自由意思について考えてみた その1

最近好きなアニメ「アリスと蔵六」のオープニングテーマ「WONDER DRIVE」のサビの歌詞に、

 

ワンダードライブ 駆け抜けてく

フリーウィル 針を振り切って

 

という歌詞があって、フリーウィルって何だろう?と思って調べたら

「自由意思」free will だとわかり、哲学用語が出てきたのでこれについて考えてみます。

 

この世の現象は、生命現象含めて全てあらかじめ決まっているという考え方が

「決定論」で、自由意思はこれとセットで論じられることが多いようです。

 

哲学に興味があるけど、哲学的な方法論についてよく知らないし、あまり興味もないんですよね。

 

私にとって思考とは新たな情報を手に入れるための手段なのに対して、哲学の目的がいまいちよくわからないです。

 

ウィキペディアを調べたら、私でも知ってる哲学者、ウィトゲンシュタインがこのように述べていました。

 

「哲学の目的は思考の論理的明晰化である」

 

つまり、自然界の現象などを解明するというよりは、人間の思考そのものを客観的に観察して、個々のロジックに分解・正しく理解するという趣旨のようです。

 

そういう意味では、「自由意思」は哲学のテーマとしてかなり重要な位置を占めているのではと思います。

 

「哲学」が論理に依存している点が、ちょっと肌に合わないので(論理自体の脆弱性をカバーできていないから)私は私流に自由意思を考えたいと思います。

 

私は思考自体がぼんやりしていても、情報さえ手に入れば問題ないという立場です。

 

さて、自由意思のベースとなっているものは、「行動の選択可能性」だと思います。

 

家に帰って、お風呂に入るか、ご飯を食べるか、私たちは自分で選べます。

間違いないのは「自分で選んでる気になっている」ということです。

 

お風呂に入ろうとして、フェイントをかけてご飯と見せかけてやっぱりお風呂、ということが可能である以上、そこに自由があるというのは自然な受け止め方です。

 

決定論的な立場でいうと、どちらを選ぶか、最初から決まっている。

 

お風呂かご飯か悩む過程も含めて、全て決まっているという説があります。

 

換言すると、この問題は、「意思が計算可能か?」ということになります。

 

今の科学力では不可能です。

 

では将来の進んだ科学力では可能であるか?

意思の働きを解明しないといけないハードルを越えられるかどうかですが、

 

今の時点でわかっていることは、「意思は物質世界に干渉できる」ということです。

 

では物質からの干渉を受けているか?

 

物質からの干渉を受けているならば、意思は計算可能である可能性が高いです。

 

私の直感で言うと、意思は物質からの干渉を受けていると思います。

 

物質の間で熱の交換など行われますが、意思に熱はなさそう・・・つまり、意思は物質と同質ではなく、限定された情報(客観的に見た場合の「情報」)のやり取りしかしていない印象です。

 

意思は、物質から情報を受信して、「ある特定の媒体を用いて」物質側に発信するという活動のことなんだと思います。

 

これでいくと、意思は計算可能な対象で、つまり「自由意思」は存在しないということになります。

 

現時点では「人間に計算能力がない」という理由で、計算不可能、よって「自由な意思がある」と、多くの人の意思が受信している状況です。

 

遠い将来、意思を計算できるかについては、直感的には無理だと思っています。

 

物質のように、触れる、見れるといった観測の方法論が、意思には全く通用しないという点が一番大きいです。

 

一般的な学術的な観測の際は、必ず物質反応を媒体にして行われます。

 

意思を、物質反応を媒体として観測することは、おそらく無理なので今までにない新しい観測の在り方を探る必要があります。

 

物質に依存して存在している人間には一生無理だろうな~という予測をしています。

 

この予想を支持するならば、「自由意思」は存在する、という結論になります。

 

将来的な進歩を是とする場合、「自由意思」についてどのような受け止め方をするのがベストなのか?というポイントで考えると、

 

「『自由意思』は今はあるけど、無いことを証明できるようになった方が良い」

 

という感じでしょうか。

 

おそらく、意思を計算できる地点に立ったら、その(意思を計算する)動機も同時に失うだろうと私は思っています。

 

