嫌なことをしてきた奴が悪いんだ」
と、簡単に他責にできる人というのは、ある意味、幸せな人だなと思います。
「幸せ」というのは「そういうやり方で」「今まで、生きてこられた」「幸運な人」という意味です。
つまり、「自信がある人」って「幸運」じゃなきゃ、実現しないんじゃないか?とまで私は思います。
「幸運に恵まれ、自信を持っている」
それはそれで、「いいなぁ」と、綺麗な花を愛でるように、そのまま大事にして上げた方が良さそうですね。
私は「どんな状況でも生き残るゲーム」のプレイヤーですので、
「幸運」でも「幸運じゃなくても」どっちでも生き残ることを目指しています。
なので、方向性の違いから、これもちょっと無理そうです。
ただ、私も治安の良い日本に生まれて、食うのに困ってない時点で、かなりの幸運者ですけど。
ひどい目に遭って死にかけた幸運者ということですね。
④ルールがわかりやすいゲームをする
世の中は、何が正しくて何が間違っているかがわからない、というのが普通ですけど、
その判断基準が「バチッ」と固く決まっている、ゲームのプレイヤーになると、自信に繋がるかもしれません。
例えば、「お金を儲ければ儲けるほど、正しい」「資本主義」とか、
「自分が心地よければ心地良いほど、正しい」「感受性主義」とか、ありますね。
この状態の良いところは、
例え、「そのゲームで負けが込んでいたとしても」
「ルールがはっきり明確なので」
「まだまだ、胸を張って戦える」
ということです。幸運じゃなくても、楽しいからまだまだがんばれるぞ!ってことですね。
私は、ルールがはっきりしてるのは、「そのプレイヤーが勝手に決めてる思い込みじゃない?」と思ってしまうので、
というか、「そんなわかりやすいゲームが、この世にあるわけないじゃん」とまで思い込んでいるので、
なかなか、その幻想(に見える)ゲームは、やらないですね。
怖くてできないです。その怖いことを、集団で楽しくやっている人達からは、距離を取って眺めてるだけにしているタイプですね。
あまり、おすすめはしません。
ただ、現実を直視するのが嫌だ、夢を見て楽しく生きたい、という人は、こうするのが良いのかも知れません。
-----
他にも色々あるかしれませんが、大体①~④で、自信に繋がるんじゃないでしょうか。
①②④は、ろくなもんじゃないですね。
③の確信的安心をする、というのは、心の健康に繋がると思うので、一番良いと思います。
でも本音を言えば、
「基本的に、大丈夫なわけないだろう」
という、これまた台無しのコメントになりましたが、
「大丈夫じゃなくても、それでも、大丈夫なんだ」
という、信心を持って、生きていこうと思います。
確かに、大丈夫じゃないと判断しているのは、私の決めつけかも知れませんし。
わたしもあなたも、きっと大丈夫。
これが正しいことなんだと思います。