学者は、論理的整合性という矛しか武器を持っていないので、しばしば手段が目的化してるんじゃないかと邪推してしまいます。

 

私が決定論に興味ないのは、登ったことない富士山のふもとで「山頂に着いたときの達成感は素晴らしい」と言っているようなもので、

 

「山頂まで登ってから言えよ!」とツッコミたくなるんですよね。

 

結果を求めるか、過程を楽しむかの違いかもしれません。

 

新たな重要な情報を得ることで、それまで自分が認識していた世界が、オセロの石ように反転するということがあります。

 

それがとてもエキサイティングだから、情報収集は楽しいです。

 

学者になるほど頭が高性能じゃなくても(富士山をのんびり登っても)感動が道に転がってるので、世界はよくできてるなぁと思います。

 

自由意思についてはこのくらいでいいかもしれないですね。

哲学者の人はこの問題をどこまで掘るのかちょっと興味がありますが、私はもういいやって感じです。さよなら~

 

 

 

 

 

憲法9条について考えてみた その1

今回は最近注目されている憲法9条について考えてみます。

 

憲法9条

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


色々調べてみたけど、結論から言えばこの憲法は現実に合っていない。

 

(2)で「戦力の保持」と「交戦権を認めない」と言ってしまっているので、独立国家が持つ当然の権利である「自衛権」を否定しているものです。

 

逆に言うと、戦力や交戦権を持たない組織は「国」として現実的に存在できないということです。

 

国の存在意義として、「暴力の一括管理による平和実現」があると思います。
この世界に暴力が存在しうる以上、国はそれを管理する役割が生じ、国が武力を放棄することは不可能です。

 

この9条には、法律の効果として、「直接規制」の価値はほぼない(現状に見られるように、ある程度の解釈の自由があるから)けれど、軍事的な傾倒への歯止めとしての象徴的な役割は果たしているので、今まで長い間改正されずに据え置きされているのだと思います。

 

9条を改正せずに守ろうという意見の人達は、おそらく「9条の改正」=「平和第一主義からの脱却」というイメージを持っているのだと思います。

 

同じ武力でも、「平和実現のための武力」と「それ以外の国益追求のための武力」は大きな差があります。

 

「料理をするための包丁」と「人を刺すための包丁」の違いですね。

 

「料理がとても大事」で、「料理をするのに包丁が欠かせない」という状況において、「人を殺さないように包丁を放棄する」という表明は、全くナンセンスです。

 

9条護憲派の人が考えないといけないことは、以下の2点です。

憲法の運用が今のようにあやふやでいいのか

憲法9条が生まれた背景(アメリカによる日本無力化策)を踏まえることの重要性

 

この9条を日本に通したアメリカは、後に(自衛隊となる)国防を担う警察力の増強をするという矛盾した施策を実施しています。

 

この憲法の正体は、平和第一主義の象徴ではなく、属国統治のための鎖だということです。鎖を後の世で平和の象徴としてみなすのは自由ですが、鎖を切ったからといって平和第一主義が否定されると不安を覚えるのは、それも勝手なことだと思います。

 

私は、やはり法律という手段の有用性を(取りあえず)信じて、憲法による直接規制という健全な運用をすることが望ましいと思います。

 

そういう意味で、自衛権は認めるとして、武力の行使をどこまでの範囲まで認めるのか、その線引きを注意深く行う必要があると思います。

 

集団的自衛権などは、現在の日本国の立場では、(9条により)自国の防衛から逸脱した武力の行使(例えばハワイの防衛など)はできないとされています。

 

9条改正で、これを認めるとなると、この武力の行使は「平和実現以外の国益追求を目的とした行動」に該当してしまうと思います。

 

同盟国に戦争したがりのアメリカがいるとなるとなおさら平和から遠ざかりそうです。

 

問題は、「国際平和」実現のための手段として「(国際社会の「メンバー」にすぎない)個々の国の武力の行使」がそれほど有用ではないという現実がある点です。

 

仮に国際平和(世界平和)を実現するための手段が何か?に明確な答えがあるならば、武力の行使への意味ある規制のかけ方が具体的にわかるのですが、

 

絆創膏がケガの発生を防げないのと同様に、戦争・紛争の発生を元から断つ方法を誰も持っていない(方法が存在していないわけではない)ことが一番の問題ですね。

 

私の考えでは、法律の規制の力で、平和を実現できると希望を持つのは、法律への過信だと思っています。

 

法律はどちらかというと、平和状態を維持するための手段で、非平和状態から平和状態へ持っていく力は期待できないと思います。

 

平和実現のためには
・武力の一極集中・管理
・教育の充実(健全な(?)思想の普及)
・経済の安定
これらが必要になると思います。

 

安倍首相は憲法改正をしようとしていますが、変えるのはいいとして、どのように変えるのか?(9条が自衛権以外認めない内容になっているか)に注目したいと思います。

 

あと、日本人は平和の象徴を欲しがっているようなので、それにふさわしい憲法になるように工夫するのが良いと思います。

 

今回はここまでにして、
憲法が変わったら(その2)で考えてみようと思います。では~

日本の国債について考えてみた その1

中国について本を読んでいるのですが、中国のことよりも日本のことも知っておかなくちゃな・・・と思い、問題になっている国債について考えてみます。

 

■平成28年12月末速報

国債等(国債及び国庫短期証券)の総額・・・1075兆5072億円

 

保有者内訳)

日本銀行:39.1%

銀行等:21.3%

生損保等:19.3%

海外:10.5%

公的年金:4.6%

年金基金:2.9%

家計:1.2%

その他:0.9%

一般政府(公的年金除く):0.2%

 

こんな感じです。ちなみに1%は10.7兆円です。

平成28年の税収が57.6兆円なので、国債総額に対して5.35%の収入しかないということです。

 

国債の利回りについては、国債保持年数10年未満ではマイナス、10年で現在0.015%くらいです。

仮に上記全て10年国債とした場合、年利は1613億円です。

 

知らぬ間に死ぬほどマイナス金利になってますね。利息でパンクする危機はなさそうですが、問題は国の予算が平成28年度で96.7兆円となっている点です。

 

税収との差し引き39.1兆円の赤字。収入の68%に当たります。

 

年に300万円収入がある人の場合、204万円の赤字を出している状態です。

この赤字を国債で支えてるというわけですね。

 

私は企業会計には少し詳しいですが、金融についてはよく知りません。

 

国債の39.1%を日本銀行がお札を刷っているというのは、インフレを引き起こすものだと思うのですが、大丈夫なのでしょうか?

 

インフレで貨幣価値を下がって→デフレ脱出!めでたしめでたしなんてことあるんでしょうか。

ちょっと調べてみましたが、よくわからない・・・

デフレ脱出は円安を伴うが、円安が目標ではないとのこと。

経済の中の「需要」を財政出動で支えるのがアベノミクスだそうです。

 

内訳の中で、「海外」が10.5%、113兆円あります。

これはおそらく本当の借金ですね。

税収が57.6兆円なので、年収の約2倍のマジの借金があるということです。

 

年収300万円ならば、600万円の借金があるということ。

これを返さないといけないのに、家計は年204万円の赤字。

 

これは・・・すでにアウトじゃないでしょうか。

素人の予感ですが、この先、

超インフレ→生活できない家庭がめちゃくちゃ増加 が起こる予感がします。

 

高齢化による社会保険料増で、これからも国家収支は赤字幅増となることを考慮すると、どうするかって言えば日本銀行にお金を刷らせるしか手は無くて、そうなるとインフレで破綻・・・

 

南米とかで、実際にこれをやって破綻した国が、アルゼンチンだったか?ありましたよね。

 

アベノミクスというのは、市場経済の金の「流れ」を活性化させる策だと思うのですが、これで今の赤字体質を黒字に転換できるほどの効果が期待できるかと言えば、無理だと思います。

 

例えるなら、身体ボロボロで病院で薬山ほどもらってるおじいちゃんが、がんばって年収を300万円から500万円以上にアップさせる前提がないと成り立たない策です。

 

この前提が崩れると、金を刷った分だけ貨幣価値が下がって、野菜が高くておじいちゃん生活できなくなる結果が待っているのではないでしょうか?

 

これに関しては、もう少し調べる必要がありますね。

 

不思議なのは、すごく悲観的な論と、その悲観的な論を否定する楽観論が対決することなくフワフワ存在していることです。

 

誰が本当のことを知っているのか?誰も正しい予測できないのか?

経済学者はほぼ全員一致で、日本経済の将来についてひとつの結論を持っていないとおかしい!と思います。

 

経済の原理がそんなに変化することは無いと思うので、予測は専門家ならそんなに難しいことではないはず。よし、本を読もう!そうしよう~

 

 

北朝鮮問題について考えてみた

今回はホットな話題の北朝鮮問題を考えてみます。

 

ソ連とアメリカの冷戦の影響で、北緯38度線を境に国が2つに割れた朝鮮半島

 

社会主義国北朝鮮と、資本主義国の韓国に分断された後、

朝鮮統一を目指した北朝鮮が、1950年に韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まりました。

 

その後、アメリカと中国の介入により、今は最初の38度線付近を国境として休戦状態になっています。

1953年に休戦となってから、64年間もこの状態が続いています。

 

私が興味があるのは、今の北朝鮮は、どのような目的を持っているかということです。

 

朝鮮戦争は、ソ連とアメリカの代理戦争的な意味合いがあったと思いますが、

すでに冷戦は終わっている今、その意義の大部分は失われているはずです。

 

となると、残るは社会主義vs資本主義という争いですが、

大将のソ連がこの戦いに負けてしまったにも関わらず、北朝鮮は相変わらず戦い続けているということでしょうか。

 

例えるなら、糸の切れてしまった凧のような存在なのかもしれません。

 

北朝鮮独裁国家なので、金正恩さんの頭の中には当然「権力闘争」の要素があると思いますが、それを除いたら後に何が残っているのでしょうか?

 

韓国との和解・統合へ舵を取らない事実から、彼の頭には何らかの「特殊な前提条件」があるはずですが、もしかしたら本気で社会主義を信じているのかもしれません。

 

社会主義の欠点は、「労働者のモチベーションの低下を招くこと」あるいは、「労働者の自主的な献身がなければ経済が成り立たないという、基盤の脆弱性」にあります。

 

資本主義のいい所は、「努力すれば報われる」ところで、それが労働者のモチベーションアップを実現しますが、社会主義は努力しなくても最低限の満足は得られるため、経済発展のための推進力が得られない点にあります。

 

ここで問題は、経済発展は必ずしも必要か?ということがあります。

お金の話でいうと、企業は銀行から借金するので、その金利分の利益を上げ続けなければなりません。

 

発展途上にある企業は、借金に頼る部分が大きいので、成長することが前提にないと存在できないという制約を抱えています。

 

資本主義という考え方は、「経済発展することが正しい」という価値観が普遍的である時に限り、役に立つものなのだと思います。

 

もし社会主義を採用するならば、ある程度経済発展してから取り入れないと、北朝鮮のように貧困層がずっと苦しみ続ける悲惨な状況を招きます。

 

社会主義を実現するためには、

 

①資本主義によって経済発展を実現し、底辺の経済レベルを人道的にOKな程度まで底上げする(※水を飲んでも病気にならない、最低限の医療サービスを受けられる等)

②「経済発展することが正しい」という価値観を捨てる

③現在の経済レベルを維持するためには一定の「献身的労働」が必要であるという認識を共有する

 

このステップを確実に踏まないと、社会主義制度はマッチしないでしょう。

北欧なんかでは、税金がすごく高いですが、国民は「福祉を受けるための当然の負担」として受け入れています。

 

社会制度を「頭の中の理論」とすると、理論だけで存在しているのではなく、それを実践する「身体(国民の価値観)」とのマッチングを考慮しなければなりません。

 

北朝鮮の「行動原理」を理解するためには

・「北朝鮮国民の国民性(身体)」

・「金正恩の『特殊な前提条件』『肯定された欲』(頭)」

 

を知る必要があります。

北朝鮮ニュースでの放送の仕方、朝鮮戦争を起こした動機などを見ると、おそらく北朝鮮は、世界を相手にした「覇道」を好んでいるのではないかと推測します。

 

「あの経済水準で?」と思ってしまいますが、現実とのギャップがある大きな願望を抱いている可能性があります。

 

世界を覇するために、国民を犠牲にしても厭わないという発想・・・

これこそが、金正恩の「肯定された欲」の正体だと8割確信しています。

 

先日の「争い」のテーマで得られた、人が争いを起こす条件

・つよいストレス(現実と願望のギャップ)を与える

・本人が正しさを侵害されたと認識する

これに照らすと、前者の条件はすでに満たされていて、後者はこれからアメリカにより達成されそうです。

 

度たび行うミサイル発射は、おそらく政治的な意図というよりも、ストレスを感じた北朝鮮自身のガス抜きという意味合いが強いのではないでしょうか。

 

武力による政権打倒を強行すると、北朝鮮によるミサイル発射というのは80%以上の確立で起こりうると思います。

 

これはあまりスマートなやり方とは言えません。

 

金正恩の「肯定された欲」(世界を覇する)、これは国際社会とは相いれないため、潰すという方針でいいと思いますが、そのアプローチ方法は考える必要があります。

 

頭(金正恩)ではなく、身体(北朝鮮国民)に対する太陽作戦で離反→内部からの政権打倒を促すのが一番平和的で、確実な方法だと思います。

 

トランプさんは金正恩との対話を試みていますが、これはお母さんと「おもちゃを買って」と駄々をこねる子供のやりとりのように、生産性は見込めないでしょう。

 

「身体の骨折れてるのにええかっこしたい」欲を肯定しているトランプさんと、

「貧乏なのに世界の中心にいたい」欲を肯定してる金正恩さん

 

カオスな組み合わせですが、この2人が対話したときにどのような化学反応が起こるのか、ひとつのサンプルとして注目しています。

欲の正当化について考えてみた その2

前回から「欲の正当化」と言っていますが、正しくは「欲の肯定」でした。

 

まぁそんなに大きな間違いじゃないからどっちでもいいです。

 

欲の肯定と共に、「人格」の大きな要素を占めるのが「特殊な前提条件」です。

 

「特殊な前提条件」とは、その人の内面にのみ存在している(思い込んでいる)世界のルールのようなものです。

 

例えば、私の特殊な前提条件として大きいのは、「人から愛されると危険が増える」というものです。

 

これは、子供の頃に親に強く愛され、同時に強いストレスを加えられた経験から生まれたものです。思想というよりも、身体に刷り込まれた条件反射ですね。

 

動物に、エサを与えると同時に電流を流すということをすれば、その動物は「エサは危険だ」と刷り込まれます。これと同じことです。

 

この「特殊な前提」によって、私は何か行動するとき無意識的に、人から愛されないようにする工夫を施しています。

 

憎まれるようにするのではなく、「相手が心の距離を置くような」態度を自分が取ると安心するのです。これを治そうとしても、身体がそれをベストだと思い込んでいるため、中々治せません。

 

このように、「特殊な前提条件」は、生後に体験した経験が主な原因となって作られる性質のものだと言えると思います。もちろん生まれ持った性質もベースにありますが。

 

人は障害にぶつかったとき、その原因を求めます。

自分が不利益を被っている事実に、理由がないと不安になるからです。

 

その理由として、「特殊な前提条件」という障害壁を心に作り出すのです。

「壁があるせいで、不利益を被っている」と納得して心を落ち着かせているのです。

 

私の例のように、この壁は、理論的な思考の結果生まれるもの、ではなく身体(と身体から情報を受信する心)に依存して存在しています。

 

ISのようなテロリストも強力な壁を設けているようですが、話し合いで、理屈で納得させて改心させるというアプローチはほとんど効果はないでしょう。

 

彼らの身体と心に直接アプローチしなければ、「特殊な前提条件」を解消することはできないと予想します。

 

私の「人から愛されると危険が増える」という壁を崩すには、「人から愛されて幸福を感じる」体験をするということです。

 

ここで問題なのは、長年生きてきて、「愛されなくても幸福になる方法」を身につけてしまっていることです。

 

おそらくテロリストも、「自爆などの破滅的な人生で終わっても幸福になる方法」というものを身につけています。

 

テロをしないようにする生き方は、彼らには需要が薄いのです。

 

彼らに需要がなくても、テロの被害を受ける側は困ってしまうので、周りが積極的にテロリストの身体と心にアプローチして、壁を取り払う努力が必要なのだと思います。

 

そして頭に留めておかないといけない点は、テロリストは間違いなく「過去にとても強いストレスを感じた経験を持っている」という事です。

 

第一にそれが具体的に何なのか突き止める必要があります。

 

それがわかったら、彼らの世界における「悪」と「その負のイメージ」を切り離す操作を行います。

 

「悪」と思っていた存在は、必ずしも悪ではない(良い面もある)と「体験」させることが重要です。

私の場合で言うと「他者からの愛情」は、悪でなないと理解させるということです。

 

アプローチの方針が定まりましたが、これを実行するためのツールがありません。

 

そこで注目したいのが、VR(バーチャル・リアリティー)です。

 

視覚、聴覚という2つだけの限られた出力で、どこまでテロリストの心に影響を及ぼせるか、その効果に大きな期待はできないですが、

 

今後VRが進化すれば、例えば「親の愛」を体験させて更生させる事ができるかもしれません。いや、しなければいけないのだと思います。

 

人の「特殊な前提条件」を取り払うことができれば、矛盾状態が起こりにくくなり、世の中から争いを元から絶つことに繋がります。

 

VRの分野は、今後非常に重要な位置を占める投資先だと思います。

開発に携わる人たちには頑張って欲しいです。

そして権力者の方には、彼らに金を積極的に投資して欲しいと思います。

 

悪く言えば他力本願、良く言えば役割分担です。

私も自分にできることを探りますので、これを読んでる方と一緒に問題を解決していけたらいいなと思います。

欲の正当化について考えてみた その1

争いシリーズでわかったんですが、

 

キーポイントは

・欲の正当化

・特殊な前提条件 ですね。これをもっと考えていこうと思います。

 

ある人間の脳の中で、上記2つがどのような状態なのか、これを知ればその人の「行動原理」をほぼ把握したものと思っていいと思います。

 

人間の固有の要素は、「行動原理」の他に「能力」と・・・あと何かあるかな?

無いな・・・「持ち合わせた能力を行動原理に従って行使する」これが生命現象の全てです。

 

正確に言うと、(生命目線で見た)生命現象の全てです。

他の目線でいうと、他に要素があると思いますが、私は人間なのでそれは考えないこととします。

 

「能力」には情報受信などの受動的な能力も含みます。

この一言にすごい広い意味を詰め込んでますが、今回は「能力」ではなく「行動原理」の方にフォーカスを当てたいと思います。

 

欲の正当化・・・これは、「人格」の核となる部分です。

 

通常人は、例えば「金が欲しい」という欲を持っていたとしても、他人から無理やり金を奪うということはしません。

 

これは「もし自分が相手の立場だったら?」という観点に立って、「正しくない」という判断を下しているためです。

 

欲が正当化される、行動都度のプロセスにおいては、この相手の立場を考えるという概念がストップします。

 

その構造には

・相手のことを考える余裕がないほど、その欲を満たすことに夢中になっている

・「自分が相手の立場になっても問題ない」として人間の個体差を無視する

という2種類のパターンが考えられます。

 

夢中になるような欲がない、かつ、人間の個体差(立場の違い、能力の違い)を考慮して相手を思いやることができる、という人は、自分の中のあらゆる欲を正当化していないことが有り得ます。

 

私は、現在欲を正当化しないように心がけています。

相手を思いやることが十分にできていない(自分と違う人間を正確にイメージしきれない)ですが、人間トラブルという交通事故を起こさないように安全速度に抑えた走行です。

 

アクセル全開を経験した私から言うと、この安全運転はつまらないです。

自分が夢中になる欲を満たすために一心不乱になると、辛さを吹き飛ばし、とても強い充実感があります。

 

しかし、社会に生きる人間として優れているのは明らかに安全運転をする人の方です。

 

速度を出して楽しいからと言って、事故を起こすようでは社会人失格と言えます。

 

だがしかし、生物としてまっとうに生きるならば、自分の欲に正直であるべきです。

安全運転では、決してたどり着けない境地、得られない宝というものは確実に存在します。

 

今、私が悩んでるテーマは、

「欲を正当化」している人間を前にしたとき、どのような対処をすべきか?

という問題です。

 

その程度が弱いものならば、事故が起こっても支障ないですが、

強く欲を正当化している場合、それを否定すべきか、尊重すべきか、判断が難しいところです。

 

おそらくケースバイケースで一概には言えないだろうけど、

他人が正当化している欲について、私は、その価値を正しく評価する能力がないという問題があります。この問題は私だけでなく、多くの人に当てはまることだと思います。

 

私には価値がなくても、人類全体にとっては価値のある「挑戦」である可能性は常に存在していて、その判断軸がないというのは理性優位型の私にとってはちょっと看過できないことです。

 

正当化された欲の全てが満たされるべき、ではないことは確かです。

 

・正当化された欲が何なのか推測する方法

・投資先として、その欲が優れているかどうか見極めるための判断基準

 

今はこの2つを手に入れたいです。

 

日常生活で人から嫌な思いをしたちょっとしたことも、正当化された欲が隠されているな、と実感しています。

 

それが具体的に何なのか、推測してもぼんやり捉えられるだけです。

相手の人の人生の歴史を見ることができれば、本質を捉えられると思うのですが、自分の経験をベースにして他人の価値観を推し測る方法しか持っていないので上手くいかないですね。

 

自分しか知らない私の限界・・・なのかなと少し諦めが入っていますが、

今回ターゲットが明らかになったので、今までにないアプローチ方法があるのではないか、と希望を持ってじわじわ前進しようと思います。

 

争いについて考えてみた その7

①争いの発生を防ぐ方法

②起こった争いを解決する方法

 

今回は②について考えてみたいと思います。

 

今回もブログを書きながら考えます。

最近、考えるためだけに時間を使うのがもったいなく感じるようになりました。

今欲しい情報は、部屋にこもって考えても手に入りにくいものなので考える意欲の減退は仕方ないですね。

 

では、いきましょう~。

起こった争いを解決するには、どうすればいいのか?

 

まず第三者の立場での行動について考えます。

 

第三者の行動の選択肢

・一方が他方を叩きのめすことを促進させる

・争いを強制終了させる(勝ち負けなし)

・争いの様子を観察して情報収集する

・争いによる被害を減じるように働きかける

 

行動を挙げてみて気づきましたが、

取るべき行動を決めるには、第三者がどうしたいのか、目的を定めないとわかりませんね。

 

争いが起こったときの第三者が設定しうる目的とは

・起こった争いを好機と捉えて、自分の利益を追求する

・争いをあってはならないこととして、できるだけ早く終わらせて被害を抑える

 

この2つかなと思います。

漁夫の利という言葉があるように、なんらかのゲームのプレイヤーとしての立場を取るならば、自分とは関係の無いところで争いが起こることはチャンスと言えます。

 

ただ、これは争いの解決と言えるのか・・・言えない。

今回のテーマから言うと、後者の目的を取るという前提で話を進めます。

 

「争いをできるだけ早く終わらせて、被害を抑える」

 

この目的にかなった行動として有り得るのは、

①どちらが勝った方が平和状態に近づくか見極めて、その一方に加勢する

②争いをやめるように両者を説得する

③非戦闘員を速やかに避難させる

です。

 

①は、争いをしている両者それぞれに正義と悪のレッテルを貼り、将来的な平和を達成しようという意図です。

 

相手がISみたいな相手だったら簡単ですが、先進国同士の領土問題などで戦争になったケースを想定すると、正義と悪のレッテル貼りが難しくなります。

 

確信なしに、軽率に一方に加勢するような雰囲気になると、世界大戦のような大規模な戦争に発展するリスクがあります。

 

武力を行使する目的が平和を実現するためなのか、平和以外の利を追うためなのか、の見極めが重要です。

 

両者とも平和以外の利を追って戦争をしているのならば、加勢はしない方が賢明です。

一方が勝つと自分(第三者)に利がある、という状況において、加勢をしない判断ができるか、という点が過去とこれからの未来の国の在り方を区別するキーになると思います。

 

ロシアはおそらく平和以外の利を追ってアサド政権に加勢していますが、この態度はもはや古いタイプの発想だと言いきっていいと思います。ロシアは進化する必要があります。

 

これくらいで次の②にいくと浅いんですが、疲れてきたので②にいきます。

 

②争いをやめるように両者を説得する。

 

当事者からすれば、一度振り上げた拳を収めるのは、ある意味勇気がいる行動だと思います。これを仲裁する役割を担えるのが第三者です。

 

争いを始めた事実があるということは、その背景に利害の衝突があるということです。

その衝突を解消する具体的な案を提示しなければなりません。

この技術は、世界平和にとって極めて重要な技術だと思います。

 

個人レベルで考えてみます。

 

「二次会でイタリアンを食べたい人」と「二次会で和食を食べたい人」の争いを考えてみます。

 

どちらも「それ以外は食べたくない!」と言っている状況です。

これを説得する方法があるかと言えば、驚くほど思いつかないですね。

 

前回のブログで書いたように、両者の「特殊な前提」を崩していくアプローチになる(「それ以外は食べたくない」を崩す)と思うのですが、具体的にどうすればいいのか、それが問題です。

 

気が変わるまで頭を殴る、とか壊れたテレビを治すような方法しか思いつきません。

強いて言うなら、イタリアンでも和食でもない、もっと美味しい店を提示するとか。

 

人間の思い込みを修正するという作業は、「教育」の分野の超高等テクニックなんだと思います。白い紙のような子供に教えるのも簡単ではないのに、固まった頭を持つ大人を再教育するというのは「物理的(脳神経的)」にハードルが高いですね。

 

子供への教育の時点で、「自分の思い込みを修正する」プログラムを実装させるのがベストだと思います。

 

私は脳を情報を扱うことに特化すると決めた時点で、思い込みという罠には細心の注意を払ってきたので大人になっても「論理的思考の分野」における思い込みは操作できているつもりですが、そういう訓練をしないで大人になってしまった人は、まず無理でしょう。

 

教育というのは、独裁国家においては「特定の思い込み」を刷り込むことですが、まともな民主国家においては「思い込み」を削除することだということです。

 

争いをやめさせるには、そのもっと前の教育の段階で手を打たないといけないようです。

 

トランプさん陣営ように「すぐに目先の手柄が欲しい」という頭ではなく、教育による長期的な地盤固めに注力できる指導者を選ぶことがこれからの時代のキーポイントなんでしょう。

 

この辺で②はやめます。疲れた・・・③は何だっけ。

 

③非戦闘員を速やかに避難させる

 

これは紛争難民問題ですね。

ドイツでもフランスでも?よく知りませんがシリアからの難民が流れ込んできて、その受け入れに多額の税金が使われて国益が損なわれていると。

 

なんで外国人のために自国民が犠牲にならんといかんのかと。

 

そういった意見をニュースで耳にしますが、紛争難民を、「通常の外国人」として扱うのはいかがなものかと思います。

 

紛争難民は、間違いなく国際社会において守られなければいけない対象です。

 

しかし問題は、彼らを守るパワーを持った組織が、現時点で存在していないということです。

 

本来ならば、難民を守る機関が金を出して守らなければいけないところを、ドイツやフランスといった先進国が身銭を切って代わりに助けてあげているという状況です。

 

紛争難民は救わなくてはいけないですが、ドイツ・フランス国民の言い分も正しいという、これもある種の矛盾ですね。

 

フランスは自国第一主義の候補が人気を取っていますが、これは今までの路線からの反発で、長期には続きません。だって現実に即してない時代遅れの路線だからです。

 

自国第一主義は「現実に合ってねぇな・・・」と察したときに、難民保護問題というでかい壁が目の前にそそり立つのです。

 

これは国連を組織的にサナギから蝶にするように、世界全体をコントロールするための権力を与えることが必要になると思います。

 

必要だから作るべき、ではなくて、現実に対応するためにはそれ以外道がないと悟って自然発生する、といったニュアンスですね。

 

今回のテーマは後半雑になったわりにけっこう良い成果があったなと自画自賛したところで、終りにしたいと思います。さよなら~